ほぼ一週一ネタgoo

2016年の投稿を最後に滞っていたブログを提供元の閉鎖を機に引っ越し。今後の更新は不明瞭。

怒濤の年末

2023-12-30 15:27:50 | 日記

 2023年の年末は、何かと怒濤のようだった。
 年明け5日6日に、プロデューサーを務める八時の芝小屋の公演があって、その枠組みが整い、一安心した後、緊急事態が襲ってきた。
 そもそもこの公演は、毎年1月に高校演劇を取り上げる企画で、8年くらい継続してきたのだが、11月の締め切りに手を上げてくれた高校演劇部がひとつも無く「さてどうしたものか!?」と焦りながら企画を進めてきたのだ。
 事前に問い合わせが3校ほどからあり、油断していたのもいけなかった。
 本番まで2ヶ月といったところで、ゼロから立ち上げなければならない事態になり、一時は中止も頭をよぎった。とはいえ、盛岡劇場タウンホールは随分前から押さえてあるし、中止にするのも忍びない。
 そんなわけで八方手を尽くした結果「ひとりのふたり」というタイトルで、とうほく学生演劇祭大賞を受賞した一人芝居「ノアの泥船」と、滝沢出身で、岩手大学劇団かっぱに所属し、落研まで立ち上げて、現在はサンミュージック所属のピン芸人となった村民代表南川くんの「栄えたい自治体 体験版」の2本立ての企画となった。
 大急ぎでチラシを作り、配布を始めたのは本番1ヶ月を切ってからのこと。なんとか集客の目処もつきそうな企画となったので、ホッとしていた矢先の22日、不穏なメールが届いた。
 「ノアの泥船」の渡邊愛美さんが、2週間ほど喉の痛みと声がれが続いて、24日の時点で回復が見込めなければ、降板したいというのだ! おっと、この期に及んでそんなことが!? ちょっと待ってくれよぉー! という気持ちで、善後策を講じる。
 もしそんな事態になったら、南川くんに1人で1時間やってもらうしかない! とまあ、そんな連絡をしたら、事務所とも相談して、ということで、マネージャーにメールしたりして、とにかくなんとかなるように祈りながらその日は過ごす。
 23日には、モリシミの稽古もある。「ノアの泥船」の稽古もある予定だった。
 そんな稽古に出かける前、カミさんが予約していたクリスマスケーキを取って帰ってくるなり「仙台に行かなきゃいけなくなった! おばあちゃんが倒れたって!」と、これまた緊急事態。
「ケーキは?」
「食べちゃって」
そりゃそうだ。
 とるものもとりあえず、カミさんは仙台へ向かった。ざわざわする気持ちを静めつつ、オレの出来ることといったら、とりあえずモリシミの稽古に顔を出し、「ノアの泥船」の稽古がどうなってるか様子を見に行くくらいしか出来ない。
 そんなわけで「ノアの泥船」の稽古場を恐る恐るのぞいてみると・・・演出の大和田さんが爆睡している。
 ・・・そおーっと稽古場を出て、モリシミの稽古をしばらくのぞき、もう一度「ノアの泥船」の稽古場をのぞくと・・・いた! 愛美さんいた! ・・・オレはその場で崩れ落ちた。安心したのだ。
「だ、大丈夫?」
「はい、大丈夫だと思います」
 南川くんには予定通りで大丈夫になったと連絡し、翌日はクリスマスイブである。

 訃報が届いたのはお昼頃だった。今年2月に母が亡くなり、12月には義母が亡くなった。演劇と私生活が怒濤のようにオレを翻弄した2023年だった。
 通夜の26日は仙台の葬祭会館で過ごし、27日の葬儀の後、オレと子どもたちは盛岡に戻って来た。


 2024年は平穏であって欲しい。


衝撃の1人!

