【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(67)
ようこそ、ジェントルメンズ・クラブヘ
ロンドン(英国)
英国の由緒あるジェントルメンズ・クラブ(G. C.)は、18世紀半中頃から19世紀にかけて、ロンドンの中心部、シティ・オブ・ウェストミンスターのセント・ジェームズ地区にあるPall Mall通りに集中して設立された。
Pall Mallの日本語表記は、パル・マルと書かれることもあるが、英国式の発音はペル・メルである。もともとこの種のクラブは17世紀半ばにシティーを中心に乱立していたコーヒー・ハウスに集まる人たちのなかで、社会的階級、教養、思想、習慣などの共通項を持つ者たちが、共同出資して、居心地の良い自分たち専用の空間を作り始めたのが起源だ。
クラブ内部には食堂やバー、談話室、喫煙室、図書室、ビリヤードルーム等に加え、宿泊施設が備えられていることも珍しくない。クラブに入会するには、現クラブ員の複数からの推薦、収入、学歴、家柄など厳しい審査に合格しなければならないが、入会後もクラブの雰囲気・空気を乱さないことが肝要だ。
クラブでは、芸術、政治、経済等の堅い話ばかりしていた訳ではない。商売、株の動向、会員のゴシップなども格好の話題である。更に、無類の賭博好きである英国人だから、カードやビリヤードの賭けで見栄を張り、破産の憂き目に遭う輩も昔は結構いたそうである。
映画『80日間世界一周』でもジェントルメンズ・クラブで賭けをするシーンがあったことをご記憶の方もいらっしゃるのではないだろうか。単なる金持ちとジェントルマンは違う。いくら金があっても、当意即妙の気の利いた会話ができなければバカにされる。サビル・ロウの仕立ての良いスーツを着ていても、しっかりとしたマナーが伴っていなければ軽くあしらわれる。
しかし、心配ご無用。ジェントルマンでなくても、中流階級、労働者階級にも趣味やスポーツ、単なる飲み仲間といった様々な「クラブ」があるのだ。大切なのは、前述のように、モノの考え方や習慣を同じくする者たちが気分良く集まるということだ。
階級社会の英国では、出身階級によって話す言葉も発音も違う。日常生活の習慣も興味の対象だってちがう。いろんなことが違う人たちと一緒にいても、居心地が悪く、疲れるし、楽しめない。だから、似たもの同士が集まって「クラブ」ができる。これは、現在世界を席巻している多様性礼賛の風潮の対極に位置する考え方に思える。
そういう意味で、古来文化的同質性が高い日本社会では、英国のような「閉鎖的な」クラブ文化が芽生えなかったのだと考えるのは短絡過ぎるだろうか。コリン・ジョイスという英国人作家の「イギリス社会入門」という本に英国の社会階級の違いについて書かれていたので、ざっくりと要約してみた。
2組の夫婦が車に乗るとき、労働者階級だったら運転席と助手席に男2人、後部座席に女性2人。中流階級だったら、前列に1組の夫婦、後列は別の1組の夫婦、上流階級だったら、夫婦のペアが入れ替わって前列と後列に2組の夫婦が別々に座る。
労働者階級の男2人はフットボール(英国ではサッカーとは言わない)の話に興じ、女2人はバーゲンセールの話で盛り上がる。中流階級は何処に行くのも夫婦の絆を最優先に考え(注:この文の意味が私には良く理解できない)、そして上流階級は、いつも他人と会話をする訓練をしなければいけない…。
どんな場面でも、どんな人とでも打ち解けて話ができなければならないからだ。で、それぞれの行き先はパブ、レストラン、そしてカントリーハウス(たぶん狩猟のため)である。
英国で弁護士や会計士などと仕事をしていると、彼らが所属するジェントルメンズ・クラブに招待されることが結構あった。最も印象に残っているのは、会計士のT氏が案内してくれた ’THE ATHENEUM’ (アテナエウムクラブ)だ。
