白井健康元気村

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続・夢は実現するもの 【村民の声⑧】

2023-05-30 05:31:25 | 村民の声

【村民の声⑧】

続・夢は実現するもの

岩崎利明

 


「人生100年時代」が到来と言われるようになった昨今である。リタイア後の人生を、どのように過ごして行くか。私自身のためにも、また身内や友人たち、あるいは日々の生活で関わっていく人たちとも、望ましい年齢の重ね方を考えたいものだ。
 健康寿命を長いものにするためには、身に合った運動・スポーツに関わって過ごすことになる。ゴルフプレーを楽しんで来た者には、いろいろな夢を持って取り組んできたことだろう。
 たとえば、ゴルフである。「スコアは100を切りたい」「ホールインワンを決めたい」「憧れのコースでのラウンドプレーを楽しみたい」。そんな思いの中で練習を重ねて、夢を膨らませてきたに違いない。
 前にも書いたが、私が夢を見てきた一つに、ゴルファーなら誰もが抱く夢にエージシュートがある。日本の60歳以上のゴルファーは267万人だそうだが、そのうちエージシューターは少ない。なんでも1500人程度だとか。最高年齢は103歳。最年少のベストスコア世界記録はというと、59歳で57ストロークだという。

エージシューターの仲間たち
 
 私のゴルフ仲間にもエージシュートを達成した人、つまりエージシューターが何人かいた。「いた」と言うのは、故人になった人や最近ではプレーを控えられた人もいるからだ。もちろん、今でも元気にエージシュートに挑戦し続けている人がいる。そんな彼らを、ここで紹介したい。

 まずは残念ながら故人となった長谷川勝男さんである。長谷川さんが初めてエージシュートを達成したのは、平成27(2015)年5月13日のことだった。コースは新千葉CCたちばな。昭和18(1943)年生まれの長谷川さんは当時72歳。68ストローク、4アンダーで見事達成したのである。
 鎌ケ谷CCのメンバーだった濱村毅さんは、68歳のときに65ストロークで達成、それ以降も次から次へとエージシュートを連発する。結局、200回も達成して、あの世に旅立つ。
 現在、お休み中なのが、斎藤良一さん(87)と植井敏夫さん(86)。斎藤さんは80歳前後に数回達成し、植井さんは80歳のときに77ストロークで見事エージシューターに。

 さて、今も現役で元気よくプレーしている「勇士」たちにご登場願おう。
 私の大親友である西垣龍明さん(83)は、81歳で81ストロークを達成した。達成したときには、私も嬉しくて仕方がない。まさに「感動」「感激」「感謝」だった。
 鎌ケ谷CCでの常連仲間、山口勝令さん(84)は、78歳で78ストローク。白井健康元気村村長の玉井秀幸さん(83)が成田フェアーフィールドで初めてエージシュートを達成したのは、平成28(2016)年7月28日のことである。75歳で75ストロークだった。それに味を占めたのか、もう6回目を達成して、さらに奮闘中である。

 安村松夫さん(89)も、20回以上の達成に挑戦中だ。坂本幸夫さんは80歳前後に数回エージシュートを達成し、今も諦めていない。77歳のときに77ストロークでエージシューターの仲間入りをしたのが、大川徳司さん(92)。平成20(2008)年8月25日、房総CC大山ゴルフ場で達成したのだ。
 この年の10月6日、大川さんのエージシュート達成を祝う記念祝賀会が八千代市のレストランで開かれ、私も招待された。

▲八千代市のレストランで記念祝賀会

▲記念祝賀会での大川徳司・良子ご夫妻

▲出席者に配布されたエージシュートの記録

 

仲間が作詞したエージシュート賛歌

 このとき、私のゴルフ仲間で、ピピ名球会の会長だった前川浩一さん(故人)が、大川さんに捧げる替え歌を2つ作詞した。『大川徳司さん、エージシュート賛歌①』と『大川徳司さん、エージシュート賛歌②』である。

『大川徳司さん、エージシュート賛歌①』(メロディは『幸せなら手を叩こう』)

1 おめでとう 大川さん、
  おめでとう 大川さん、
  エーイジ シュートだおめでとう、
  ほら、皆でお祝いだ

2 七十七歳 大川さん
  七十七で 周ったぜ
  エーイジ シュートだ おめでとう
  ほら 皆でお祝いだ。
  
3 エーイジ シュート おめでとう
  うらやましいぜ おめでとう
  ますます元気だ おめでとう
  こりゃ人生 楽しいね

4 おめでとう 大川さん、
  次の目標 決まったぜ
  エーイジ シュートを あと十回
  死ぬまーで 頑張るよ

5 エーイジ シュート 何故出来た
  良子のお陰 忘れるな
  仲間のお陰も 忘れるな
  これホントに 忘れるな

6 幸せなら 手をたたこう
  幸せなら 手をたたこう
  幸せなら 態度でしめそうよ
  ほら 皆で手をたたこう

 
『大川徳司さん、エージシュート賛歌②』(メロディーは『明日があるさ』)

