日々の事から

日々のあれこれ
by Kirari

読書記録📖

2020-07-24 22:44:40 | 日記
『イトウの恋』 中島 京子 著   2020.7.24読了

中島 京子さんの小説は大変読みごたえがある。 読むようになって、読みごたえに夢中になり"まだ読んでない本"を探すなかで、この『イトウの恋』 は度々目にとまっていた中の1冊である。
目にとまっていたものの読む気になれなかった。
つまらない恋愛ものなら読んで損した気分にもなろうから。
先日また本屋で目にとまり、今更ながら読んでみようと思ったのだ。
ストーリー展開は面白いものだと思う。
昨年だったか美術館展示が取り止めになった芸術のエロかわいせつか...といった着眼点もある。
(美術館はやめた方がいいよねー。万人が避けることなく目にするものだもの。
本のように、この本を読もうって目指す観点で選べるものじゃない。たまーに、気分悪く帰る美術館ってあったことないのだろうか?
問題提起というよりただの不愉快になっては何にもならないのに。)

ストーリーの殆どは『イトウ』の年上の女性への思慕や恋愛感情が下記連ねられている。それを後年のイトウの子孫がひょんなことで解き明かす手伝いをするというストーリー。
読んでいて、若さゆえはどこにでもあるもんだ、って感じた。イトウの観点は男性が多く持つものな気がする。
何ていうのか、ひたむき?突進型?勘違い?
.
..私は思慮深い人が好きだ。
自分の行く末なるイメージは遠くに持ってもらいたいものだ。
とある若者にそう諭しても全く通じなかったが、『自分のコア』は他人に見せるものではない。
そこに自分の思慮深い面を幾重にも巻き、色んなパターンで関わる必要がある他人に備えないといけないのだ。
短絡的で自分が正しい人間は浅はかだ。一緒にいて白けてしまう。
I.Bという昔の女性旅行家は賢明な判断をしたようにも思うが、姿を眩まされた若者は酒に溺れてしまった。何が疑問かといえば、自分の思い込みの強さなんだが、本人は思い込んでいるから気づく由もない。
遠くから好きな女を見やる。周囲はとっくにその態度に気づいているのに本人だけがそうではないと言い張る。身近にもいたなあ、そういうの。 周囲が白けるのにも気づかず。見ていてバカっぽい態度だからやめて欲しかった。 仕事中でもそうだったから。
そもそも浅はかなんだろう。イトウも自分を擁護していたが。

この本は肝心な部分やこれからどうなる?っていうことが解決せずに終わっているが、それはそれかな。そんなに気にならない。
自分が思わぬのに自然と成り行きがそうなっているいう含みは好きだな(笑)
私も人生で大いに体験している。

次は何を読もうかな。






コメント

いなくなってもかけられる迷惑

2020-07-18 23:04:25 | 他人に思う事。
嫌悪感を何度も書き連ねても、見る人に嫌な思いをさせるな...と思って書き込む回数が極端に減ってしまった。
本当にいつまでも迷惑な想いをさせられる人間関係である。 自分もつまらない状態だと感じるが怒りが消えないのだ。 しょうがない。
未だに怒りがこみ上げると 思考のマイナススパイラルに陥る。 怒りも変わらず強い状態で沸いてくる。 自分では どうしようもなくなるので、心労が相当強いとお察しいただけると有難い。
そもそもが、他人に対する親切心を根底から踏みにじられたことが原因だから、世の中の人間に良い感情が持てなくなっている。 通勤時の地下鉄のマナーの悪い人間たちも増え、益々人に対する好印象は無くなる毎日だ。

とにかく他人にたいして冷たい態度しか取れなくなっている。 下手に親切にすれば同じことが起きる恐怖しかない。 かろうじて、その場に関係ない感情は抑えてはいるはずだから、わざとらしくとも普通の日常の反応はできているのだろうか。
気の毒なのは今後自分に接する人たちである。恨むなら大変嫌な想いしか残らないあいつらを恨んで欲しい。 おかげでもう、私は人を信じられないのだから。


欠けた人たちと一生懸命接していた間は、目に見えてマイナス印象なことを山のように感じても見ないふりをし、気にし過ぎだと自分に言い聞かせて接し、良いところを大袈裟に誉め、長所の方を活かすように仕向けていた。 言うところがないので、このブログでも何度か登場している人間たちである。 職場は仕事が進まないといけない場所だからこっちが譲歩したことは数えきれない。

でも、正直ダメだった。 改善なし。 最初に解っていたことだけど。
毎日自分の気付きを無理にしまいこんでいたからか、ダメだった落胆が恐ろしく大きかった。
良い成果はなく、元々あったマイナスに大きく振り子が振っただけだった。

資質は直らないものなのだろう。 残念な人はたくさんいる。
最初の印象で填まらないパズルは どうしても形が合わないものなので、ずっと合わないのだ。
人間が持つ未熟な部分。 もちろんあって当然なんだが、職場というフラットでいないといけない場で表現するものでないという度合いが解らないやつは進歩がない。
そんなの出したって気をつけて進めても決して良い方へは行けない部分である。 皆、言わないだけで知っているだろうが、どうして私はこんなにはっきり見えて気になってしまうのだろう。

