本当に久しぶりにカラオケに行くことにしたのは、フジファブリックの「若者のすべて」を歌いたかったのもさることながら、高校生を含めた打ち上げにちょうどいい場所だと思ったからだ。
1月八芝新作高校演劇トライアルを無事終了し、普通ならバラシの後そのまま打ち上げに突入するのだが、なんと言っても高校生が主役のこの企画である。9時半過ぎから飲み屋に連れて行くわけにはいかないのである。
その日はバラシ終了後にキチンと解散し、1日置いて、26日、日中から始めれば最も健全なのだが、いろいろの都合で夕方4時からの開始となった。みんないろいろ予定があるのである。
ドリンクバーはもちろんノンアルコールで健全である。自分たちが高校生の頃から考えると、かなり健全で、それは時代の流れもあるだろうが、オレも人の親だったりするからである。
やはり高校生をお預かりしてお芝居をするわけだから、そのあたりの線引きはキチンとしなければいけないのである。親御さんに心配をかけるようなことは極力避けねばならない。自らを振り返ると、高校生の頃からこっそり酒飲んでたりしたわけだが、もはやそういう時代ではないのである。
高校生たちは、もちろんオレなんかかすりもしないアニメとかボカロとかの曲を歌ったりするわけで、とはいえそれはそれで新たな経験である。それ以外にも気を遣ってくれてるのかそうでもないのか、ユーミンとか歌ってくれたりもする。
オレはといえばとりあえずユニコーンの「服部」を歌い、満を持して「若者のすべて」を歌う。採点をしてたのだが、大人げなくこの日の最高点をたたき出した。95.いくつかだった。
「若者のすべて」もすでに10年以上前の曲なのだが、改めて名曲であることに気づき、歌いこなしてみたいと思っていた。フジファブリックのボーカル志村正彦が亡くなったのは2009年に遡る。
なんで今更フジファブリックかというと、去年の6月、チャグチャグロックフェスティバルに行って、生のフジファブリックを見てたからで、しかもその後活動休止のニュースも流れたりして、とにかく頭に残っていたのだ。
改めて聞いてみると、名曲が多い。志村が亡くなった後の方がすでに活動歴が長くなっているというのもなんだかしみじみするのである。
そんなこんなであっという間の3時間。ボヘミアン賢治で歌った、日本語版「ボヘミアン・ラプソディ」を入れていたのだが、そこに至る前に時間が来てしまった。盛岡でのお披露目はしばらく先になりそうである。
今年のも引き続き岩手大学教育学部の非常勤講師をやっているのだが、昨年のような衝撃はなかったのでホッとしていた。つまりネタになるほどのことはなかったというわけだ。
昨年は
というタイトルで書いていて、それはそれは心配したものだった。開講前はやはり心配で、でも眠れないってほどでもなく、まあなんとかなってくれれば良いなぁと思っていた。
フタを開けてみれば9人の受講者となって、まあまあやりやすい人数になった。このくらいだと2グループ、4人と5人に分けて創作を進めるという形になる。
基本的な進め方は、子ども演劇ワークショップでも大学生も同じで、アイスブレイクから、自己紹介、その後話し合いをしながら短いお芝居を作っていく、という流れ。
提出してもらう課題は3つ。一つ目は「戯曲を読む」二つ目が「戯曲を書く」三つ目は「全体を通したレポート」である。そして、最終回は学部の先生などを誘ってお客さんになってもらい、上演発表をする。
今は小学校や中学校の教科書に戯曲がほとんど掲載されていない。オレらのころは、「海幸彦山幸彦」とか「夕鶴」とか、狂言「盆山」なんかが載ってたような記憶がある。そんなわけで、まずは戯曲というものに触れてもらわねばならぬのだ。
しかも、普通の図書館に戯曲はほとんど置いていない。幸いなことに、盛岡劇場には「戯曲ライブラリー」というのがあって、かなりの蔵書を誇っている。 この課題は年代を10年刻みで指定し、その年代に書かれた戯曲を3本読んで、その中から1本を選び、要約し、感想を書き、最も印象に残ったセリフを抜き出す。そしてそれを発表する。
