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「台湾独立」のゴッドファーザー辜寬敏氏逝く 奇しくも二二八記念日の前日に

2023-02-28 11:22:48 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

「台湾独立」のゴッドファーザー辜寬敏氏逝く
奇しくも二二八記念日の前日に

 

 台湾独立のために奔走した実業家の辜寬敏氏が2月27日午前、逝去されました。享年97歳。辜氏の死で「台湾独立のゴッドファーザー」と呼ばれた彭明敏、台湾民主化を切り拓いた李登輝元総統、「台湾独立会」を設立した史明の「四天王」全員が旅立たれたことになります。
 辜寬敏氏は1926年、日本統治時代の台湾・台中州で辜顕栄と日本人の岩瀬芳子の間に生まれました。いわば日台のハーフです。旧制台北高等学校文科を経て、台北帝国大学政治学科に入学。1947年の二二八事件時に危険を察知して日本へ。台湾独立建国聯盟を結成し、台湾青年会委員長を務めています。
 しかし、1972年に蔣経国元総統と密会し、帰国しましたことで、台湾独立建国聯盟日本本部から除名されました。『台湾春秋』『日本文摘』『黒白新聞週刊』などの雑誌を発行する傍ら、日本での台湾独立系雑誌である『台湾青年』に出資するなど、台湾独立への活動も続けていました。
 中華民国国歌が流されるときの起立と歌唱拒否したのをはじめ、2000年4月に台湾独立建国聯盟名義で『ワシントン・ポスト』に自費で意見広告を掲載、「台湾は政党交代を終えた後、独立を宣言すべきだ」と台湾独立を訴えた。翌年11月には『ニューヨーク・タイムズ』に一つの中国政策を批判するなど言論活動を展開。
 2008年に辜氏は民進党主席選挙に出馬しますが、蔡英文(現総統)に敗れています。選挙後、「台湾救助行動連盟」を設立しました。2013年には財産の半分約1億米ドルで「新台湾平和基金」を組織し、文化・教育・社会など3つの委員会を設立しました。さらに貧しい学生を支援するため、600万元の奨学金と150万元の緊急救助金を鹿港鎮公所に寄付しています。「台湾人にお金を返せ」という父親(辜顕栄)の遺言を叶えたというわけです。
 辜氏は2018年12月25日、台湾人が主権の新憲法を制定しようと「台湾制憲基金」の設立を宣言しました。2019年の民進党の総統選予備選挙期間中、蔡英文の対立候補だった頼清徳を支持しましたが、予備選挙後、「民主を守り台湾を守る大連盟」に参加し、蔡英文の再選を支持しています。しかし、蔡の任期2期目が憲法制定に消極的だったことから大統領府資政を辞任しました。
 ロシアがウクライナに侵攻した直後の昨年3月、辜氏は100万米ドルを寄付してウクライナ難民を支援すると発表し、メディアのインタビューで台湾の民衆に向けて、次のように警告しました。
「もしロシアがウクライナに武力を行使する理由が成立すればすれば、同じ状況が台湾で発生する可能性がある」
 ちなみに台湾の対中窓口機関「海峡交流基金会」理事長を務めた故・辜振甫氏は異母兄。日本でもお馴染みのエコノミスト、リチャード・クー氏(野村総合研究所研究創発センター主席研究員、チーフエコノミスト)は辜氏の子息です。

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