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「まちづくり」【連載】腹ふくるるわざ㊻

2023-02-14 07:09:24 | 【連載】腹ふくるるわざ

【連載】腹ふくるるわざ㊻

「まちづくり」

桑原玉樹(まちづくり家) 

 

 

まちづくり家

 この欄では私の肩書を「まちづくり家」としている。シリーズを書き始めた時に編集人から「ところで肩書をどうします?」と聞かれた。会社員とか建築家とかコピーライラ―とかピアニストとか評論家とか、そういう肩書を付けて欲しいとのことだった。
 私は「要らないよ。そもそも無職だし…」と断ったのだが、こういうものには肩書を入れるのが当然というか慣行とのことだ。出版業界のことはわからない。仕方ないので考えた。「都市計画家」というと大げさだし、昔、「Planner」とかっこよく英語で自己紹介してもさっぱり分かってもらえなかった。
「1級建築士」の資格を持ってはいるが、犬小屋しか作ったことがない。結局「まちづくり家」とした。わかったようなわからない肩書だが、自分自身の職歴は「まちづくり」にあてはまるだろうし、まあいいか、と思った。

「まちづくり」とは?

 そもそも「まちづくり」とは何だろう。さまざまな文脈で使われているが、どの辞書には定義が書いていない。また、街づくり、町づくりなど漢字で表記されることもあるが、ひらがな表記が多く使われている。
 調べたところ、「まちづくり」という言葉は昭和27(1952)年に発行された雑誌『都市問題』(東京市政調査會)で初めて使われたらしい。お役人や研究者などを対象にしたお堅い雑誌だ。
 当時は、戦後復興によって人口が大都市に集中したことにより、狭小住宅が増え、住環境は劣悪になっていた。また急激な高度成長によってもたらされた公害や生活環境の変化など、都市問題が増えていた時期でもあった。これらの問題の解決を自治体任せにせず、住民自らが声を上げようという動きがある中で「まちづくり」という言葉が誕生したということだ。
 言葉が作られた当初は、「まちづくり」はハードな意味で使われていたものの、その後時代の流れとともに「身近な居住環境を改善」「地域の魅力や活力を高める」「生活の質を高める」「ルール作り」「イベント」「コミュニケーションづくり」、さては「子育て」など、次第にソフトな意味を持ち始め、豊かな生活をする上で必要な整備を全て網羅する言葉に意味が拡がってきた。だから「まちづくり」といっても、何をやるのかわからなくなってしまった。
 いずれにせよ、お役所がやるのではなく住民や民間団体がやる、あるいはお役所と協議・協働でやるということ、そしてトップダウン型ではなくボトムアップ型であるということは確かなようだ。

2つのまちづくり協議会

 そんな訳で、あちこちにいろんな「まちづくり協議会」がある。わが白井市には2種類のまちづくり協議会がある。一つは「地区まちづくり協議会」。もう一つは「小学校区まちづくり協議会」だ。
 建物の用途や建て方を誘導する、いわばハードな計画を目的とするものと、住民の共助・協働を進めるソフトな計画を目的とするもので、要するに昔の建設省と自治省の領分だ。
 どちらも役所が主導すると反発も出るから住民や地元団体が参加した形をとるようにしたのが「まちづくり協議会」なんだろう。だから協議会の運営や資料は役所がお膳立てする。白井市の場合、前者は都市計画課が、後者は市民活動支援課がそれぞれ所管している。
 しかし、同じ名前だから区別が難しい。白井市の総合計画審議会でも学識経験者の会長が「同じ名称が使われていて、それなりに狙いは分かるのですけれども、多分混乱される方もそれなりにいらっしゃると思います。この二つのまちづくり協議会というのがどういう意味を持っていて、それぞれのあり方について、担当の方はどのようにお考えになっているか、お聞かせください」と質問されている。

地区まちづくり協議会

「地区まちづくり協議会」について白井市のホームページには次のように記載されている。

《地区まちづくり協議会は、地域のみなさまで結成される地区まちづくりを推進するための組織です。地区まちづくり協議会では、まちづくりの方針や建物に関するルール等について地区内で話し合いを重ね、合意した方針やルールを地区まちづくり計画の素案としてまとめる等の活動を行います。》

 要は、良好な住環境づくりを進めるため、住民が主体となって地区の実情に即して地区のまちづくりの方針を定め、土地利用の仕方や建物の用途・形態等の制限を含めた計画を定めるということだ。白井市内では17か所で定められている。


▲白井市「地区まちづくり協議会」

 

 わが家の近くの富ヶ谷地区にもまちづくり協議会がある。ここは千葉ニュータウン開発区域から除外された区域であり、市街化調整区域で大部分が農業振興地域農用地区域だ。白井市は北千葉道路のインターチェンジ周辺で開発を誘導しようと都市マスタープランを描き、市場調査を行った。