この講義では、課題だけではなく、プレゼンテーションとフィードバックを何度か繰り返し、発表に慣れてもらうことにしている。人前で何かをするというのはなんと言っても場数が大事なのである。
そんな感じで進めてきた2つの班が、どんな話になったかというと、一方は「スーパーのバックヤードに動物が入り込んで、ロマンス詐欺に送金させられそうなお局が焦る話」、そしてもう一方は「始業式の朝には黒髪だったのに、学校に来るまでに金髪になっちゃった新任の先生の話」。
どちらも現実的な設定と、突飛な問題を組み合わせている。
ロマンス詐欺の方は、だまされそうなお局が、投資を持ちかけられ、スマホで送金しようとしているのだが、スマホはバックヤードにあり、そこに謎の動物がいて、入るに入れない、さてどうしよう? という流れ。
金髪先生の方は、朝は黒髪だったのに学校に来るまでに金髪になってしまった新任の先生が、間もなく始業式なのにさてどうしよう? という流れ。
どちらも短いながらなかなか面白い話だと思う。
ホントにいろいろ心配なのだが、なんでそんなに心配かというと、以下の記事にちょっと書いてあるのでご覧いただきたい。
んでまあ、それは2023年3月1日の投稿だから、2年近く経っている。20歳前後の2年間というのは、人間としての成長が最も著しい季節である。はずなのだが……。
カミさんもオレもともに両親が亡くなったということで、年末年始の帰省は、ちょっと考えなおし、盛岡で過ごすことにした。まあ、法事等で行く機会もあるので、盆と正月に限定しなくても良いだろうという感じである。帰省する側から、される側に立場が変化したのもなんだか感慨深い。
そんな感じで家族4人が久しぶりに揃ったわけだが、心配事は、朝に娘を無事送り出し、残る息子を駅まで送っていった年明け4日の午後に起こった。
盛岡駅の西口からバスに乗って、弘前に向かう予定で、送っていく場所はマリオス前の向かい側。忘れっぽい息子なので、出がけに「スマホと財布とカギ持った?」と聞いて振り返ると、部屋の隅に充電中のスマホ。「おお、あぶねぇあぶねぇ」とか言いながら、スマホを持って、荷物を持って、車で駅まで送っていった。
「んじゃまあ、元気で」
と、当たり障りのない声をかけて送り出し、オレは開運の湯を目指す。サ活である。信号待ちで、振動を感じたスマホを見ると、LINEで息子から「財布忘れた!」との文字が……。
出がけに言ったじゃない! スマホと財布とカギ!
スマホを忘れていたことに気づいたことで安心してしまった。財布も忘れていたとは! 慌てて「さっきのとこにもどってて」と返事をし、急遽Uターン。まだバスの時間には間に合いそうだ。しかしながら気持ちはもういろんな感じである。「まったくもう」とか「大丈夫か?」とか「なんでまた」とか「なんかの間違いか?」とか「財布も確認しとけば良かった」とかである。サ活に向かう解放された気分は、焦燥に置き換わってしまった。間に合いそうだとは言え、気持ちは焦る。
先ほど下ろしたところに行く手前に息子が歩いていた。
「あ、こっちまで歩いてきたか?」
と思い、車の窓を開け、
「おい!」
と声をかけたが、振り向きもせず歩いている。
……別人であった。やべっ、と思いながら素早く窓を閉めた。
しかも、先ほど下ろした場所に向かっているので、オレが来る方向に来ているとしたら、向かっている方向が逆である。つまりオレも相当慌てていたわけだ。しかし息子と姿のよく似たお兄さんが振り返らなくて良かった。知らないおやじに車の中から「おい!」と声をかけられたらビックリするだろう。
マリオス前ではすまなそうな顔をした息子が立っていた。窓を開け、
「バカヤロウ」
と声をかけながら渋沢栄一を渡す。
「後で財布送るから」
「ごめんなさい、ありがとう」
バスには間に合ったようである。そしてオレはサ活で心を整えたのであった。
でも、整いきらなかったよね。