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太郎さんのようになりたいが… 【連載】呑んで喰って、また呑んで(100 最終回)

2021-06-11 06:21:26 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで(100 最終回

太郎さんのようになりたいが…

●千葉・白井

山本徳造 (本ブログ編集人)  

 


 池田太郎という人がいた。「いた」と過去形にするのは、数年前に天国に旅立たれたからである。私と同じマンション、しかも同じ棟の住民で、敬虔なクリスチャンであった。
 私より20歳ほど年上だったが、少年のような笑顔の持ち主である。だから、「池田さん」とは呼びたくない。あくまでも「太郎さん」である。それほど親しみを感じさせる人物だった。
「私が親しみを感じる」というからには、呑兵衛でなくてはならない。そう、太郎さんもお酒には目がなかった。
「今夜、うちで呑み会をやるんですけど、来ませんか」
 そう私が太郎さんに声をかけると、必ず顔を見せたものである。
 よほどのことがない限り、お酒の誘いを絶対に断らない人だった。いつもニコニコと微笑み、日本酒のグラスを傾け、静かに談笑する。言葉数は少ないが、太郎さんがしゃべると聞き耳を立てざるを得ない。
 その一言一言に人生の不思議なヒントのようなものが隠されていたのだろう。だから、太郎さんと呑んでいると、なんだか「得」をしたような気持ちにさせられたものだ。
 そんな太郎さんは東京大学で建築を学び、クラブ活動は、当時としては珍しい自動車部だったとか。帝国陸軍で戦車部隊を指揮していた父親の影響かもしれない。その父親は、間近に迫ったマレー半島攻略作戦を想定した演習の最中、事故死した。

 太郎さんは大学卒業後、鹿島建設に入社したのだが、ある一大プロジェクトに携わることに。日本最初の超高層ビルとして知られる霞が関ビルの建設である。

 昭和40(1965)年3月に三井建設と鹿島建設の2社が共同で起工、3年後の昭和43(1968)年4月に華々しくオープンした。なにしろ超高層ビルは日本で初めてのことだったので、苦労話に事欠かない。そのエピソードはNHKの人気テレビ番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』でも取り上げられた。太郎さんもエレベーター部門の責任者として登場している。
 その後、米国鹿島の副社長にもなったエラ~イ人なのに、けっして偉ぶらない。誰に対しても平等に接する。しかも腰が低い。うーん、なんていい人なのか。
 気が付けば70歳を過ぎた私である。いつこの世からオサラバするか分からない。機会があるたびに、みんなと美味い酒を酌み交わしたいものである。
 相手が若い人でも、偉そうにせず、話を聞く。太郎さんを見習って。もちろん、ニコニコ顔は欠かさない。そして、「人生の不思議なヒント」を与えるような一言を口走ろう。
 しかし、「うー、我ながら立派なことを言うなあ」と思ったとしても、けっしてドヤ顔になってはいけない。相手に悟られてしまう。
 まだある。自分の一言が相手を感動させたと思って調子に乗って連発しないことだ。ちょっと間違うと「説教」になってしまう。ま、嫌われること間違いなし。悲しいかな、認知症になって同じ話を繰り返す恐れさえある。
 そんなわけで、私がいくら頑張っても、太郎さんのようにはなれない。まー、気楽に行こう。気の合う仲間たちと集まっては呑み、喰い、そして馬鹿話に興じる。これぞ長生きの秘訣かも。長い間のご清聴、有難うございました。

 


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