過去にも、『他人が自分に興味がない』と大袈裟に嘆く人間がいた。
言葉にはできなかったが、あんたに関わる必要があると言うのか? あんたが言うことを是だと認める必要があると? そう感じた。何度も同じことを言う。 自分はいかに秀でた人間か主張したいんだろうがみっともなかった。
そいつのことを『小さいことで大騒ぎする性格』と表現していた人間がいると人伝えに聞いた。
そうなのだ。
他人が気にもしていないことを騒ぐから、他人はあんたに興味はないって見えるんだよっていう現状が解らないのだ。
時折伝えてみようかとも思ったことがあったが、話すときは『自分は正しい。周囲がおかしい』塊となっていたから、そういうマイナス部分は本人には伝えられる状況では無かった。 しょっちゅう そう違和感持って見ていたけれど、そう直接言う機会はなかった。

やっていけてると見えてメンタルにくる人間は、そういう部分がネックのパターンも多くいる。 自分では気づけないようだし、まあ、別にどうでも良いから、こちらも否定的なこと言うではないし。
つまり、永遠に良くはならない。
悩まなくてもいっそ、そういう気になることばかりある人たちだけの職場を誰かが作れば良いのにね。
テーマを絞るのに苦労しそうだけど。
細かいことに執着していられない職場にはそぐわない。 他が迷惑を我慢しているのだ。
実際、細かいことを片付けているようで、結局やらずに誤魔化した部分もたくさんあったと聞いている。
きちんとしないといけないところで、杞憂があるから念を押しても『これで良いんだ』と主張してごり押し。 周囲はそんなのに巻き込まれたくないから協力的になれない。
周囲はそういうことが起きないように進んでいるのを わざわざ掻き回す。 スムーズにいくことが、その人物が行くとこじれるってあるでしょう? あれだよね。 本当にやめて欲しい。

自分が世界の中心にいるから周りをおかしいと感じる。 他人に『周りを見て』と忠告されても自分が大事だから気づけない。 周りを見る意味が解っていない。
『自分が被害者』と常に思うから、周囲に反感ばかり持っているのだ。 自分の主張を通すのに夢中で他人の時間は浪費しても気づかない。

最初は無駄に付き合わされた時間を記録していた。 こっちの仕事が進まないことは気にも止めないから。 だんだん それも記録できないほど依存してきた。 メンタルの医者はどうなんだろう? 絶対会社に合わない人間も『あなたの言うことは間違っていません』と宥めて薬を処方するのだろうか?
それは『いい先生』って言われるのだろうな。自己肯定感を持たせてくれるんだもの。
医者は病院だけの付き合いだからいいよね。 会社はそうはいかない。 進むことがスムーズではなくなるんだから、こっちにストレスが溜まる。
奴らの考えで日常を過ごすと、どうしようもない殺伐とした世の中を造り上げていくこととなるのに気づかないのだ。 収拾がつかなくなってしまうというのに。

こう書くと反感を持つ人間がいるはずだ。 けれど、自分が思うよりもっと自分を磨かないといけない場面って世の中に多いはずなんだよ。 基盤作りの間違った人たちもたくさんいるのだ。
うまくできない人間は周囲が何とかしてるからできていることもあるが、知っているかな? そして周囲の人間は評価されないんだよ? 迷惑だよね。
少し欠けてても努力して程度を保っている人がいるのに、そこに到達できていないことには気づいていなくて文句を言う浅はかな輩。 周囲が挙げ連ねずに大目に見てくれてることもあるんだよ。
状況は一概には言えないのだ。


しかし、本当に、疲れた...。 感想はそれだけだ。
事情を知る人はいつも私が体調を壊すことを心配してくれた。 『やりすぎだよ』と言わず、私の負担になる...という言い方をみんながしていた。
なんとかなると思っていたから自分の健康を犠牲にしていたが、事態は好転せずに破滅へと向かっていただけだった。
他にもちょろちょろと不協和音が聞こえていた職場だ。 可能性があるものは何とか好転させたかったがな。 悪くさせていく人間がいたから土台無理だったのだけど。

ダメージは癒えるのだろうか...
いのちは尊いというが、私のいのちは別に無くなればそれまでのことと考える。 生きて何をしていく意味もないし、たまたまこの期間ここで生きただけのこと。
世の中に望まない出産があるらしいよね。 そんな実態にあきれる。 まあ、私の存在だってそんなもんだ。 生まれたのは普通の家庭だが、私という存在は認められた記憶がない。 兄の存在が絶対でこっちが秀でていても殆ど無視だったな。 慣れない子育てで気張った両親の苦労は誉めるべきかもしれないが、誉めてもくれずに育った自分は凡人だし命の重さは感じない。 その後に実績も名誉も何か成果物があるでもないしなあ。 早くこの世から消えたいものだわ...
面白いことにそんなに親の期待を背負った愚兄は、生活力がなく、社会適応能力もない。
認められなかった自分は鳴かず飛ばず。 そのうえ、生活力がない愚兄を10年以上助けさせられている。 親の『人を育てる能力』は無かったということだ。
愚兄が私の不調を自分の生活費感覚と同調させていることに気づいた。 ここ1年、嫌な記憶を棄てるために身辺整理を進めているが、愚兄への援助も絶つことにした。 いい大人さ。どうなったって後悔はしない。 いのちを大事に思わない人間を頼るとこういうことになるっていう典型だろうに。
皆して私を喰い者にして...


さて。 気がおかしくなっている暇はないのでストレスは怒りに変える。 当事者が普通の生活を送っていることは許さない。
殺気を周囲に気取られないように過ごすのが大変である。 コロナのおかげで口許が見えないのが救いである。







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