2023-10-18 14:59:59 | 日記

 10月になると、岩手大学の非常勤講師として半年間、教育学部で講義をしている。 平成24年からだから足かけ13年になるんだから驚いた。
 途中、学部改変などもあって、受講生が0という年があった。これは平成から令和に変わったあたりで、そのときはお休みしたので、12回目である。
 その12回目にして、恐れていたことが起こった。なんと、受講生が1人! これまで、最も少ないときで3人、多いときでは15人ほどだった。大体やることはどこでも同じで、数人のグループに分かれて、短いお芝居を作るというモノ。これをややアカデミック寄りに展開していくのが大学生のパターンである。
 3人の時もなかなか苦労したのが、誰か欠席してしまったとき。さすがに2人欠席で、サシで1時間半、という事態は無かったのだが、今回初めてそんな事態になった。
 想定していなかったわけではない。もしそうなった場合は、数人でやるアクティビティは出来なくなるので、やれるとしても2人でやるモノ、あるいは単独でやるモノしか選択肢が残らない。それはまあやるとしても、結局は、いろいろやりながら戯曲を1本書き上げてもらう、くらいしか出来ないだろう、というぼんやりとした想定はしていた。しかし、本当に受講生が1人となると、いやなんというか、どうしましょう? となってしまう。休んだらどうなる? 誰もいない講義室にオレが行って、ぽつねんと1時間半何もせず帰ってくるようなことで給料をもらって良いのか? いやいやそれはマズいだろう! とかなんとか、とにかくそんなことを考えた。
 そして当日。当然のように講義室にぽつねんと座っている1人の女子学生。恐らく彼女もものすごく不安だったろう。そして、どうすればいいのか考えていただろう。オレも同じだ! 
 実は昨年、最初3人で、ふたを開けてみると4人だった、ということがあり、もしかして・・・と期待していたのだが、その期待は見事に裏切られ、仕方なくといった感じで、女子学生と対峙したわけだ。
 最初はガイダンスなので、一応は説明をするのだが、とにかくまあ、最低3人はいないと、出来ることがものすごく限られてくるので、誰か誘うか、もしくは他の講義を取ってもらっても良い、そのへんは気を遣わないでいいからね、などと言いながら、背中を流れる冷や汗を感じていた。
 とはいえ、彼女はシラバスを読んで、これは絶対に受けたい! と思ってくれたとのことで、出来るならば、オレも人数を揃えて完遂したい。そんなわけで、人数がとにかく3人以上になるか、0になるか、という感じで、翌週の講義までの間に、ヒヤヒヤしながら架空の劇団第26回公演「スケッチブック-供養絵をめぐる物語-」の本番を迎えた。
 公演の方は盛況で評判も良く、無事成功裏に終えることが出来、打ち上げも滞りなく行って日曜は休んで、さて勝負の月曜日・・・。
 
 4人に増えていた。・・・・・・・安堵・・・・・・・。


戯曲講座と三浦わたる

2023-07-22 15:23:10 | 日記

 もう2週間も前になるのだが、と、ここのところどうも過去のことを書くことが多い。というのも、なんかネタを見つけても、それがネタだと気づくまでにちょっと時間があったりするからだ。

 7月8日(土)9日(日)の2日間、「はじめての脚本作り セリフを書いてみよう!」と題して戯曲講座をやってみた。盛岡劇場ミニホールが会場。10人の参加者で高校生から70過ぎまで、年齢的にはバラエティに富んでいるように見えるが、30代から50代は少ない。参加者の中に、かつて夏組や冬組といった、子ども演劇ワークショップに参加していた子が2人もいたのがとても嬉しい。

 戯曲講座は最初コミュニケーションゲームのようなものから始まり、いろいろとお話をしやすい空気を作ってから、レクチャー、そして実作業へと進む。セリフは案外と簡単に書けるものだけれども、自分だけで書いているのなかなか進まないこともあるので、いろいろと小技を使って書いてもらう。

 とりあえずセリフは書けることがわかってから、果たして自分が何を書きたいのか? ということを小グループに分かれて話し合ってもらう。結局、創作というのは、自分を掘り起こしていく作業になっていくモノだと思うので、掘り起こしやすいように、また、自分でも掘り出せるように、いろいろと話し合ってもらうのである。

