ほぼ一週一ネタgoo

2016年の投稿を最後に滞っていたブログを提供元の閉鎖を機に引っ越し。今後の更新は不明瞭。

北のまほろば祭り2

2024-10-25 17:46:18 | 芝居

 今年の春頃、青森の渡辺源四郎商店(劇団である)から、「北のまほろば祭り2」に出演してくれないかというお話が来た。10月に劇団の本公演があるので、12月くらいだったら行けるかなと思い、そんな返事をした。
 30分くらいの芝居をやってくれると良いらしい。ちなみに、そんな作品は、なくはないが、それなりに手間がかかる。というか、何人か出演することになる。ギャラもそれほど出るわけではないので、人数はできる限り絞りたい。となると、オレが自分で出て、30分持たせられるような、そういう演目の方が良い。
 そんなオレには、1つやってみたいことがあった。
 ことは、2021年に遡る。さらに遡ること3年、映画「ボヘミアン・ラプソディ」を見た後、にわかに歌番組でも島津亜矢が歌ったり、氷川きよしが日本語訳で歌ったりしていた。でまあ、英語で歌うのも大変だなぁと思っていたのだが、日本語訳はより大変そうだなぁと思っていたのである。
 日本語の歌は基本的に1文字1音で作られていて、英語の翻訳は、大体字余りになる。音は5つしかないのに、文字数は10になってしまう、みたいなことが良くあるのだ。また、英語の歌は、韻を踏んでいることも多く、普通に訳すと、韻は大体消滅してしまう。特に、フレーズの最後で伸ばす音の母音が違っていると、なんか変な感じがしてしまう。
 そこらへんの事情を上手く翻訳して日本語の歌詞を作ったのが「アナと雪の女王」の主題歌である。「Let it go,Let it go 」を「ありのー、ままのー」と訳し、伸ばす音の母音を合わせ、前後で意味を取る仕組みになっている。
 このあたりをお手本として、横目で「デイドリームビリーバー」のタイマーズ版や、「アローンアゲイン」の有頂天版を見ながら「ボヘミアン・ラプソディ」のオリジナル訳を誰に頼まれることもなく始めたのである。
 まあなんというか「ボヘミアン・ラプソディ」を気持ちよく日本語で歌ったみたかったわけですね。それが2021年のこと。この年は息子が受験なので、寝室を勉強部屋として明け渡し、夜な夜な翻訳作業にいそしんでいたのである。
 英語が得意なわけでもないので、英語と和訳を見比べ、英語の母音を拾い上げて、意味と韻を両方取れることを理想としながら、意訳をしていく。韻も意味も完全に合わせることは難しすぎるので、ある程度諦めるところもあり、大胆に変えるところもあり、まあ、そこらへんはやりたいようにやって、ちょっとウケを狙ったりというところもあり、そんな感じで訳していった。
 そんな作業がハタと止まったところがあった。それが「Beelzebub」である。これ日本語に訳せば「蝿の王」ということになり、文字数は1つ余るが、最後の母音は合っている。だが、何となくしっくり来なかった。そこで3年停滞した。
 「北のまほろば祭り2」のオファーが来て、すぐにやったのは、コーラスを含めた伴奏を作ってくれる音響スタッフをお願いすることだった。運良く水井米くんが引き受けてくれたのだが、あとで、ちょー七面倒くさい作業に苦労することになったのは、まあ、そんなこともあるだろうなと。
 とまあここも長くなったので、続きはしばらく後に。


