朝刊に「性別変更女性の子 認知認めず」という見出しの小さな記事がありました。
「性別変更した女性が性別適合手術を受ける前に精子を凍結保存し、これを用いてパートナーの女性が二子を出産したのに、区役所に提出した認知届けが受理されなかった」ということで、子ども二人を原告として認知を求める訴訟を起こしたものです。
東京家裁は、これに対して「生物学的には二人の父親と認められるが、法律上の親子関係と血縁上の親子関係は必ずしも同義ではない」と指摘し、特例法に基づき性別変更した女性を父親として扱うことはできないとし、また妊娠、出産していないから母親にも当たらないと法律上の親子関係を完全に否定しました。
なんじゃこれ???
生物学的に父親なら絶対に親だろ!
法律ではそうじゃないという法律がおかしいんだろうが!
サッサと法律を変えんかい!
婚姻・家族関係がこれまでの法律通りに行かないことは分かっているのに、世の中の変遷を取られへ切れない立法府の国会の意味なんてあるのでしょうか。
日本の国会は、あまりにも欧米から遅れてるなぁ~。
多様なアイデンティティを有する人の集合体が国家を形成しているはずなのに、一部の頭の固いおじさんたちが「日本人はみんな一緒の考えだ(変わり者は認めない、村八分ダァ~)」というだけに凝り固まって国民の代表として闊歩している国会議事堂の中では、こうした時代の変遷を捉えきれない、いや捉えたくない人たちが大手を振っているんですね。
未だに…。
この判決文にある特例法は、多分「性同一障害特例法」と「性同一障害者特例法」で「戸籍上の性別記載を変更できる」というだけのもので、性別は変更できても想定外の彼らの子どもにまで言及されていません。
「性同一障害」とまるで彼らを病人扱いしてるのも不思議だと思いませんか。
「自分は男性ではない」とか「女性ではない」とか、体の構造上とは違った意識を持つのはおかしなことでしょうか(それを認めたくないだけなんだろうな)。
男だと意識しているけど、好きなものは「女性マンガ」みたいなのと同じで、別にそれは病気じゃない。
しかし、国会にいる多くのおじさんたちはそれが理解できなずに、病気扱いならいいだろうということでしょう。
戦国武将が「男妾」を好んでいたのは、オカシナお話なんでしょうか。
「男が男を好き」なんてのは、むか~し昔からある話なのに(まあ、この関係にある男同士は性同一障害じゃないからいいのか)。
話は変な方向に行ってしまいましたが、世の中好きになるという感情には男と女だけに限定されるものではないはずです。
しかし、日本国憲法の第3章国民の権利及び義務の第24条〔家族関係における個人の尊厳と両性の平等〕では「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」
と記されています。
つまり、両性(男女)の関係性の中でしか婚姻は維持できないということです。
これ70年以上前に作られたもので、改憲するなら9条をやるより、こっちが先でしょ。
民法なんて明治時代の規定がそのまま残っていて、離婚何かしたら誰の子どもかよう分からんようになって戸籍登録できない子どもが増加してるのに、小手先の法令を作って対処してるからDV被害者なんて、ものすごく苦労しているんですね。
親子関係なんて遺物のような法律なんて関係なく生物学的に「DNA調べて確定した人の子だ」という原則で認知すれば問題ないでしょうに。
婚姻関係の縺れやDVなどで困難が生じた場合には例外はあるけどね。
こういった人間の性の問題を一羽一絡げにして今の法律ができていることが大きな問題で、憲法改正でも国会議員(特に自民党や維新など)は「世界に誇る平和憲法」捨て去って、美味しい利権が発生するかもしれない自衛隊の軍隊格上げ(防衛装備品の大量購入で得られる大きな利権がある)を画策したりするのには熱心なのにね。
国を守ることは必要だけど憲法変えて、同盟国のアメリカに追随して世界に羽ばたく軍隊を常備しようというのは違うんじゃねえか?
太平洋戦争で苦い経験を積んだ日本人は、自国を守るためにだけしか同朋が戦闘して死んじゃうことを認められません。
同盟国アメリカに追随して、日本の隊員が戦死するのも仕方ないと国会議員は考えているんでしょうね。
なんせ「血を流す軍人」を育てたいんだから…。
ことほど左様に、国会にいる訳の分からんおっさんたち(おばさんもいるけど)は、国内の巷の社会問題は小さなことだとホッポといて、利権のためには戦争も辞さない世界の流れだけに注目してるとしか思えないのが嘆かわしい。