 戯曲講座は、なんだかんだと順調に進むわけだが、ネタ的には「三浦わたる」のことである。講座の始まる前、1階から吹き抜けになっている2階ロビーの手すりにもたれ、メインホールの入り口を覗いていると、どうやら歌手「三浦わたる」の新曲披露のライブがあるらしい。多分それは午後からで、戯曲講座は10時から始まるので、時間的にはそのちょっと前。恐らくメインホールでは、ライブの仕込みが行われているところだったろう。

 「三浦わたる」は、盛岡出身の演歌歌手で、○よしが勤めている○クニの同僚だった。あるとき「オレは歌手になる!」と、宣言し、ちゃんと歌手になった。実家はかつて盛岡駅から夕顔瀬にいたるあたりで、その後は西青山でラーメン屋を営んでいた名店「みうら屋」である。夕顔瀬の頃も、西青山に移ってからも、何回か訪れたことがある。西青山時代の店内には「三浦わたる」のポスターが所狭しと貼られていて「なんでこんなに三浦わたるのポスターが?」と疑問に思っていたのだが、それもそのはずである、だってみうら屋なんだから。そんなみうら屋も閉店してしまったのだが、「三浦わたる」は頑張っている。

 そんな背景を持つ「三浦わたる」の新曲は、会場前のポスターにタイトルが書かれ、入口の左右に、まるで門のように鎮座していた。そのタイトルは

「なにやってんだ俺」

 うむ、何だか期待の持てそうなタイトルである。思わずもりげき職員のWさんに「いやあ、いいタイトルだねぇ」と話しかけてしまうほどであった。でまあ、上からのぞき込む形で、メインホールの入口を見ていたのだが、どうやらそこら辺をうろうろしているのは「三浦わたる」本人のようである。仕込み中だからまあ、本人いても不思議はないな、と思って何となくのぞいていると、彼はスマホを取り出しどこかに電話をかけた。まあ、電話をかけることもあるだろうよ、と見ていると

「なにやってんだよ!」

 と、怒気を含んだ声で電話の向こうの誰かに何かを訴えている。「なにやってんだ俺」じゃなくて「なにやってんだよお前!」になっていた。

 折角なので、「三浦わたる」「なにやってんだ俺」と検索してみた結果、歌唱動画がありそうなリンクに飛んでみると

https://www.uta-net.com/movie/339196/

 というのが出てきたことをお知らせして、今回を終了しよう。と、思ったが、これでは何が何だかわからないので、「三浦わたる」のツイッターもリンクしておこう。

https://twitter.com/wataru37258936


墓地へ行く道

2023-05-29 11:32:49 | 日記

 土曜日にカミさんとともに散歩しようと思った。ご近所散歩でもいいのだが、前の日、金曜日の現場が過酷だったもので、帰りには温泉に入っておきたい。昨日の段階で恐らく翌日に筋肉痛が来るだろうと予想していたので、できる限りケアしたいと思ったのだ。

 朝目覚めてみると、右肩に筋肉痛があるものの、他はそんなでもない。ちょっと安心したが、油断してはいけない。翌日ではなく、翌々日に来るたりするのがお年寄りである。お年寄りってほどじゃない、と慰めてくれる方もあろうが、57歳は明治で言えば老人である。かつて明治三陸大津波の年の盛岡を舞台に芝居を作ったとき、県立図書館で、当時の新聞のマイクロフィルムを読んでいたのだが「52歳老婆」という記事があった。

 とまあそんなわけで筋肉痛に脅えていたのは、1日鎌で伐採をしていたからである。

 温泉を鶯宿方面と見当を付け、そのあたりでお散歩コースになりそうなところを探してみる。まあ御所湖近辺が定番なのだが、定番なので、何度も行っている。新規開拓を目指し、ネットで検索すると、七ツ森森林公園というのがあるではないか! グーグルマップで検索すると、七ツ森小学校の近くである。

 散歩、昼食、温泉ということで、七ツ森森林公園を目指すことにする。カーナビに入力してみるものの、該当はナシ。全く使い物にならないナビである。仕方ないので近くの七ツ森小学校を目指すことにする。流石に小学校はナビに入っていた。

