【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(55)
続・ジョークでビジネスを円滑に
英国、イタリア
小学校時代、毎週土曜日は授業が終わると一目散に家に帰っていた。私だけではなく、私が育った大阪の子供たちの多くがそうだった。当時大人気だった「吉本新喜劇」を見るためである。
「そんなことばっかりしてたら、ヨシモトに売るで!」
嘘かホントか、子供たちが親の言いつけを聞かなかったり、悪さをしたりすると、母親達は子供を脅していた。
吉本新喜劇を見なくなって久しいが、今でもお笑いは好きだ。しかし、好きなのは、落語や講談、ヤスキヨのような昔の漫才で、最近のおどけた仕草やつまらないギャグばかりの漫才には興味が無いどころか、見ていると不愉快にさえなる。
テレビでナントカ漫才選手権のような番組を見ていると、会場を埋めている殆ど女性ばかりの観客達や審査員を務めるベテラン漫才師達は大笑いしているのだが……私には何が面白いのかさっぱり分からない。年をとってしまって、現代の笑いのツボが理解できなくなってしまったのだろうかと少し心配になってしまう。
さて、笑いのツボは国と文化によって異なるが、私が好きなのは、英国のユーモアセンスだ。真面目な顔つきでポツリと繰り出すユーモアは、皮肉、風刺、自虐、嫌みに溢れ、ブラックユーモアも多い。
聞いたその時には、意味がよく理解できず、少し間を置いてから、クスリ、或いはジワリと笑いがこみ上げてくるようなパターンが特徴的だ。英国でテレビのコメディー番組をよく見ていたのだが、何故人々が爆笑するのか分からず、悔しい思いをすることが常だった。
理解できない理由は、ヒアリング能力が不足していることだけではなく、歴史やその時々の事件、風潮、登場人物のプロフィール、政治状況などが分かっていることが前提で話が進められるからだ。
日本人は英語のジョークで3回笑うという有名なジョークがある。
「一度目はそのジョークを聞いた時に(追従笑い)、二度目はその意味を隣の日本人に聞いた時に、そして三度目は家に帰って、その意味を理解した時に」
事程左様にリアルタイムで聞くジョークを理解するのは至難の業だが、日本語に翻訳されたジョークなら気楽に楽しめる。こんなジョークはどうだろう。
〈白昼堂々、素っ裸の女が銀行強盗に入った。誰も彼女の顔を覚えていなかった。〉
〈ある母親が息子に尋ねた。「ポール、あんた、私が悪い母親だと思うかい?」息子は答えた「母ちゃん、ボク、ジョンだよ」〉
〈妻「あんたなんかもう出て行け!」
夫が荷物をまとめて家を出ると妻が後ろから叫んだ。
妻「あんたなんか、散々苦しんでゆっくり死んで行けばいいのよ!」
夫「えっ? それって、帰って来いって意味かい?〉
〈夫婦喧嘩は妻の一言で終わるべきである。夫が何か付け足せば、また新しい口論が始まる。〉
〈「今度の夏休みのことで女房と喧嘩になってしまったんだ」
「またかい。で、今度は何が原因なんだい?」
「オレはパリに行きたいって言ったんだ」
「奥さんはパリじゃ不満なの?」
「いや、違うよ。女房が一緒に行くって聞かないんだ」〉
▲英国人(英連邦を含む)は自虐ネタが大好き
「ナオユキ」というお笑い芸人をご存じだろうか。日本では少なくなった漫談だが、客席を相手に一人でしゃべりかける、いわゆるスタンダップコメディーの芸人だ。ベレー帽を被ったナオユキは、ウイスキーの水割りのグラスを片手に、陰気なアコーディオンのメロディーに合わせて、主にバーや小さな居酒屋で芸を披露する。
