緊急企画■バック・イン・ザ・U.S.S.R.②
ロシアによる異民族の大移動
杜祖健
山本徳造氏の「満洲のウクライナ人」(季刊「経綸」令和4年5月号)を読んで初めて19世紀末にウクライナ人の極東移住大作戦のことを初めて知った。ロシアによる異民族は多くあるが私が身をもって知っているのはシベリアに住んでいる朝鮮族をウズベキスタンに移動させたことである。
何故私がウズベキスタンのことを知っているのかというとソ連時代ウズベキスタンは2種類の生物兵器を作っていた。その一つがコブラによる神経毒であった。ソ連の崩壊後ウズベキスタンは独立した。
アメリカ政府はこれらの科学者が他の国に行かないようにするためこれらの科学者に援助金をあげてウズベキスタンに残るようにした。私は国務省の命でウズベキスタンに行き平和のプロジェクトをするように指導した。
ウズベキスタンに行って吃驚したのは朝鮮族が多く全国の1%あまりであった。
私が指導した研究所の中にも朝鮮族の方がいた。なぜウズベキスタンに来たのかと聞いたところ次のようであった。日本統治時代日本は樺太開発の為朝鮮人を連れてきた。終戦後日本は日本人だけを連れて帰り、朝鮮人は其のままほったらかした。それで樺太に残された朝鮮人はロシア人となった。
彼女はシベリアのノボシビルスクで博士号をとりウズベキスタンに派遣された。ソ連の崩壊後ウズベキスタンは独立し彼女はそのまま残ったのでウズベキスタン人となってしまったとのことである。彼女の場合は特殊の例である。ウズベキスタンにいる大部分は彼らの父や祖父の頃に満洲周辺のシベリアにいた朝鮮人であった。
1938年スターリンはシベリアにいる朝鮮族が日本に利用されるのを心配してウズベキスタンに強制的に移動させたのであった。こういうわけでウズベキスタンに朝鮮族が多いのである。市場にゆくと朝鮮族の人たちがキムチや朝鮮の食べ物を販売していた。
今では朝鮮族は2代3代の人たちでウズベキスタンの社会にすっかり溶け込んでいるが、東洋人の顔をしているので一目で朝鮮族であるとわかる。それでウズベキスタンは今でも北朝鮮や韓国との関係が深い。
以前北朝鮮の高級幹部はウズベキスタンで生まれた朝鮮人が多かったが、清算されてしまい今ではその影響は皆無である。しかし韓国とは関係が深く韓国が自動車製造をウズベキスタンでしている。またウズベキスタン航空は韓国まで飛ぶ。
それから朝鮮族とは関係がないが私がウズベキスタンで驚いたことはスターリンは捕虜にした関東軍兵士の一部をウズベキスタンに送りそこで労働に使用した。
今ウズベキスタンの首都タシケントにオペラハウスがあるがこれは関東軍の兵士によって作られた。現地ではオペラパレースとよんでいる。
私はウズベキスタンに行って思いがけない事実を見せられ驚いたのであった。(『榕樹文化』2022年秋季―23年新年号より転載)
▲抑留された日本兵が建てたオペラハウス「ナボイ劇場」