 七ツ森小学校は、昨年度までNくんが勤務していた学校である。到着してみると、運動会をやっていた。ああ、運動会もちゃんと出来るようになったんだなぁと感慨深い。で、近所まで来れば案内板くらいあるだろうと思っていたが、さにあらず。森林公園への案内は何もない。

 仕方ないので助手席のカミさんがグーグルマップで検索すると、七ツ森小学校をぐるっと迂回して戻るような感じで案内された。そして山の方に導かれていく。すると何やら看板が現れた。

「雫石町火葬場」

である。なるほど、火葬場目指していけばいいのね。と、理解して車を走らせていくと、相変わらず森林公園への案内は皆無。結局、到着したのは墓地である。そして火葬場である。うーむ。森林公園とは火葬場と墓地のことだったのだろうか?

 とまあそんな感じで墓地に連れて行かれたのである。もう一度グーグルマップを確認すると、大体そこら辺が森林公園のようである。ふと見ると、砂利道の林道のようなものがある。ここかも知れない、と見当を付けて、行ってみた。まあ、基本は散歩なので、何となく歩ける道があれば良い。

 今年はクマの被害が早くも警報レベルということで、ラジコを流しながら、散歩してみる。

 砂利道の林道を緩やかに上がっていくと、向こうの方から、ジャージ姿の若者が地図らしきものを持って、キョロキョロしながら小走りにやって来た。

「オリエンテーリング?」

と聞くと

「はい」

とのこと。オリエンテーリングというと、小学校の頃に宿泊学習で、つくば青少年の家の近くでやったことが思い出される。まあそういう、ポストみたいなところをめぐるヤツなのか、そういうヤツじゃないのかはわからないが、とにかく、ときどきオリエンテーリングの学生たちとすれ違う。んじゃまあ、ラジオ付けてなくてもいいかな、とラジコを消してさらに上っていく。

 林道の脇に軽自動車を停めて佇んでいるおじさんがいた。さっきの学生もそうなんだけど、最近こういうところで知らない人に声をかけることに躊躇しなくなってきた。年輪というヤツであろう。

「山菜ですか?」

と聞くと

「いや、鳥見にきたんだけど、オリエンテーリングでめちゃくちゃになっちゃった」

と、残念そうなおじさん。それ以上は深入りせず

「ああ、鳥・・・」

とだけ口に出してそのまま散歩を進めた。

 森の中なので、直射日光が当たらない。散歩するには快適な道である。しかし森林公園はどこなんだ? それともここ全体が森林公園なのか? しばらく行くと、標識らしきものが出てくる、ということは、やはりここら辺が森林公園なわけだ。大体普通は広場とか、なんか施設があるものなんだが・・・。

 と思いながら歩いて行くと、トイレがあった。ちょうどトイレに行きたいと思っていたところだったので助かった。というわけで施設らしいものはこのトイレくらいだった。さらに奥に道はつながっているものの、散歩の具合としてはちょうど良かったので、そこで折り返し、時折すれ違う学生オリエンテーリンガーにあいさつしながら墓地の駐車場まで戻る。

 途中、どのくらいの範囲でやっているのか聞いてみた。ほぼ森林公園全体を使っているみたいなのだが、その子は初心者で、先輩たちは倍くらい走っているという。しかも部活だという。

 部活かぁ。オリエンテーリング部だな。天気が良くて、季節が良ければ、なかなかさわやかな部活である。

 トンボが出てきたり、ハルゼミやカッコウ、ウグイスの声を聞いたりしながらの散歩はなかなかオツである。先ほど話しかけた鳥見のおじさんはいなくなっていた。そりゃそうだよね。

 お昼は「麺やおもり」で、ラー油鳥そばを食べた。隣に来た男女の二人連れが、面白かった。声が大きいので、聞いてるわけでもないんだけど、聞こえてくる。またその情報量が、なんというか、いろいろわかっちゃった。

