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ほぼ一週一ネタgoo

2016年の投稿を最後に滞っていたブログを提供元の閉鎖を機に引っ越し。今後の更新は不明瞭。

そうこうするうちに桜が満開

2023-04-11 14:15:57 | 日記

4月8日が母の四十九日で納骨だったので、帰省してきた。桜が満開に近づいていた盛岡を7日の早朝に車で発ち、一路実家の茨城を目指す。

ほぼ満開の盛岡から大体岩手を走っている間は満開で、宮城に入っても結構盛りは続いていた。

朝5時くらいには出ようと思っていたが、うっかり朝3時半過ぎくらいに目覚めてしまったので、洗濯とかしても十分に間に合う。朝食は道中でと思っていたのでゆっくり新聞読んでも余裕。春眠暁を覚えずなんて言ってたのが、そんなの関係なく早朝に目覚めるようになってしまった。まったく年齢というやつはいろんなものを運んでくるぜ。大体睡眠時間は6時間。その代わり昼寝は必須。20分くらいで良いんだけどね。

まだ薄暗い5時前に自宅を出発。途中金成でトイレに入り、とりあえず腹が減るまで走ったら菅生パーキングエリア。

そこでも見える桜がこんな感じ。

そこからまたトイレに行きたくなるまで走り、次のトイレはって、おじさんのトイレの話は誰も興味がないと思うので端折る。

実家に着いたのは昼前。午後には保険の手続きやら相続の手続きやらを済ませねばならぬ。実家のある坂東市は、数年前に市役所を新設して、これがまたなんかバブリーな建物で、どうやらその借金を返すために大変らしい。

翌日の納骨のあと、とりあえず親戚の皆さんに家によってもらってお茶飲んでちょっと話して解散、みたいな予定なのだが、親戚数件だけとはいえ、引き出物とか昼食のお弁当とか、そこら辺を準備するのも結構面倒なものである。まあそれは姉に任せきりなので申し訳ないのだが。

8日の納骨は小雨そぼ降る中、本堂でお経を上げてもらい、墓石の下の空間に骨壺と白い位牌を安置する。板東あたりの骨壺は、全部の骨を入れるので結構大きい。これが関西の方へ行くと、のど仏といくつかの骨を入れるくらいなので小さいらしい。そこら辺は聞いた話なのだが、どこを境に骨壺が小さくなるのか調べてみたい。

これが盛岡に来ると、墓石の下の空間は土になっていて、骨壺からそこに骨をまくようだ。って聞いたんだけど合ってるかな?

関西の方では香典も無くなっているらしく、また、初七日や四十九日も、これは全国的にそうなってるのかも知れないが、葬儀のあと済ませるパターンが主流になっているようだ。

実家で娘と合流し、納骨を済ませ、盛岡に戻る。桜は満開で昨日は高松の池を散歩してみた。

そして今日は四十四田ダムの桜も満開。

桜はどこの桜も桜だな。


突然の機種変

2023-03-13 15:57:45 | 日記

2年ほど使ったスマホの電源が突然入らなくなったのは、3月3日ひなまつりの夜。最初の起動画面のAndroidの文字は出て、振動はあるものの、その先へは行かず、画面は真っ黒。最初はわけがわからず、何度も電源ボタンを長押ししてみる。

振動とともにAndroidの文字と緑色のロボットが登場して、それっきり真っ黒になる、というのを何度か繰り返す。

(・・・こ、故障か・・・)

軽く絶望し、失われるデータはどんなものだろう? などと考えてみる。とりあえず、ホントに故障なのか? なんかの間違いではないのか? 振動はするんだからなんとかならんものか? と、何度か長押しを繰り返していると・・・。

・・・ついにウンともスンとも言わなくなった。

(故障だ・・・これは故障だ! 壊れてしまった!)

さらにネットを調べて、電源を長押ししたり、音量ボタンと同時長押ししたりしても結果は真っ黒。

こりゃ困ったと、とりあえず修理をするつもりで高松のauショップにネットで翌日の来店予約をした。朝イチに行ければラッキーだと思っていたが、ずっと予約が埋まっているらしく、午前中は×印。午後1時が空いていたので予約した。

翌日、店に行くと、案外空いている。予約埋まってるのは嘘じゃないのかしらん? と思うくらいの空き具合だ。

3月のこの時期は、新入学対応で、何かと混雑しているはずの携帯ショップだが、この日は空いていたのだ。

とりあえず電源の入らないスマホを見てもらう。

「ああ、電源入らないですねぇ・・・」

(いや、それはわかってる。そういうコトで来たわけだから)

「・・・ちょっとお待ちください」

・・・しばらく待つ。

「やっぱり電源入らないので故障ですね」

「で、どうすれば・・・」

「機種変・・・ですかね」

「え? 修理とかは?」

修理をするにしても時間はかかるし、データはサルベージできないらしく、まあ、グーグルとかでバックアップしてあるところは復元できると思います、とのことで、しばし熟慮の上180度ターン(これわかる人は「マカロニほうれん荘を読んでる人)、急遽の機種変です。

