まだ、調理の手順なんて知らなかった。
けれども、小学生にしては母にまとわりついて、家事のあれこれに疑問をぶつけていたのだと、今 思う。
さつまいもを蒸かしていた母が、竹串をさつまいもに刺してみていた。
もちろん、蒸かし加減を確認していたのだ。
もう少し。
少しして、もう一度竹串を刺す。同じ場所に刺す。
子どもとしての感想は、『どうして違う場所に刺さないの?』である。
母が言うには、『穴がたくさんあると、食べる人が気分が悪い』とか何とか。
子どもには理解できず、記憶だけが密かに残っていた。
自分がさつまいもを蒸かしていたら、同じ穴に刺してみたら、さっきの手応えより できあがりが近いのが判るのであった
懐かしい記憶。
そして、何事かを理解できた子ども。
けれども、小学生にしては母にまとわりついて、家事のあれこれに疑問をぶつけていたのだと、今 思う。
さつまいもを蒸かしていた母が、竹串をさつまいもに刺してみていた。
もちろん、蒸かし加減を確認していたのだ。
もう少し。
少しして、もう一度竹串を刺す。同じ場所に刺す。
子どもとしての感想は、『どうして違う場所に刺さないの?』である。
母が言うには、『穴がたくさんあると、食べる人が気分が悪い』とか何とか。
子どもには理解できず、記憶だけが密かに残っていた。
自分がさつまいもを蒸かしていたら、同じ穴に刺してみたら、さっきの手応えより できあがりが近いのが判るのであった
懐かしい記憶。
そして、何事かを理解できた子ども。