桜の季節も過ぎ、新緑の季節がめぐってきた。
今のところ癌の再発は見られず、なんとか日々過ごしている。
他人に割く時間の無為さを知った6年ほど。こんなに回復まで時間がかかるとは痛い代償だった。
その前に訪れた平凡な時間を返してもらいたい。
正月の能登地震以降、他のSNSのチェックばかりをし、時間を取っていたのでここに来てなかったが、僅かな訪問者数があるのに驚く。
書きためた日々を読んで思うところがあるのかね?🤔
横恋慕していたSNSで自分がHSS型HSPという性格かも、と解ってきた。ACも段々解ってきたので性格のメンテナンスに役立てているところ。
ぶれる人間には関わらないようにする。
他力本願な性格な人間は嫌い。自分でなんとかしろ。
春は気を遣って何かと疲れる。自分ペースを守って過ごすのが一番である。
恩田陸著『スキマワラシ』 2023.9.18読了
読み終わって...『恩田さん、タイルの話はどうなったの!?』と思った。直ぐ様、続編があるってことか?と検索してしまった。
つまり、読者がおいてけぼりである。タイルは? ご両親の興味の先は? 覇南子ちゃんのこれからは? 種は覇南子ちゃんの感覚を極彩色にする暗示ではないの? 瓦礫が意味するところは時代の流れ?...いや、たくさん恩田さんに聞きたいことになってしまった。
文庫本だと眼が疲れるようになってしまったのでハードカバーで読んだが、凄いページ数である。
主人公の『僕』が不思議な現象を体験しているがホラーではない。超_能力というのか。 私は体験してみたい現象のなかに『僕』はいた。それでもラストシーンで締め括るにはハテナが残りすぎである...
是非とも続編にお目にかかりたい。
夕方は車の都合がつかないのと、子供が夏シャツを見たいというのでいつもは夜に行く複合施設Aに午後の時間に行った。
そこに行くには一旦国道に出るんだが、国道に出るまでに、数年前にできた地元の複合施設Bに行く渋滞に巻き込まれた...☹️
Bは近いけど、できてから携帯ショップに行っただけ。いつも渋滞してるから全く行く気にならず、古い方のAばかり行っている。よく『東海発』とか『愛知発』とかの有名店が入ると大興奮して行く人がいるけど、私は自分の気に入った範囲でしか行動しないので特に行く魅力も湧かないのである。
Bの渋滞に巻き込まれるといつもうんざりする。地元だから、混み合う曜日や時間帯で そこ付近は避けて通るようにしている。
よく考えたら今日は雨だし、入学時期前だし混む要素は多くあったのだ。信号を通過できないまま青を3回は見送り、自分の後ろも10台以上並んでいるし、Uターンしてもう少し東に出ようか迷った。その交差点より向こうが、東の国道から流入する車でいっぱいだから、私は左折したいのに直進が捌けないのだ。
そう思ってる間に少しずつは進むので結局目的の交差点で曲がったが、引っかかる度に なんだかなあ...と思う。
目的のAに着いたら、ここはここで屋根のある立駐部分は満車。日曜の午後だもんな。仕方なく霧雨のなか屋根のない屋上に停め、店内に入る。
子連ればっかだなあ...日曜の昼間だしなあ...😵
今日は子供が欲しいもの探す間は暇なので、自分の服、服飾、ウェア、文具...と渡り歩いたが、特に欲しいものは無し。 漸く子供がやって来たので、本題の食品売り場に回る。
ここも子連ればっか。
子連れは歩くのが遅いし下手すれば子供が走り回ってるし泣き叫んでるし、回りを見ていないので本当に閉口する。いつもの遅めの時間ならそういう人が少ないのでスムーズに買い物ができるのだが。
少子化で子持ちの人を大事にしないといけないらしいが、このままの推移では社会保険制度も危ういから、大事にした甲斐もないんじゃないかと思われる。
自分世代は電車でベビーカーごと乗らせてもらうなんて行為はご法度だったけど、別に子供は大きくなったし、別に大事にされなかったけどなんとかなってきた。
それよりは周囲の人に譲れるような謙虚な人間を育てた方がいいと思う。結婚しない人も増えている。そういう人から見れば子持ちが何で大事にされるかわからないと思う。社会保険が破綻したら意味のないいたわりだろうね。
家族連れをよけながら買い物をしていてうんざり。この遠慮で世の中が良くなってるのか。私らは子供は特に重要視されず世間に遠慮、今は今で子供のいる若い夫婦に遠慮? 馬鹿馬鹿しいなあ...。 他人さまを退けて自分を通す場合は感謝の気持ちは当然必要だし、気づかないほどでも譲ってくれた相手には遠慮というものが必要だと思うんだけど。
お互い様って、お互いウィンウィンなら言える言葉だと思う。いつか還る? ...いやいや、還らない。そんな人の良い世間ではない。遠慮した者はしっぱなし。『いつか還るよ』という考え方に翻弄されるだけ。
今日は仕方なく午後の時間に行ったが、二度と行かんぞ、とまた思ってしまった。
駅の乗り換えでもそうだが、行動のペースの違う人間をひとつの枠に嵌めようとすることが間違っていると思う。遅い人は遅いところで行動すればいいし、急いでいる人は急いで目的のところに到達させればいい。
お互い周囲に遠慮した謙虚な世の中になって欲しいものだ。