日々の事から

日々のあれこれ
by Kirari

知ってる人は判別できるもの。

2023-01-14 17:53:54 | 日記

先日、いつも行く医者に着く直前の信号交差点で信号待ちをしていて、ふと右方の歩行者が視界に入った。

あの帽子、あの上着、...そしてその腰の曲がりかた... 母ではないか?  ああ、そうだ。座れるカートを押している。なぜか、車でも後ろ姿でも、知ってる人は判るんだよね。

杜子春のような幻ではない(笑)  何せ母は健在である。

母は信号が変わる直前で横断歩道に差し掛かるところだったので、渡るのを見合わせる素振りを見せた。私は直進する予定だったが、左折して待機し、母を乗せて家まで送ろうか...それにしては道が狭く待機すると通る人の邪魔になる。

母は、同居してくれている私の弟から運動不足になるから歩いてこい、と言われるとぼやいていた。

それを思えば、大して距離のないところで拾っては意味がない。数秒迷った。

家は近いが、正月は行かなかった。低学年の姪達が興奮してすごくうるさい。あと、弟が叱り続けるから、こっちの気分が落ちるのだ。以前は何度か行ったが、ストレスを感じる家には行きたくない。84になった母の様子は気になるが、信号を確認した様子、買い物の量は大したこと無さそうな様子、風も強くなく天気も悪くない日だから、運動がてら、大丈夫だろうと考えた。

こっちが青信号になったので発進。医者が運良く空いていて、早く終わったら、後を追ってもいいし。

残念なながら、医者が混んでいた。待合室はそれほど人が居なかったのに1時間以上待った。

人混みや空気が閉鎖されやすい空間ではマスクを二重にしているが、長く居たくはない場所なんだけどねえ。仕方ない。

これでは母は帰宅しただろう。そう思って、医者が終わったところで自分はそのまま帰宅した。未だに特に連絡ないから無事に帰ったんだろう。

思ったより危なげない母を見かけて安心した。

会うだけではわからない姿はこういう偶然でしか遭遇できない。腰が曲がってヨチヨチしてても自分で歩く気持ちが大事である。

同居している弟一家には感謝しかないが、私が生活に関われない寂しさはある。

戦前生まれで我慢の多かった学童時代だったそうだが、年を取って好きに生きたら、と言っても決して弛まない。周囲にも強いるのが難点だが、戦争の後遺症と思えば仕方ない話だ。まあ、思うように人生を生きてほしいと願ってやまない。

  


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