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雪の思い出(後) 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉝

2022-01-13 05:41:41 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉝

雪の思い出(後)

岩崎邦子 

 

 

「うわぁ~、奇麗!」
 思わず口走った。
 カーテンを開けて外を見ると、朝陽に照らされた木々の枯枝が、真っ白な花が咲いたようにキラキラと輝き、昨日の灰色の雪景色とは一変している。
 1月6日の昼頃から降りだした雪だが、関東の地にこれだけ(10センチ?)の雪は、4年ぶりだという。
 ニュースでは、高速道路や主要道路で立ち往生している車や、出勤風景が映し出されており、踏み固められた雪で滑って転倒する人が続出している。「それっぽっちの雪で大騒ぎか」と、雪国の人たちからは、あきれられているに違いない 寒波が押し寄せて来ていたのは昨年末からで、北海道・東北・北陸などは新年になっても冬の大荒れ天気は続き、例年にないほどの積雪量に苦しめられている様子。日本海側の九州や鳥取でも雪景色となって、空の便をはじめ、交通機関に大混乱が起きていた。
 そう言えば、私の生まれた岐阜県の大垣は、東海地方に属しているが、冬の天候は北陸並みの雪に見舞われたりする。大垣市の北西に位置する伊吹山から、“伊吹おろし”と言われる冷たい風と共に雪を降らす。
 北日本の各地に出ていた大雪の警報は大垣にも出た日があった。寒いだろうなぁ、冷たいだろうなぁ。
 戦国時代の小説では必ず出てくる古戦場のある関ケ原町も伊吹山の近くで、東海道新幹線では関ケ原付近の雪が災いして、列車の遅れがしばしば出ることでも知られている。
 子供の頃は日本各地の積雪の状態や状況も知らず、冬になればうんと寒くなること、雪が降ること、そして手や足は霜焼けになるのが、当たり前のように思っていた。
 綿の入った羽織のようもの、ちゃんちゃんこ(どてら・半纏)を着て、家では寒さをしのぐ。最近は暖房器具が整い、暖かい下着や衣類も開発されているので、これらを着たりすることも、見たりすることも無いだろう。 
 当時は寝る時には、布団の中に炭団のあんかを祖母が入れてくれた。居間では炭を入れた火鉢を、みんなで取り囲んだものだ。
 足のついた五徳が灰のなかに埋めてあるのだが、その上に焼き網を置いて、お餅や干し芋を焼いて食べることが、楽しみでもあった。大人たちは、するめや酒粕を焼いていた記憶がある。
 体が温まり、寒さ冷たさから解放されてくると、霜焼けになって赤紫に腫れている手足の指が猛烈に痒くなる。その指をごしごしさすって、血液の流れを促すのだが、追いつかない。
 痛さとの格闘になるが、思い切って木綿針を突き刺して、赤黒い血を出すことが出来れば、痒さも治まってくる。暖かな春が来るまで、姉たちと私は手足の霜焼けに悩まされるのが常であった。
 雪は北海道のようにサラサラとしていなくて、登校の際の凍える手で持つ傘は、ずっしりと重い。校庭では、体操の時間に、ドッジボールの代わりに、雪合戦となるのが子供たちの楽しみでもあった。
 だが、学校帰りに石ころを詰めた雪玉を、私に投げつけられるという、いじめにもあった。後々の大人になってから聞いた同級生の話によると、このことを祖母が学校へ怒鳴りに行ったことがあったという。
 いじめ問題は、いくつもの複雑な理由が交錯して起きる。目に見える暴力的ないじめは、その内容の大小にもよるが、された本人にとっては、それほど気に病んでもいなかったのだが……。
 話は変わるが、温暖なロサンジェルスにも、ディズニーランドの北方にある山に雪が降ることがある。住まいであった市内のロス・フェリズのアパートの部屋から、白くなった山が見られて驚いたものだ。
 早速、マウンテン・ハイ・リゾートへ出かけたが、多くのスキー客がいて、夫も試して滑ったが、雪質はザラザラしたもので滑り心地は良くなかったという。
 広大なアメリカの地、同じ国の中であっても、西海岸と東海岸では3時間の時差もある。カナダ寄りの五大湖の近くにあるウィスコンシン州や、ミシガン州、マサチューセッツ州、ニューヨーク州など、こうした北東部の州では氷点下になり、雪もかなり降るようだ。
 娘たちが住んでいるニュージャージー州は、緯度的には日本の青森か秋田あたりになるだろうか。大雪の警報が出れば、職場も学校も休みになることも。雪が降り始めれば、真夜中であろうが、除雪車が主要道路だけでなく、住宅地の道にもフル活動を始める。
 うるさくて仕方がないが、車移動をする通勤や通学の時間帯に支障が出ることは、ほとんどないという。それから道路の要所要所に融雪剤が撒かれるので、道路歩行の危険度も、あまり感じないらしい。
 東京でこの春からの大学院生活を待ちながら、アルバイトをしている孫娘は、雪の降る都心を経験して、「片手でほんの少し融雪剤を撒いていた」そうだ。
 滅多に雪が降らない暮らしの中では、車をスノータイヤに変えるとか、チェーンの準備をすることや、融雪剤を保有するとか、そんな思いにはなかなか至らない。
 先日の雪のあとでは、我がマンションでは防災に関して、様々な準備をしてくださっている桑原さん(本ブログに「腹ふくるるわざ」を連載)から呼びかけがあって、駐車場付近の除雪作業が住民有志によって行われた。そのためのスコップが、しっかり用意されていたのは、大助かりでもあった。
 雪が降って喜ぶのは、犬と雪だるまを作ったりして喜ぶ子供たちだが、最も嘆くのは、ゴルファーだろう。雪が止み、あくる日がどんなに晴れても、プレーは中止になるのだから。好天に恵まれた冬の青空の下で、大手を振って遊べるのは、ゴルフとパークゴルフである。
 ところで、パークゴルフの発祥地は北海道幕別町だとか。自然が多い地にあって、降雪期にもプレーできるコース設計がされ、屋内パークゴルフ場が何か所もあるという。
 上質の雪に恵まれて、雪の上でのスポーツが出来る人には、雪予報も喜びになる。ニセコスキー場は、札幌から100キロほど南の方にあって、羊蹄山を望む自然豊かな地にある。上質なスノーパウダーで、スキーヤーには、格別に喜ばれるスキー場だ。
 娘が小さかったこともあって、私自身はこの地でのスキーを経験することもなく、息子にそり遊びをさせることが、精いっぱいだった。
 札幌の雪まつりは2月上旬に行われるが、積雪量が問題になることがある。私たちが赴任していた頃は、確実に行われていた。4、5歳の頃の息子は、大通公園で見られる数々の巨大な雪像を見上げることよりも、雪を固めて作られた滑り台に、何度も何度も並んでは滑り、喜んでいた。
 二十四節季の小寒(1月5日頃から)から、大寒(今年は1月20日)までが、寒さのピーク。とはいえ、春の気配があってからも雪が降ることもしばしばある。
 オミクロン株という新型コロナウィルスは、まだ収まる気配さえない。各地における雪のお楽しみ行事の開催も危ぶまれていることだろう。雪に閉ざされた中でも、だからこその楽しみを見つけている人たちに、大いなるエールを送りたい。

 

 

【岩崎邦子さんのプロフィール】 

昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。


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