これまでのスマホ遍歴は、京セラのトルク02(だったかな)に始まって、03、そしてAQUOSセンスになっている。以前は防水で比較的丈夫なものがトルクぐらいしかなかったのだが、次第に防水はデフォルトになってきて、最近は大体の機種が防水になっていたりする。水辺の現場に行くことも多く、水中に落としたことはないのだが、やはり防水であっていただきたい。

auからUQMobileに乗り換えたのは、メールアドレスが持ち運べるようになってからで、それは前回の機種変をしてしばらくしてからのことだった。あちこちのショッピングサイトとかJRとか、とにかくいろいろのところに登録してあるサブアドレスがスマホのアドレスなので、変更するのがめんどくさくて仕方なかったので、家族はみんなUQに乗り換えたのに、オレだけ取り残されていたのだ。

で、お店の人はUQからauに乗り換えても、あんまり金額の変わらないプランもあります、などと薦めてくるのだが、やはり料金は上がってしまうようなので、そのままUQにして、プランもそのまま不便がなかったので継続にすることにした。

問題は機種で、お店の人はひとまずグーグルピクセルとか、Xperiaとか薦めてきた。50も半ば過ぎのオレである。できれば同じような機種にして、使い方もわかりやすいものが良いなと思った。

「AQUOSはありますか?」と聞くと、

「在庫あるかみてきます」とバックヤードへ去って行った。

そしてまたしばらく待つ。

AQUOSウィッシュ2というのがあって、それは、これまで紹介されたスマホより安い。

んじゃ「これ」と言うことで、手続きでまたしばし待つ。

しかしスマホの機種変ってやつはホントに時間食う。不測の事態だから仕方ないのだが。

失意の機種変である。データも上手い具合に復帰できるかわからない。帰り道を散歩がてら帰ろうと思っていたので、カミさんの車は先に帰っている。足取り重く、軽いUQMobileの紙袋を手に提げて、報恩寺のあたりをとぼとぼ歩いていると、

「くらもちさん!?」と声を掛けられた。マスク姿の○河だった。しんちゃんを偲ぶ会の時に会ったのだが、それほど話をすることもなかった。何となく立ち話をする流れで聞くと、中央公民館の美術展を見て帰る途中だという。そんな話から、オレが何でこんなところをとぼとぼ歩いているかという、機種変の話やら、その美術展の鎌田紀子さんの人形作品は旦那そっくりなんだ、という話やら、短い時間ながら結構いろんな話をした。

機種変のデータを復旧させるためのいろいろが面倒だなと、ホントに足取り重かったのだが、久しぶりに久しぶりの人と話ができると、少し気持ちが軽くなった。

で、結局データはあらかた復帰できた。ビバグーグル!

 

 

 

 


2月になっていた

2023-02-09 11:49:46 | 日記

油断するとすぐに日々が過ぎてゆく。ドゥナを訪問してから、その週末には、しばいぬ「表に出ろいっ!」を観て、翌週月曜には岩大の後期の講義を終了し、さらにその週末には旧友じゃんぐるせぶんがやってきて呑み、その翌日の土曜日には二兎社「歌わせたい男たち」を観て、夜には初代中屋仁造「Pink Noise」を観て、翌日曜日は、午後に「徳田憲亮くんを偲ぶ会」にもいった。

週が明けて、菅原初代さんのコレクション展にも足を運び、久々に魔女菅原とお話ししてきた。コレクションは比較的近年かららしいのだが、しみじみと味わい深い作品が多い。大分体調は良くないことも多いようだが、なんとか回復していただきたい。

そして昨日は、念願だったRestaurante Kumagaiにも行ったというのに。

つまり書くネタはいっぱいあったはずなのに書いていないということで、まあそんなもんだよね。

岩大の講義は、最後の発表をする日だった。今期4人の学生が受けているのだが、彼らが作った短い芝居を上演し、最後のまとめを行うのだ。いろいろと話し合いをしながら作ってきたお芝居は、ブラックバイトの話。

居酒屋と覚しき店の終業間際のバックヤードでのお話。今日こそ辞めると3人のバイトが店長に言いに行く決心をするのだが、バイトリーダーみたいな人に上手い具合に2人が懐柔され、残った1人はどうするのか? といったお話。

観客が誰もいないとつまらないので、誰か見に来てくれる人を連れておいでと言ったのだが、お友達は1人だけ。まあこれもいないよりはずっと良い。それからオレのお世話係の先生が、当初は見に行けないとのことだったのだが、急遽見に来てくれることになり、お客さんは2人。

直前のリハーサルはかなり、というか、過去一くらいにボロボロだったのだが、本番は奇跡のように上手く流れ、観ていたお二人も面白がってくれた。

これも観客がいるからの効果でもあって、誰も観ていなかったらこうはいかなかったかも知れない。

 


