【連載】呑んで喰って、また呑んで(96)
自家製蒸留酒で天国気分に
●千葉県・白井市
あんな強い酒を呑んだのは初めてだった。うーっ、きっくーっぅ。喉から火が出てもおかしくない衝撃が走る。が、それは一瞬だった。食道を通過して、真っすぐ胃に直行する。おっと、胃壁が歓喜にざわめいているようだ。何という心地のいい刺激なのか。
この酒は何かというと、自家製の蒸留酒である。白井健康元気村村民の亀山二夫さんが、サウジアラビア駐在時代に苦労してつくったという。言うまでもなく、かの国はイスラムの国、しかも原理主義というから、アルコールはご法度だ。
呑兵衛にはつらい。そこで、たまの休日になると、近隣のキプロスに遊びに出かける。キプロスはイスラムではないので、自由にアルコールを楽しむことができるからだ。
しかし、毎日晩酌をしたい人なら、自分でつくるしかない。ま、早い話が「密造酒」である。お酒に目がない亀山さんは自分でつくる道を選んだ。
つくり方はというと、まずドラム缶を用意する。そして砂糖をたっぷりと放り込む。それから、どうするのか、きつい酒が効いてきたのか、亀山さんの説明をはっきりと覚えていない。いずれにしても、砂糖と何かをぶち込んで発酵させると、強烈で、驚くほど美味い蒸留酒が完成したという。
「一体、これ、アルコール度数はどれくらいですか?」
「そうね、90度以上はあるでしょうな」
「えーっ、そんなに」
「美味いでしょ」
「ええ、最高です。こんな美味い酒を呑むのは、生まれて初めてですよ。も、もう1杯いいですか?」
「いいけど、ぶっ倒れても知りませんよ」
亀山さんが小さなグラスに半分ほど注ぎ、私は一気に呑みほした。あーっ、きっくーっ!
それから亀山さんの自宅で何度か呑み会があった。いつも誘ってくれたので、喜んで出かけたものである。その度に私はあの蒸留酒をせがんだ。「ちょっとだけでいいですから」と。我ながら、意地汚い。そう反省する日々である。
そういえば、こういうこともあった。同じ元気村のIさんを誘って亀山さん宅の呑み会に伺ったときのことだ。10数人はいただろうか。酒好きのIさんに、私が蒸留酒をすすめたのは言うまでもないだろう。
数時間後、そろそろ帰ろうかとIさんを探したが、どこにも姿が見えない。いち早く帰宅したのだろう。そう思って私もぶらぶら歩きながら帰途に就いた。で、翌日、Iさんに電話をしたところ、なぜか怒り狂っていた。
「オレ、気が付いたら、庭の隅っこで寝ていた。どうして誰も助けてくれなかったんだ!」
私のせいではない。あの蒸留酒がイケないのだ。
ところで、亀山さんちの庭には枝垂桜もあるので、春になるとみんなを集めて「花見」が開催される。屋外なので料理はバーベキューが中心だ。日本酒もふるまわれるので、刺身も欠かせない。
当たり前のことだが、外で呑み喰いすると、開放的になる。当然、遠慮もしない。帰国時にそんなにたくさん持ち帰ってないことぐらいわかっている。が、すっかり自家製蒸留酒の虜になってしまったので、ついつい蒸留酒を亀山さんにせがむ。
冬の寒い時期になると、ブリが美味い。亀山さんのご長男が魚関係の仕事をされているので、新鮮なブリが手に入るという。そんなわけで、ブリのしゃぶしゃぶと刺身の大宴会を催すことになった。つい数年前のことである。会場は地元の集会場。亀山さん宅から歩いて10分もかからない。2階には大広間もあり、貸し切りできるのが嬉しい。
で、このブリの美味いこと、美味いこと。ありきたりの表現だが、ほんと筆舌に尽くせない。もちろん、酒もすすむ。「ブリしゃぶ&刺身」の宴は毎年行われ、いつも20人近くの老若男女が集った。カラオケ大会もあって、大いに盛り上がったものだ。なにもかも亀山さんのおかげである。
しかし、新型コロナウイルスのおかげで、2年前から開かれていない。コロナ騒ぎが収束したら、また亀山さんに頼んで、「ブリしゃぶ&刺身」の宴を再開したい。そう思っていた矢先、肝心の亀山さんが、あの世に旅立った。一昨日(5月11日)のことである。ガンを患って一時は回復したように思えたのだが……。77年の愉快な人生だったに違いない。合掌。
亀山二夫さん、あの世で大好きなテニスで汗を流し、スコッチの水割りを呑んで楽しんでください。もし時間があればですよ、度数90度以上の蒸留酒もつくってほしいものです。いつか私がそちらに行ったときは一緒に呑みましょう。それと、それとですね、入手できるなら、新鮮なブリもお願いします。約束ですよ。