キャスト交代

2024-10-19 17:04:06 | 芝居

 多分2週間前にキャストを交代するという事態は、初めてのことだったと思う。諸般の事情により、架空の劇団第27回公演「白い象のあぽかりぷす」に急遽出演するということになった。
 ここに至る過程は、いろいろと問題もあるので詳細は控えるが、久しぶりに心身に負担のかかる決断だった。そして、実際出演するもんだから、そこらへんの負担も久しぶりだった。
 まあ、負担と言ってるけど、それ相応の楽しみというか、リターンもあるわけで……。思ったよりもセリフが入っていたのが救い。さすがに2週間前に、ラップもアリの振付もアリの出番もかなりアリの、という役を誰かにお願いするのも忍びない。
 というわけで、自劇団の本公演に出演する事態は、かなり久しぶりとなった。もっと早いうちに決断しとけば良かったとも思ったが、それはそれ、なんとかなるのではないか、出来るのではないか、といった希望的観測を信じたかったのである。
 何の役かというと「キノコ」である。ラップも振付もセリフもあるキノコである。しかも、途中から歩き始めるという荒唐無稽である。地上を覆い尽くすキノコネットワークが、砂漠や海、果ては月にまでそのネットワークを広げようとするのである。
 こうやって書いているとまったくもってなんだかよくわからないが、芝居を見ると、多分何となく、なんかわかったような気になってくれるだろう、という期待はある。
 1ステ目、2カ所ほどセリフが飛んだ。じっとりとした間が出来てしまう。なんとか周りの役者の協力を得て、力業でクリアしたが、反省することしきり。しかしながら、まずまず観客の反応も良く、笑いを取るべきところでは取れていたので良しとしよう。2ステ目以降は、セリフは飛んだモノの、じっとりした間が出来ることはなく、コロコロと芝居は流れた。
 やはり本番とお客さんの力は偉大である。個人的に「本番1回は、稽古10回分」くらいの密度があると思っていて、本番は重ねるごとにその出来は向上していくモノだと思う。これが10回、20回と本番を重ねていくと、飽きてくるとか、自己模倣に陥りがちになることもあるだろうか?
 そんなことを考えながら、なんとか本番を終えたが、実は次が控えているのである。青森の渡辺源四郎商店(劇団である)からのお誘いで「北のまほろば祭り2」に出演が決まっている。12月の7、8の2日間、30分くらいの独芝居的なものをやる予定なのである。
 その内容はどんなものかというと……長くなりそうなので次に続く。


盛岡バスセンターものがたり②

2024-03-22 14:33:55 | 芝居


 「Morioka Chronicle」として始まったシリーズの、第2回目のテーマには一体何を選ぶのか? 何を選ばなければいけないのか? 盛岡にこだわりながら、単なる偉人伝にならないような、それでいて、盛岡の人をあまねく引きつけてやまないような、そんな題材は無いものか? と、そんな話し合いをしていたときに、タイムリーなことに盛岡バスセンターが新装なって開業するという。
 これはタイミング的にもバスセンターだろう、ということになり、それならば、新しくなったものではなく、かつての昭和レトロ感あふるる、旧盛岡バスセンターにまつわる話にしなければならないだろう、という風に話は進んだ。
 となったら、バスセンターにまつわる思い出を公募しましょう。もちろん実行委員会には、運営会社である盛岡ローカルハブ関係者にも入ってもらいましょう。さらにはバスセンターに長年勤めている方に取材もしましょう、ってな感じで骨格が固まっていった。
 まあ聞いてみるといろいろ話が出てくるわ出てくるわ。中でも面白かったのは、窓口前のベンチに入れ歯が忘れて置かれていた話。ベンチにぽつんと入れ歯が置かれている。シュールな光景だっただろうなぁ。
 それから、2階の店舗が全て撤退し、営業していなかった頃、若いカップルがそこに住んでいたというエピソード。「危険」と書いた段ボール箱が置いてあり、そこに生活用具が入っていたという。こっそり入り込んで、そこで生活していたわけだ。通報を受けた警察が踏み込んだとき、男は女を置き去りにして逃げたという。
 また、モリシミの役者として常連だったKさんは、かつて旧盛岡バスセンターで立ち食いそばを提供していて、新しくなったバスセンターでも、そば屋を経営している。なので生き字引のようにそこら辺のエピソードをたくさん持っていた。
 この他、コーヒーショップやたこ焼き屋、時計店、階段でじゃんけんグリコをする小学生etc.……と、たくさんのエピソードが集まり、それをモチーフにして3つの短編演劇が作られた。それにオープニングと各場のつなぎ、エンディングを加えて一本の芝居として構成する。そうやって完成したのが「Morioka Chronicle2 盛岡バスセンターものがたり」である。
 今回は、戯曲の執筆や演出を大幅に入れ替え、若手を中心に登用して芝居作りを進めた。いろいろと苦労はあっただろうが、まずまず良い成果が出たのではないだろうか?
 作品そのものには、それほど心配はしていなかったのだが、集客についてはかなりヒヤヒヤものだった。1週間前で、1ステージにも満たないチケットの売り上げ枚数。これはもう「ヤバい!」以外のなにものでもない。空席の目立つ客席は、赤字の不安もさることながら、役者のやる気にも直結する。ということは芝居の出来にも影響してしまうのだ。
 コロナ以降、直前にチケットの売り上げ枚数が急増するという傾向は出てきていたのだが、それにしたってヒヤヒヤである。
 とはいえ、結果として、それなりに満足の行く客席になった。ありがたいことである。それはやはり、盛岡人の心の中に「盛岡バスセンター」が深く深く根を下ろしていた、ということに他ならないだろう。
 新しい盛岡バスセンターも素敵なところだが、記憶の中のバスセンターは、いつもセピア色の哀愁を帯びて、盛岡の人の心の中の1ページを彩っているのだ。たぶん。


