3日くらい前から金木犀の香りがするようになった。
少し前にぐんと冷え込んだ日があって、このまま冬になるのかな?って思ったけど、今日などは長袖や暖パンでは暑いくらいだ。
炬燵を出すかなあ...なんて薄い毛布にくるまって考えていたが、今日は暑くて寝具で毛布だけじゃ頼りないって思ってた日が嘘のよう。
春は三寒四温なんていいながら、少しずつ温んでいくが、秋は秋で急に冬にはならないものだ。
明日は朝から珍しく雨。電車の駅を出てから歩く時間が長いので億劫な朝になりそうだ。雨靴は補修したので履き心地が楽しみだけど。
庭の秋の虫の声に、暑かった夏の疲れを癒す効果がある。
個人的感想だけど。
また今年もエンマコオロギを誘致することができなかったが、長く生息する虫たちは いい声を聞かせてくれている。何とか命を繋いでいるようだ。
先週は水場を探すトンボが、庭にある発泡スチロールの水槽をホバリングしながらガン見していた。小型のオニヤンマのようなトンボで、珍しいな、と思った。トンボは水を嗅ぎ分けるのだろうが、何キロくらい飛ぶのだろう? 私の家は田んぼからも川からも離れているのだ。
発泡スチロール水槽も、メダカを絶やしてしまってからは、ただ芹が生えるだけの場所となり、バクテリアもうまくいっているか解らない。 産卵してくれたかどうかなあ...
以前、イトトンボが来ていたこともあるので、水のにおいは悪くないのかもしれない。
季節は巡り、平凡な生活が戻りつつあるが、体調が健康に戻るかどうかの正念場なので油断できない。数年前に他人に時間を割いた日々の反動だ。二度とああいう譲歩はすまい、と思う。 鏡を見たときに自分の顔が解らないというのはやはり異常だと思う。脳まで異常細胞が増えていないことを祈るだけだ。
こちらが都合した時間を無駄にさせられ、健康被害が出ているのが全くもって理解できないので、当時の人間にもし出会ったら襲いかかるかもしれない。どうして自分が身体の一部を切り取られ、不自由な身になっているんだろう? 恨んでも恨みきれない理不尽さだ。
しかし、自分に出てしまったものは対処しないと仕方ない。 放っておけば全身に拡がりかねないので対処するしかないのだ。 放っておいたら死ねるか? お金をかける価値はあるのか? と思い巡らし家族に問いかけたが芳しい返事は得られなかった。 すぐ死ぬことはないようでがっかりした。 今まで気を張り詰めて生きてきたから楽になれると思ったのに。死に体ではないが生きることは辛いね。評価されない人間なので特にそう思う。
親も命は尊いと言い聞かせてくれたことがなかったし、育った時代も『お前なんて大勢のうちの一人にすぎない』という風潮だったから、命の大切さなど無いも同然。
もっとひどい症状が現れた時もすぐ死ねないということがわかって愕然とした。結果死ぬだけなのに お金だけかかるわけだ。ガンでなくくも膜下出血とかも思ってなれるものではない。病院通いが何年も続くことは煩わしいし、気力ももつとは思えない。不自由なのに仕事もやめる程でないという中途半端な状態で毎日過ごす。
考えないようにしているが、他人から見たら情けない姿、っていうやつだろうな。 当時負担をかけた私のストレッサーでありながら、のうのうと生きている人間をどうにかしたいと思う。そういうことを考えると自分に還るというが、このままでは酷すぎるではないか。
秋をまた迎えられたのは有難い。 予測通り60くらいまでもって死ぬのかどうか、 もたないのかどうか。
終活状態で困ることはないが、自分の価値はこんなもんか、とやはり呆れる毎日である。