 ▽恵まれた電力インフラと強固な地盤を生かしたデータセンター事業▽白井駅や国道へのアクセスを生かした大型ショッピングセンターなど集客力のある施設▽農的土地利用や周辺の自然環境等を生かしたレジャー施設や観光施設、などを想定して募集したところ、データセンターの問い合わせがあったそうだ。
 つまり富ヶ谷地区の場合は、地区まちづくり協議会で建物の用途や建て方等についての方針や計画を作り、これをもとに市街化調整区域であっても、建設できるようにしようというのが趣旨だろう。


▲南山3丁目と富ヶ谷の「地区まちづくり協議会」


 富ヶ谷のすぐお隣にある「南山3丁目地区まちづくり協議会」では「まちづくり計画」として、次のような事項を定めている。

(整備、開発及び保全に関する方針)
本地区は第 1 種低層住居専用地域として既に周辺住環境との調和が図られた緑豊かな落ち着きのある低層住宅を主体とした土地利用が図られており、現在の住環境を維持・増進するため、建築物とその敷地に関する方針を定める。
(地区まちづくり整備計画)
建築物の敷地面積の最低限度:170㎡
壁面の位置の制限:1.0m以上  
建築物の形態又は意匠の制限:建築物の色原色や刺激色調周辺環境と調和した落ち着きのある色かき又は柵の構造の制限:生け垣又はフェンス等透視可能
緑化率:敷地面積の10%以上
敷地の管理:最低年2回の草刈をする 
駐車場の設置:位置に配慮し、周囲に迷惑をかけないように努める。

 このように,ハードなまちづくりとして建物の建て方についてけっこう事細かに定めている。余談だが、建築物の最低限度を170㎡としていることなどは、ニュータウン開発当初330㎡(100坪)で分譲された大区画の土地であっても、相続が生じた時に半分の165㎡(50坪)に分筆できないので、売るに売れなくて困ることになるだろうと、心配している。

▲地区まちづくり整備計画の例

 

小学校区まちづくり協議会

 一方、「小学校区まちづくり協議会」ができているのは白井市ではまだ3か所だ。白井市のホームページに掲げてある目的等を要約すると次のようになる。

 小学校区まちづくり協議会は、地域の団体や市民が、防犯・防災、コミュニティーづくり、健康づくり、青少年の育成などの地域の課題について考え、課題解決に向けて協力・連携、役割分担して取り組んでいく小学校区を単位とする組織。「まちづくり計画」として分野ごとに事業を立案し、継続的な活動により、地域の特性をいかした住みよい地域を実現する。
 
 どちらかというとソフトなまちづくりだ。その一つ大山口小学校区まちづくり協議会では、地域の課題ごとに8つの分野を設け59の事業を掲げている。例えば次のような事業だ。

・防犯マップの作成
・通学時の⾒守り活動
・⼦どもの居場所・集いの場づくり
・認知症予防講座の開催
・花植え活動の推進
・公園美化清掃の実施
・交流サークルづくり
・地域⼈材登録、サポーター制度の運⽤

 

▲白井市の小学校区

▲白井市「小学校区まちづくり協議会」の組織イメージと活動例

 

虹と雪のバラード

「虹と夢のバラード」。言わずと知れた昭和47(1972)年に札幌で開催された冬季オリンピックのテーマソングだ。多くの歌手が歌ったが、何と言ってもトア・エ・モアが歌った「まちが~できる~ 美しいまちが~」が深く印象に残る。
 部分的に書くが、次の歌詞だ。オリンピックを契機に「まちができる」「生まれかわる」という夢が感じられる傑作だ。


虹と雪のバラード(抜粋)

 トワ・エ・モア

作詞 河邨文一郎

作曲 村井邦彦

 

虹の地平を 歩み出て

影たちが近づく 手をとりあって

町ができる 美しい町が

あふれる旗 叫び そして唄

 

ぼくらは書く いのちのかぎり

いま太陽の真下に

生まれかわるサッポロの地に

きみの名を書く オリンピックと

 



▲「虹と雪のバラード」


南山小学校区まちづくり協議会

 さて、つらつら書いてきたが、私が住む南山小学校区でもまちづくり協議会を立ち上げるべく、白井市市民活動支援課の指導を受けて準備が進められていると聞いた。

 南山小学校区の多くはニュータウンで開発された地区だから、新たに「まちが~できる~ 美しいまちが~」ではないが、既にできている美しいまちを維持し、高齢化が進む中で地域生活を向上させていくことが目標になるのだろう。

 当欄でも紹介したが、私は南山公園の雑草等を除去するグリーンレンジャーの一員でもある。また冒頭に書いたように「まちづくり家」を自称する羽目になった。機会があれば、協力して、新しい「虹と夢のバラード」を描きたいと少し気を引き締めた。

 

 

【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】

昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。


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