奇遇

2022-05-13 19:41:22 | 日記

ずっと前から知っているけど、入ったことはない、というところがあちこちにある。長年続いているのだから、続いているだけの理由があるだろう。まあ、そういう理由を知りたい、といった謎解きをしたいというわけでもなく、とにかく行ってみようということである。

そんなお店の一つが、盛岡から西根に向かう途中にあるハンガリー料理のお店「ドゥナ」。

そして現場の仕事で前は通るものの、入ったことはない「七時雨鉱泉」。たまたま西根の方に用事があったので、この二つを制覇してみようと思った。これは先週の「里の駅おぐに」と「横沢温泉」に続くものである。

「ドゥナ」に入ると先客が三名ほど。ランチメニューは二つ。「ポークシチュー」と「チリシチュー」とのこと。「ポークシチュー」を注文して一息ついてトイレに立つ。店の中には様々なハンガリー関係の調度や人形などが置いてある。こぢんまりとした店内は、一人で切り盛りするのにちょうどいい大きさだ。

トイレから戻ると、座った席の後ろ側に、やたらと存在感のある人形が座っている。中東の人とおぼしきおじさんだ。

「ん?」と思う。息づかいさえ聞こえてくるような、このたたずまいと迫力。この作風には見覚えがある。もしかしてこの人形は・・・。

2004年に架空の劇団で上演した「月下の一群~震旦篇」には、李白が登場する。元々は登場人物全員分の人形を使った演出をするつもりで、誰か人形を作る人いないだろうかと探していたところ、当時シルクロードをモチーフにした作品で注目を集めていた人形作家がいた。

なんと、その人形作家はとてもよく知っている演劇人のお母さんで、なんというか、話がつながり、李白人形を作ってもらうという流れになった。いろいろとお話を伺ってみると、とても芝居で使う人数を作れるような簡単なモノではなく、それこそ魂を削ってその人物と世界に入り込んでつくりあげていくという。

道理でとんでもない迫力なわけである。結局李白人形は、開演前の舞台で観客を出迎え、舞台を見守るという役割で客席に鎮座し、終演後はまた観客を見送る、という役割を果たしてもらうことになった。

早世した人形作家の彼女の作品は、いろいろあって、ほとんどが所在不明となってしまっていた。

「ポークシチュー」が運ばれてきた。

思い切って聞いてみる。「この人形の作者ってもしかして・・・」「早くに亡くなってしまって・・・彼女とは同い年なんで・・・」「八木さんですか?」「ご存じなんですか?」

かくかくしかじか、シルクロードから中国へと道のりをたどって「李白」人形を作ってもらったという話から、いろいろとお話を聞いた。

こんなこともあるのだ。ずいぶんと昔から知ってはいるものの、入ったことのなかったお店に入り、長く会うことのなかった魂の人形に出会うことが。まさに奇遇である。

ランチはといえば、サラダとスープとセットで、さらに食後にデザートとコーヒーが付いてくる。少し風変わりだがホッとするような味付けで、とても美味しくいただいた。

再訪を決心して店を出た。

なんとも言えない感慨を抱きながら西根の奥へ奥へ。寺田の集落を通り過ぎ、七時雨鉱泉へ。ちょっと前まで「老人憩いの家」という名前になっていたのでなかなか入りづらかったのだが、以前の名前に戻ってから、いつか必ず入りに来よう、と思っていたのだが、やはり、ここを目的地にしなければ、なかなか来られない。

冷鉱泉なので、沸かしている。源泉はわずかずつ蛇口から垂れていて、循環はしていないらしい。蒸気かなんかで沸かしているようで、源泉100%だ。ちょろちょろと湯船に流れている冷たい源泉を手のひらに受けて、味見してみる。舌がビリッとする。そして少しの塩味。かなり濃い。卵臭もなかなかに強く、効きそうな湯である。二人ほど年配の先客がいて、その客が上がると、あとから二人入ってきた。貸し切りではないが、ゆったりと入れた。

湯上がりに座ってスマホをいじっていると、先に上がったおじさんが「スマホ・・・」とつぶやく。「ん?」と顔を上げると、目が合った。オレも大概おじさんだが、目が合ったのはおじいさんと言ってもいいおじさんだ。

「スマホ・・・誰かに習ってるんですか?」

「いやいや、別に習ってるわけじゃなくて・・・」

「ああ、自分で・・・インターネットつながってるんですか?」

「ああ、まあ、電波の届くところであれば、ネットつながってますけど・・・」

なんだかよくわからない会話になっているが、実際そうだったのだから仕方ない。話をしていると、どうやら最近スマホに変えたらしく、動画を見るとギガが減るのが早いらしい。

まあそりゃそうだよね。Wi-Fiでもつながってないと、そりゃギガ食うよね。

こういうところで、大して気を遣うこともなく話せるようになったのは成長であろうか・・・ひとえに年齢である。まあ、オレどこに行っても道聞かれたりする方だからね。