
上から8、5,3.5インチフロッピーディスク。


5インチのフロッピーディスク3枚が残っていた。ラベルにはPC-8801mkⅡ(NEC)の8ビットマシン)とシャープのFDDを使用していた。
この大きさでもミニフロッピーディスク...次に出た3.5インチフロッピーディスクは磁気部分がシャッター式となり改良となった。
62と有るので今は昭和97年なので35年前に使用していたが、今では考えられない位、容量が極小だ。
当時の日本技術はNEC、三菱、日立、シャープ、富士通他、集積回路技術は世界最高だったが、いつの間にか中国、台湾、韓国からの輸入となった様だ。
5.25インチ型フロッピーディスク
ミニフロッピーディスクとも呼ばれる。デスクの上に載せるには8インチフロッピーディスクドライブは大きすぎると考えられ、その小型化が要求された。
シュガートが興したメーカーである米シュガートアソシエイツは1976年に、SA-400と呼ばれる5.25インチのディスクとドライブを発表・発売した。
当初は容量が109.4KB(1S、片面単密)と小さく、さらにすでに利用されている8インチ(SA-800シリーズ)ドライブとは物理的にも電気信号的にも互換性がなかったが大いにヒットした。
なお1980年には両面・倍密度として容量を約4倍の437.5KBとしたSA450が発売されている。
また小型化により、コンピュータへのドライブの内蔵も可能となった。また小型化に伴い容量は一時的に減少している。
1978年にApple ComputerのApple IIでは容量100KBのドライブが採用された。
これはSA-400からコントローラ基板を抜いたモデルである兄弟機SA-390。これは、Apple IIではコントローラはアップル独自の物を利用していたことによる。
ただし、実機のドライブ銘板がSA-390ではなく、SA-400のままの個体も多数存在した。
その後、フロッピーディスクはコンピュータにとって必要不可欠なものとなり、広く普及していった。
5.25インチのディスクは1D(片面倍密度)や2D(両面倍密度)などに発展し、2DD(両面倍密度倍トラック)を経て、やがて主流となる2HD(両面高密度)に至る。
日本では電電公社(現在のNTT)が5.25インチ2HDドライブの開発を行なってきたため、発表当時は電電公社フォーマットドライブとも言われた。
これは容量が約1.2MBで、電気的にも8インチドライブと互換性をとっており、8インチドライブからの代替が可能だったのもスムーズな移行につながった。
ごく古いMS-DOS等の5.25インチ2HD用ディスクフォーマットを持たないオペレーティングシステム (OS) でも、これを8インチ2Dディスク用フォーマットで代用できた。
ただし信頼性は8インチディスク同様に問題があり、磁気に弱く、外装も変形しやすく、それに入った磁性体は、常にヘッド部が露出し、さらに磁性体を塗布した円盤の中央部も露出している。
このため保管時は専用の封筒を用いねばならない。また開口部からは常に塵や埃が内部に侵入する危険性があり、その他その脆弱性により取り扱いには相当な注意を払うことが要求されているものであった。
なおヘッドと磁性体は接触製であるため摩耗が心配されるが、これは当時1トラックの連続使用で100万パス(360rpmで46時間)が保証されていた。
また、ドライブが磁性体の円盤中央部をクランプしチャッキングする際の精度やその部分の耐久性も弱点であった。