 どうやら医療関係者の先輩後輩で、女性が先輩のようである。女性の出身は東京で、父親は神戸、母親は熊本の出身。父親は関西弁は使わないらしく、母親は怒ると熊本弁になるらしい。一時期沖縄の医療機関にいたこともあるようで、病院の食堂メニューに、ソーキそばとか、スパムおにぎりみたいなものがあるんだけど、地元の人は飽きちゃってるから頼まない、などと言っていた。
 男性の方は関西出身で、たこ焼き器は家庭にあるという。患者さんとの対応は、看護師さんのを見習って、医師のは見習わない方がいいとアドバイスされていた。

 とまあそんな感じで、いろいろ面白い昼食だった。

 温泉は赤い風車で、岩盤浴もすることにした。久しぶりの岩盤浴は、なかなか良いものであった。充実の休日。


石鳥谷を散歩してみる

2023-04-23 15:24:51 | 日記

来週が寒くなりそうだというので、ペレットを買い足しておこうと思ったのが先週の金曜日。その日はとても暖かく、ペレットを買い足さなくても良いんじゃないかと思うような日だった。とはいえ最近の天気予報は結構正確で、一ヶ月予報も気温低めで推移するとのことだったので、おそらくは今シーズン最後であろうペレットの買い出しに紫波まで行ったのである。

帰り際にどこかで散歩して帰ろうと思っていたのだが、ふと思い立って石鳥谷の街中を散歩してみることにした。随分昔に通ったような記憶はあったが定かでない。宝峰という酒蔵があったが、すでに廃業している。南部杜氏の里なのだが、今酒造りをしているところは川村酒造のみ。

4号線から少し入ったところにある熊野神社に車を置いて、街っぽいところへ歩く。中心街と思われる通りは思いの外、車の往来が多い。元々道が広いのかも知れない。商店街はシャッターが結構閉まっているのだが、それなりに営業しているところもある。

面白かったのは、盛岡にもお店がある砂田屋の本店の隣にも和菓子屋さんがあったりしたこと。所々シャッターの降りている商店街に、菓匠丸文と砂田屋が隣り合わせであり、そういうこともあるのだなぁと。盛岡でも大手先には、隣とは言わないけど、すぐ近くに三軒お菓子屋さんがある。

この、お菓子屋さんというのは、案外小さい街にも残っていて、驚くことに西和賀には確か4軒のお菓子屋さんがあったと思う。人口5000人くらいの町に4軒のお菓子屋さんがあるというのはレアケースだと思うが、そうでなくても、小さい町に1、2軒お菓子屋さんが残っている。これはなぜなのか誰か教えてください。

石鳥谷は結構読むのも難しく、初見では読めないかも知れない。言われてみれば、なるほどな読み方だが、文字から意味は取りにくい。石の鳥の谷、これは意味がわからない。アイヌ語由来の可能性もありそうだが、石戸屋(いしどや)の転訛との説もある。元々は好地村とのことで、コウチを調べてみると、川沿いの小平地を示す言葉らしく、カワチ、カッチなどが同じルーツのようだ。してみると石鳥谷の街中あたりは、確かに川沿いの小平地でその名の通りである。しかしながら、コウチ系の地名は西日本に多く、東日本では1%にも満たないらしい。

酒蔵があって、川沿いの小平地ってことは、まあ米作適地でもあるだろうから、良い土地として「好地」となっていても日本語としては意味が通じる。まあ石鳥谷のうんちくはこのくらいにして。でもまあうんちくもちょいとネットで調べれば出てくるくらいのうんちくだから大したことはない。

んでまあ散歩してるとなんともしみじみとした風景に出会った。

店の看板には「居酒屋 あいちゃん」とあり、隣に立っているネオン看板には「スナック まごころ」とある。一体どっちなんだかわからないが、どっちにしてもスゴい店構えである。食べログで調べてみると「居酒屋 あいちゃん」のデータはあるが口コミはない。あー興味深い。

街中からそれて北上川沿いを歩いているときに発見した。そのまま北上川沿いを上流へ歩き、また街中に戻ってきて発見したのが

斎藤医院と書いてある。今は人が住んでいるのかは一見した感じではわからないが、昔は医者だったんだろう。これがそのまま残っているのがスゴい。とまあ普段歩いてみたりしないようなところを歩いてみると、案外面白いものが発見できるのだった。