今回の1月八芝高校演劇企画は、新作を上演してみようということで、春くらいから、第9代もりげき王の榊原明徳くんに台本執筆をお願いしていた。この企画を思いついて、さて、誰に頼もうかと考えていた頃に、たまたまもりげき2階のロビーで会ったので「こんな企画を考えてるんだけど、高校演劇書いてみない?」と打診したところ、即答で「いいっすよ、やりたいです」と言ってくれた。出演者3人くらいで、全員女の子か、まあ、1人くらい男の子がいてもいい、という感じで。
この、3人という人数は、高校演劇の大会でも使いやすいんではないかな? という人数を想定している。少子化の影響もさることながら、演劇部は伝統的に弱小である。各学年に1人ずつなんてこともざらで、学年に2人いれば御の字、みたいな演劇部も少なくない。そして大体女子が多い。そんなところでもなんとか出来るんじゃないかという人数にしてみたのである。出来れば、何年かのちに、八芝発の高校演劇戯曲が、大会で上演されるのを見てみたい。そんな思惑も含みつつ立ち上げた企画なのである。
2015年度から「いわて高校演劇秀作選」と銘打って、県大会の上位校に出演してもらうこと3年、これは年明けすぐ、冬休み期間中の日程だったので参加しやすかったようだ。2018年度は、始業式あたりの日程に重なってしまいそうなので、ガラッと内容を変えて、10年前に東北大会に進出した盛岡一高のOB、劇団ちりぢりを率いる藤原瑞基くんにお願いして「みんなの美学」を再演してもらった。
2019年度は「いわて高校演劇秀作選」に戻り、盛岡市立高校に2本立てで3日間上演してもらった。
続いて2020年度、実際の上演日程は2021年1月。そう、コロナ禍の中であった。このときは、2020年3月、突然の緊急事態宣言の影響で中止を余儀なくされた「いわて銀河ホール高校演劇アワード」のリベンジとして、山本昌典作「ひとはた」を上演することになった。
2021年度は、「いわて高校演劇チャレンジ!/リベンジ!」として、県大会に進めなかった学校に、ブラッシュアップしての上演機会を作る目的で開催。しかし、日程を2022年の1月末にしたところ、模試の日程とかぶってしまい、参加校が盛岡市立高校のみ、上演も1日と、苦しい台所事情になってしまった。
そして2022年度はチャレンジ!/リベンジ!継続で、3校の参加があった。ここまでは、なんだかんだと参加校が手を上げてくれたので、なんとか継続できた。
ここで多分ちょっと油断したのかどうなのか? 2023年度は、事前に問い合わせが数校あったので、多分大丈夫だろうと思っていたら、締め切り1週間延ばしても、参加表明は0! これは困った。急遽差し替えの企画で「ひとりのふたり」と題して、全国学生演劇祭東北大会で最優秀を取った渡邊愛美さんの「ノアの泥船」と、ピン芸人村民代表南川くんの「栄えたい自治体 体験版」2本立てで凌いだ。
そんなことがあって、これはちょっと直接手がけた方が、ヒヤヒヤしなくてすむんじゃないかと考えたわけだ。そんなわけで、新作高校演劇トライアルとなった。参加者は主に演劇部の高校生を募集することにした。
で、公募して参加者を集めると同時に、集まらなかったときのために、直接声をかけたりもして、転ばぬ先の杖をついておく。
そんなこんなでようやく稽古が始まった。参加者は公募できてくれた子が2人、事前に声をかけていた子が1人、計3人、みんな女の子であった。
当初台本は、男子1名が想定されていたのだが、それを女子に書き直してもらう。第1稿は夏くらいには上がっていて、いろいろとアドバイスをして書き直してもらっていた。
そんなわけで、週3回の稽古は女子高生と一緒なのである。これがまた、わりとみんなハキハキした子で、オレのようなおじさんと話すときも、物怖じしないし、だからといって礼儀知らずなわけでもない。とはいえ、さすがに世代のギャップ的なものはあって、いや、世代のギャップなのかどうなのかわからないけれど、なんかいろいろ新鮮なのである。
すでに我が子よりも年下の子たちなわけで、そりゃ新鮮だろうけど、なんというか、違う世界の生き物のようである。
ナレーションのお仕事でお世話になってる、サウンドブレーンの斎藤さんから「音の絵本作りたいんだよ」という話は、ずいぶん前から聞いていた。単なる読み聞かせではなく、効果音を入れたり、複数のキャストで読んだりと、ちょいと手の込んだ音素材を作って、幼稚園とか保育園、視覚支援学校などで活用してもらえたら良いなぁ、という企画である。
関係者は手弁当。でまあ、オレの役割としては、企画書書いたり、音の絵本の導入部分のシナリオを書いたりというところ。
第1回目の作品は「かみさまにあう」作/森川沙紀。この森川さんは、地域おこし協力隊で、花巻に滞在していた頃に、早池峰神楽に出合い、その魅力を絵本にしたい! と思っただけでなく、実際に作ってしまった大した人である。