このクラブは、1824年に設立され、メンバーには主に科学、工学、文学、芸術等の分野で偉業を達成した人物の名前が並ぶ。壁に並んだ歴代メンバーの写真に圧倒された。メンバーの内ノーベル賞受賞者は51名で、各カテゴリーに少なくとも1名が含まれている。以下のように、日本人にも馴染みのある有名人が名を連ねている。
・ローレンス・アルマ・タデマ卿(「アラビアのロレンス」で知られる。1836 – 1912)
・チャールズ・ディケンズ(1812 - 1870)
・チャールズ・ダーウィン (1809- 1882)
・ジョセフ・マロード・ウイリアム・ターナー(1775 – 1851)
・ユーディー・メニューイン (1916 – 1999)
・テリーザ・メイ(1956 - )(元英国首相)
‘The Atheneum’ のクラブハウスは、新古典様式の壮麗な建物で、アテネのパルテノン神殿を模したドーリア様式の柱廊玄関の上には、クラブの名前の由来である女神アテネの像がある。
私たちは、5月の美しい午後の光を浴びながら、ウォータールー・ガーデンを臨むバルコニーでおそい昼食をとった。初めてのG. C.での食事なので、少し緊張した。
天候、仕事の話題、欧州各国の国民性など障りのない話が続いた後、ワインで少し酔っ払った私がシベリア鉄道でロシアを横断してスペインに渡った時の冒険談を話すと予想外に盛り上がったのを懐かしく思い出す。
▲The Atheneum(1830年撮影)
▲The Atheneum(2006年撮影)
▲The Atheneumの図書室
世界中でファッションはどんどんカジュアル化している。英国も例外ではない。それでも由緒あるジェントルメンズ・クラブでは、今でも厳然とドレスコードが存在する。例えば、THE ATHENEUM(アテナエウムクラブ)のドレスコードは次の通りのとおりだ。
【ドレスコード】ほとんどの場合、男性はジャケット、襟、ネクタイを着用し、女性は同等のフォーマルな服装をするよう求められる。朝食時のみ、男性はジャケットとネクタイの着用を免除されるが、宗教的、伝統的、または正式な民族衣装とサービスドレスの制服は許可されている。メンバーとそのゲストは、スポーツ用ではない(注:スニーカーはダメ)落ち着いた色合いの柔らかい靴を履いてもよい。デニムやスポーツウェアの着用は一切禁止。
実は……私も‘The London Capital Club’というクラブの会員だった。これは、ジェントルメンズ・クラブに次ぐステータスのプライベート・クラブと呼ばれるもので、私は法人会員の代表者として会員登録されていたのである。
金融街シティーの中心部に位置するこのクラブは1910年に建築された美しいビルにあり、伝統的な英国様式の内装も素晴らしかった。大切なお客様や日本からの出張者との食事、大事な会議など特別なイベントには、このクラブのレストランや会議室を使うことも。そんなときは、子供じみているが、なんだか高揚した気分になったものだ。
▲‘The London Capital Club’ のエントランス
▲‘The London Capital Club’ のプライベートダイニングルーム
ところで、Gentlemen’s clubとGentleman’s club は違う。前者は所謂ジェントルメンズ・クラブだが、後者はストリップバーのことだ。日本では、何故か「ジェントルマンズ」と単数で書かれることが多い。もう一つ驚いたことがある。
GOOGLE検索するとき、カタカナで入力してもローマ字で入力しても、ヒットするのは、歌舞伎町や新宿のホストクラブやキャバクラばかりなのだ。それらの中には、The Gentlemen’s clubと定冠詞のtheが付いていたり、gentleman’zと最後のsがzに置き換わっているモノさえある。
検索するときは、…「クラブ」の後に、「イギリス」、若しくは「英国」という単語を付記しないとGentlemen’s clubより、もっとディープな世界を覗き見ることになってしまうので、注意されたし。ま、それもよしか。
【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。