1 明日があるさ 明日がある
  若い徳司にゃ 夢がある
  いつかきーと いつかきーと
  エーイジ シュートだよ
  明日がある 明日がある 明日があるさ

2 74歳の 友人が
  75打を だしたとさ
  これはたいへん これはたいへん
  自分に言い聞かす
  マアージャン絶つ おさーけも絶つ 女も絶つさ

3 寝ても醒めても ゴルフだけ
  ゴルフの事しか 考えぬ
  ピピに通う ピピに通う
  打ち込むだーけーさ
  三百―打つ 四百―打つ、五百も打つさ

4 或る一日突然 出たんだよ
  エーイジシュートだ 夢叶う
  七十七 七十七 
  七十七が出た
  びっくりした 感激した 本当に嬉しいよ

5 ゴルフと出会って 50年
  お陰で貰った 健康と
  一に努力 二にも努力
  三にも努力だよ
  きいーっと出る きいーっと出る 夢は叶うのさ

6 女房と仲間に 恵まれて
  ゴルーフ人 50年
  幸せだよ 幸せだよ 本当に幸せだ

  明日がある 明日がある 明日があるさ
  明日がある 明日がある 明日があるさ

 

 大川さん、今ではすでに50回を越えており、貫禄のエージシューターである。

エージシュートを一人で400回も

 しかし、伊藤正幸さん(80)を忘れてはならない。鎌ケ谷CCのメンバーの伊藤さんは昨年、なんと418回目を達成した。スゴイではないか。それで驚くのは、まだ早い。
 200カ所のコースでのエージシュートが目標だったのだが、なんと昨年12月22日にそれも達成しているのだ。今後は47都道府県のゴルフ場で達成するのが目標だって。すでに13県を達成し、残すは34県とか。うー、凄すぎて言葉を失う。
 私も伊藤さんと同じ鎌ケ谷CCのメンバーなので、ゴールドシニア選手権でご一緒したことがある。いやあ、本当にすごい。

▲トロフィーを手にする伊藤さん

 

ピピ名球会のエージシュート賛歌

 話は変わるが、私が所属している「ピピ名球会」では、エージシュート達成者には、場所や日時にかかわらず、第1回目の達成者のみ、会員の皆さんでお祝いすることにしている。お祝い金は5000円だ。
 ちなみに、これまでの達成者は、私の他に植井敏夫、長谷川勝男、斉藤良、玉井秀幸の4氏がいる。彼らに捧げる『エージシュート賛歌』もある。メロディは『明日があるさ』。この讃歌も作詞は前川さんだ。まずは玉井さんへの賛歌から。

『玉井秀幸さん、エージシュート賛歌』

1 明日があるさ 明日がある
  高齢我らにゃ 夢がある
  いつかきいっと いつかきいっと
  エーイジ シューウトだよ
  明日がある 明日がある、
  明日があーるーさ

2 遂にやったぜ 出たんだよ
  エーイジ シューウトが出たんだよ
  七十五だ 七十五だ
  七十五が出た
  お祝いする 歌ーを歌う
  ドンチャンさわぎだよ

3 すてきな仲間に恵まれて
  ゴルーフ人生 これからだ
  まだまだ出る 続々出る
  やるたび 出ーるーぞ
  きーと出る 必ず出る
  夢は叶うのさ

  (羨ましい ! ! )

▲昨年11月に5回目のエージシュートを達成して美酒に酔う玉井村長


 よし、ついでに私への賛歌も。

1 遂にやったぜ 出たんだよ
  八十歳で出たんだよ
  七十七 七十七 七十七 が出た
  エイジシュート お祝いする
  皆でお祝いだ

2 ゴルフと出会って数十年
  天から貰った天分と
  一に努力 二に努力 三にも努力だよ
  たいしたもんだ たいしたもんだ
  ホンとに凄い人

3 すてきな仲に恵まれて
  2017年12月11日
  ゴルーフ人生これからだ
  まだまだ出る 続々出る
  やるたび出ーるーぞ
  きーと出る 必ず出る
  夢は叶うのさ

  (羨ましい ! ! )


私の希望と夢

 人生100歳時代の今、現在60代・70代の元気なゴルファーの人たちには、様々なことに挑戦してゴルフ人生を謳歌してもらいたい。ぜひとも「100歳ゴルファー」、そして「100歳コンペ」を目指してもらいたい。
 私自身は、現在複数のゴルフコンペのご案内をし、会員の皆さんとの楽しい時間を共有させていただいているが、夢の実現が可能な人たちが数名いることを実感している。
 その彼らとプレー出来ることは、私の大きな歓びだ。夢を見るだけで終わることなく、実現に向けて進んでいる人には大いなるエールを送りたい。

 

 

岩崎利明さんのプロフィール

 昭和12(1937)年10月31日、岐阜県揖斐郡生まれ。18歳で家具・インテリアも扱うアパレル会社に就職し、大阪、東京、札幌など国内各地に勤務する。ゴルフを始めたのは札幌時代だった。その後、イタリア、フランス、西ドイツ(当時)、イギリスなどのヨーロッパや中国、香港、タイといったアジア各国に出張し、販促・企画・社員教育などに携わる。ニューヨークとロサンゼルスには計5年滞在した。こうして同じ会社に50年間勤務し、68歳のときに退社。リタイア後、健康維持と良好な交友関係を保つために、ゴルフ三昧の生活を楽しむ。平成3(1991)年に白井の住民に。白井健康元気村に邦子夫人とともに参加する一方、公園整備のボランティア組織「グリーンレンジャー」の活動でも汗を流している。


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