盛岡バスセンターものがたり①

2024-03-12 16:41:04 | 芝居

 市民参加型の舞台、劇団モリオカ市民5年ぶりの通常開催が終了した。2019年に新シリーズ「Mrioka Chronicle」となってから2度目の公演だ。
 モリオカにこだわった題材で、偉人伝とか歴史上の人物とかからは、あえて外れ気味の題材を取り上げるというコンセプトで、2年に一度の公演を行っている。公演は2007年に第1回が行われているのだが、その始動はさらに2年前、2005年に遡る。ざっと振り返ってみよう。
 大体モリシミ(劇団モリオカ市民を略してこう言う)を説明しようとすると、何となく立ち上がりから語らないと、概要というかそういうことがわからないので、ざっくりと説明してみよう。と、ざっくり説明してる間に、大体1回分の分量は書いてしまうので、本題に入る前に終わりそうである。そんなことを書いてる間に説明しろって? そのとおり!
 2007年の「冷麺で恋をして」から始まった、盛岡三大麺シリーズは、まさにそのコンセプトを表す真骨頂。三大麺シリーズで芝居を作ろうなんて、盛岡以外では考えられまい。これは「わたしのじゃじゃ麺」「わんこそばの降る街」と続き、2011年3月、東日本大震災の直前に完結した。
 続いてのシリーズを考えねばならないときに震災が起こった。これは避けて通ることが出来ないと考え「あの年の盛岡」シリーズを立ち上げた。明治、昭和、そして東日本大震災津波の年に盛岡ではどんなことがあったのか? ということを掘り下げる芝居だった。
 2年に一度の公演なので、明治三陸大津波の年(1896年)の盛岡をテーマに公演をしたのが、2013年。昭和三陸大津波の年(1933年)を取り上げたのが2015年。そして、東日本大震災の年を取り上げたのは2017年だった。
 内陸の盛岡なので、直接津波を取り上げることは出来ない。しかし、盛岡に、当時どのように第一報が入り、どんな支援が行われ、どんな風に復興と関わってきたのか? そんなことを調べ、演劇にするのは、必ず何かの発見につながり、それは未来への財産になるはずだ。そんな直感のもと、企画を立ち上げた。
 実行委員に反対する意見は無く、スムーズに企画が立ち上がっていった。
 しかし、口さがない外野はいるものである。ちらほらと苦言が聞こえてきた。(難癖とも言う)しかしこれについては、いささかも揺らぐことなく、まずは1896年の盛岡を調べ始めると・・・と、これを掘り下げてしまうと、それこそ長大になってしまうので、ここでは深入りしない。
 シリーズ完結まで6年、「あの年の盛岡2011」を上演する頃には、外野の苦言は全く聞こえなくなっていた、と思う。
 で、次のシリーズは「Morioka Chronicle」となり、まず初めに取り上げたのは、現在「盛岡城跡公演」と、重箱読みもさもしげなことになっている「岩手公園」。どんな経緯で岩手公園が出来上がってきたのか? そんなことを群像劇で描いた。
 なんて概要を説明してる間に、大体一回分終わってしまったではないか! バスセンターのかけらも出てきてねぇ! 
 というわけで続く。