出版社が絡んでいるわけではないので、本人の了解があれば、権利関係の処理に手間取らないので、はじめの一歩としては、取り組みやすいところ。
で、ようやく完成を見て、さて、どこら辺に贈ろうかいなと、いろいろと検討した結果、まずは花巻市、そして、盛岡視覚支援学校あたりに贈ることにした。
すると、花巻市では、とりあえず職員の方に会って、手渡しして、なんか活用してください、的な感じで終わったのだが、盛岡視覚支援学校の方では、なんだか、贈呈式みたいなことをするというのである。しかも、その取材にテレビが来るというのである。普段は、テレビの裏方である音屋の斎藤さんは、バンドのドラマーでもあり、しゃべりは無限に出てくるのだが、こと、立場を逆にして、取材されて喋るとなると、あんまり慣れていない。これは見ものである。
当日は、オレと斎藤さんの他に、本編の語りを担当してくれた平田純子さんが同席。初めて足を踏み入れる視覚支援学校の一室で、開式の言葉から、校長先生のあいさつがあり、斎藤さんのあいさつもあり、音源のCDを生徒代表の子に贈呈し、みんなで音の絵本を聞き、生徒の感想を聞く、という流れである。実にちゃんとした儀式である。
そして取材。たどたどしく答えながら、ときおりオレの方をチラ見する斎藤さん。語り担当の平田さんはさすがの安定感というかなんというか。
今回の作品には、実は子役が出ていて、それは、演劇仲間のKちゃんことFMさんの息子で、実に達者な子である。まだ声変わり前の可愛らしい声もあと少しの寿命だなぁと感じてしまうのである。
さて、第2弾はどうなるかな?
昨年上演した「スケッチブック-供養絵をめぐる物語-」が、盛岡市民演劇賞の大賞をいただいたので、ご褒美として、令和7年度中に再演する場合は、劇場使用料をタダにしてくれる、という特典をいただいた。折角なので再演したいと思うのだが、やはり再演をするのならば、供養絵のお膝元である遠野でも是非上演したい。
というわけで、ご相談に行ってきた。舞台美術の平川が都合をつけてくれたので、同行してもらう。やはり、会場の下見だの考えると、1人では心許ないのだ。
佐々木喜善のひ孫にあたる佐々木さん(当たり前か)と、この春、岩手芸術祭の総会でお知り合いになったので、相談に乗ってもらうことにした。時期はいつ頃が良いか? 会場はどこが良いか?etc.10月になると、いろんな行事が立て込んでくるらしいので、9月くらいが良いでしょうとの助言をいただく。夏休みの話なので、まだ夏の空気が残る9月は良い季節だと思う。下見した会場は、遠野市民センター中ホールとして位置づけられている、あえりあ遠野の方にある多目的ホール。大きさ的にも場所的にもここが相応しいと思う。
午後からの会合だったので、平川の助言に従い、お昼を「ばんがり」で蕎麦、ということにして、店に行ってみたところ、蕎麦は移転して、ラーメン関係部分だけが残っていた。すっかり蕎麦の口になっていたが、それはそれ。気を取り直してラーメンとチャーハンのセットをいただいた。んまかった。
そして夜はモリシミの企画会議である。モリシミは隔年開催なので、来年度の企画である。MORIOKA Chronicleシリーズの3作目ということになる。岩手公園ものがたり、盛岡バスセンターものがたり、と来て次は何か? これは正式発表を待つので、ハッキリとは言わないでおくが、~ものがたり、ではない、ということだけは言っておこう。
盛岡三大麺シリーズでは、冷麺のオムニバス「冷麺で恋をして」、じゃじゃ麺を作った男の一代記「わたしのじゃじゃ麺」、そして、伝説のお給仕がいたわんこそば店の過去と未来を描く「わんこそばの降る街」と、時代設定が現在→過去→未来、みたいな感じになっていたので、そんな感じになるかもしれない。ならないかも知れない。
そんな日の2日後、夏休み前にやった某中学校での演劇ワークショップの振り返りをしてきた。ワークショップはどうでしたか? その後、生徒たちに何か変化がありましたか? なんてことを担当の先生に聞き取りに行くのだ。
演劇ワークショップをやったからって、そんな劇的に子どもが変わるわけではないのだが、たまに、不登校だった子が、それ以来学校に来るようになってたとか、人間関係がちょっと変わったようだとか、聞くことがあるのだ。
それが今回、学年全体が劇的に変わった、というのだ。それまで、斜に構えて、一生懸命やることを冷笑したり、思っていることを言わなかったり、ということが多かったらしいのだが、ワークショップ以降、自分の思っていることを提案したり、実行したりすることに積極的になったというのだ。
担当の先生が所用で少し遅れるというので、学年の別の先生が最初にお相手してくれたのだが、その変わりっぷりを熱く語ってくれた。
長くやってると、そういう劇的な変化にぶち当たることもあるんだなぁと、感慨深いモノであった。