ナオユキは、上に紹介したような英国的なひねりの利いたジョークを大阪弁で淡々と語る。YouTubeで「ナオユキ」と検索すると、いくつか動画が見つかるので、興味のある方は、是非どうぞ。日本のお笑い界では貴重な芸人で、一時私は「ナオユキ」にすっかりはまってしまった。
▲スタンダップコメディー芸人「ナオユキ」。大阪弁で切れ味鋭い英国のジョークのようなネタを連発する
さて、ドーバー海峡を渡って、フランスを通り過ぎ、イタリアに足を伸ばしてみよう。イタリアに関するジョークは、英国とはかなり違う。キーワードは、ヘタレ、弱い、直ぐ逃げる、美食…などだが、これらの特徴を表すのに、何故か戦争にまつわる話が多い。
イタリア軍が如何に弱かったか、イタリア軍の備蓄品は、武器弾薬より食料とワインの方が多かった、戦闘より食事の方が大切でどんなに激しい戦いであっても昼食の時間になると戦争は一時お預け、といったジョーク、或いは実話は枚挙にいとまがない。
〈進軍は1週間、退却はⅠ日〉
〈砂漠の作戦で貴重な真水を、スパゲッティを茹でるために浪費したあげく、降伏に追い込まれた(この話については、日本軍も貴重な水でご飯を炊いていたので他人事のように笑う訳にはいかない)〉
〈イタリア軍の戦車のギアは、前進1段、後進5段〉
〈第一次世界大戦時、あるイタリア兵士がドイツ軍の捕虜になり、椅子に縛り付けられて拷問にかけられた。その兵士はどんな厳しい拷問にも屈せず、口をつぐんだままだ。「敵ながら天晴れ」と、ぐったりとした兵士の縄を解いてやると、彼は軽やかな身振り手振りで訊いてもいないことまでペラペラとしゃべり始めたではないか。ドイツ人はやっと気づいた。「大事なことを忘れていた。イタリア人は、身振り手振りしながらでないと喋れないんだ!」〉
▲イタリア人は手を縛られると離すことができない
〈英国軍のパイロットがイタリア軍に捕まり、捕虜になった。その兵士は、牢獄に届けられた夕食を見て真っ青になった。何しろ、前菜、パスタに肉料理、デザートにワインと英国人である彼にとっては不自然に豪華なものだったからだ。「これが最後の晩餐というやつか…明日の朝きっと処刑されるんだ…」翌朝、牢獄の前に、高級将校が従卒を伴って現れ、真剣な表情で何事かをパイロットに話しかけた。彼は、やはり銃殺されるんだ、と観念して下を向いていると従卒が将校の言葉を通訳した「昨日は間違って将校である貴殿に一般兵卒の食事を出してしまった。決して捕虜虐待のつもりはない。私の顔に免じて看守を許してやってくれないか?」〉
▲日本では食事の前に「いただきます」と言うが欧州各国では何と言うか? なぜか英国の食卓だけが…
イタリア軍は、弱い軍隊の代名詞として使われることが多い。イタリア人にしてみれば、「無礼極まりない!」と怒っても不思議はないと思うのだが、心が広い、というのか、イタリア最弱伝説を結構楽しんでいるようだ。
その伝説を基に日丸屋秀和という漫画家が『ヘタリア(ヘタレのイタリア)』というイタリアを擬人化した漫画を書いている。娘が高校生だった頃に、借りて読んでみたのが報復絶倒、夢中で読んだ。
イタリアのことをボロクソに描いているのに、イタリア人にも自虐ネタとして結構人気だったらしい。余談だが、『ヘタリア』と同じように韓国を擬人化して『恨国』という漫画も出版されたのだが、こちらは韓国から猛烈なクレームを受けで大騒ぎになった。
▲『ヘタリア』
私は、英国人も好きだが、イタリア人も好きだ。誰かが言っていた。
「生まれ変われるとしたら、金持ちでイケメンのイタリア男が 良い!」
そりゃ、人生楽しいだろう。同感だ。
【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。