悲しきChatGPT

2023-04-30 16:04:49 | 芝居

最近何かと話題のAI、Chat GPTを使ってみた。坂本龍一が亡くなったので、ふと以下のような質問をしてみた。

大島渚が自身は同性愛者ではないのに、監督した映画が同性愛をテーマにしたものが多いのはなぜ?
 
ChatGPT

大島渚は、映画作品において同性愛を扱うことが多かったため、「同性愛者である」と誤解されることがありますが、実際には自身が同性愛者であると公言したことはありません。

大島渚が同性愛を扱う映画を多く手掛けた理由は、彼が映画監督として社会的少数者やマイノリティーに共感を持ち、そのようなテーマに関心を持っていたことが挙げられます。また、大島渚は自身の映画において、人間の欲望や性的な表現を重視し、それが同性愛を扱う作品が多い理由の一つでもあります。

さらに、大島渚は映画を通して社会に対して批判的な立場をとり、時代の風潮や偏見を問題視することが多かったため、同性愛をテーマにした作品を制作することで、当時の同性愛者が抱える社会的な問題に対して問題提起を行うことができたとも考えられます。

したがって、大島渚が同性愛をテーマにした映画を多く手掛けた理由は、自身の思想や芸術性、社会的責任感などが重なり合った結果であり、単純に「自身が同性愛者であるから」という理由ではありません。

 

とまあ、なんというか、そうだよね、みたいな答えが返ってきた。んでは架空の劇団について質問してみようと思った。

盛岡の架空の劇団について教えて
 
ChatGPT

盛岡の架空の劇団についてですね。架空の劇団ということで、実在する団体ではありませんが、想像上の劇団として、以下のような特徴を持つかもしれません。

この架空の劇団は、盛岡市を拠点にしていることが特徴の一つです。盛岡市は、岩手県の県庁所在地で、自然豊かな場所としても知られています。劇団の公演は、盛岡市内の劇場や文化センターなどで行われ、地元の人々や観光客など、様々な人々に観てもらうことができるでしょう。

また、この架空の劇団は、現代演劇を基本としながらも、古典的な演劇やミュージカルなど、幅広いジャンルの作品を取り扱っていることが特徴です。特に、岩手県や東北地方の文化や伝統を取り入れた作品も多く、地元の人々に親しまれています。

劇団の役者たちは、地元の人々から愛される存在として、地域の行事やイベントなどにも積極的に参加しています。また、役者たちの個性豊かな演技や、劇団独自の演出なども評判で、多くの人々から支持されています。

以上が、架空の盛岡の劇団についてのイメージです。ただし、架空の存在であるため、実際の劇団とは異なる場合があります。

 
というわけで、ChatGPTには架空の劇団は実在の劇団として認識されていないようである。悲しくなったので、以下の質問にしてみた。
 
盛岡にある実在している架空の劇団について教えて
 
ChatGPT

申し訳ありませんが、私が知る限り、実在する盛岡の架空の劇団は存在しません。架空の劇団とは、フィクションの世界に存在する団体であり、現実世界での実在するものではありません。盛岡には、多くの実在する劇団がありますが、架空の劇団については、私が知る限り存在しません。

 
というわけで、ChatGPTの世界には盛岡の実在の架空の劇団は存在しないようで・・・。ちょぉっと悲しくなった。