ほぼ一週一ネタgoo

2016年の投稿を最後に滞っていたブログを提供元の閉鎖を機に引っ越し。今後の更新は不明瞭。

家庭内ブラックホール

2024-03-31 14:55:09 | 家庭

 家の中に異次元につながるトンネルがあるんじゃないかと疑ったことのある人は、案外多いのではないだろうか? あるはずのものがいつの間にかなくなっている。決してなくなるようなものでもない大きさのものなのに、なぜかなくなっている。
 そしてある日、そんなものがあるわけない場所から見つかったりする。例えば、机の上で使っていたはずのペンケースが、なぜか冷蔵庫の中から見つかったりすることがあるだろう。ないって? まあそういう人もいるかも知れないが、財布が下着の間から見つかったり、めがねが本棚の上から見つかったりする人もいるだろう。たぶん。
 それは、家庭内に小さなブラックホールがあって、なんかの拍子にモノを吸い込んでしまうからだ。そして、別次元を通って小さなホワイトホールから、見つかる場所へ吐き出されるのだ。
 とまあそんなことを疑いたくなるような事例がいくつかあったわけだ。ところが! ホワイトホールが吐き出してくれないときがある。そんなことが最近あった。なくなったのは「箸箱のフタ」。結構な大きさである。箸箱の本体はある。中の箸もある。フタだけがなくなったのだ。
 紛失の顛末はこうである。弁当箱とともに箸箱を流しに置いておいた。夕食の食器とともにカミさんが食洗機に入れ、洗い終わってオレが片付け始めると……箸箱のフタがない。どうして箸箱の本体と箸はあるのに、フタだけがないのだ? 食洗機にそれらを設置するときに、うっかり間違って置いてしまう可能性のあるところ、あるいはうっかり落としてしまいそうなところ、などを探す……無い! そんなバカな! 一体どこに箸箱のフタが雲隠れするというのだ? 流しの下の引き出しや、コンロの下の引き出し、冷蔵庫も調べた。およそ考えられるところは全て探してみたのだが、無い! 一体どこへ消えたのだ? 
 これが恐らく家庭内ブラックホールである。
 以前なくなって、まだ見つかっていない大物がある。それは「ナイフ」である。ナイフと言っても包丁みたいなヤツで、スモークサーモンとか切ったりするような感じの、長めのストレートなナイフである。
 これがなくなったのは何年前か忘れたのだが、とにかくなくなっているのである。そしていまだに発見されていない。それと同様なことになるのか? なくなったままなのか? 
 箸箱のフタよ、どこへ消えたのだ! オレは弁当を持っていかなければいけないときがあるのだ。そんな数日後、オレは、昔娘が使っていた箸箱に自分の箸を入れて持っていったとさ。


盛岡バスセンターものがたり②

2024-03-22 14:33:55 | 芝居


 「Morioka Chronicle」として始まったシリーズの、第2回目のテーマには一体何を選ぶのか? 何を選ばなければいけないのか? 盛岡にこだわりながら、単なる偉人伝にならないような、それでいて、盛岡の人をあまねく引きつけてやまないような、そんな題材は無いものか? と、そんな話し合いをしていたときに、タイムリーなことに盛岡バスセンターが新装なって開業するという。
 これはタイミング的にもバスセンターだろう、ということになり、それならば、新しくなったものではなく、かつての昭和レトロ感あふるる、旧盛岡バスセンターにまつわる話にしなければならないだろう、という風に話は進んだ。
 となったら、バスセンターにまつわる思い出を公募しましょう。もちろん実行委員会には、運営会社である盛岡ローカルハブ関係者にも入ってもらいましょう。さらにはバスセンターに長年勤めている方に取材もしましょう、ってな感じで骨格が固まっていった。
 まあ聞いてみるといろいろ話が出てくるわ出てくるわ。中でも面白かったのは、窓口前のベンチに入れ歯が忘れて置かれていた話。ベンチにぽつんと入れ歯が置かれている。シュールな光景だっただろうなぁ。
 それから、2階の店舗が全て撤退し、営業していなかった頃、若いカップルがそこに住んでいたというエピソード。「危険」と書いた段ボール箱が置いてあり、そこに生活用具が入っていたという。こっそり入り込んで、そこで生活していたわけだ。通報を受けた警察が踏み込んだとき、男は女を置き去りにして逃げたという。
 また、モリシミの役者として常連だったKさんは、かつて旧盛岡バスセンターで立ち食いそばを提供していて、新しくなったバスセンターでも、そば屋を経営している。なので生き字引のようにそこら辺のエピソードをたくさん持っていた。
 この他、コーヒーショップやたこ焼き屋、時計店、階段でじゃんけんグリコをする小学生etc.……と、たくさんのエピソードが集まり、それをモチーフにして3つの短編演劇が作られた。それにオープニングと各場のつなぎ、エンディングを加えて一本の芝居として構成する。そうやって完成したのが「Morioka Chronicle2 盛岡バスセンターものがたり」である。
 今回は、戯曲の執筆や演出を大幅に入れ替え、若手を中心に登用して芝居作りを進めた。いろいろと苦労はあっただろうが、まずまず良い成果が出たのではないだろうか?
 作品そのものには、それほど心配はしていなかったのだが、集客についてはかなりヒヤヒヤものだった。1週間前で、1ステージにも満たないチケットの売り上げ枚数。これはもう「ヤバい!」以外のなにものでもない。空席の目立つ客席は、赤字の不安もさることながら、役者のやる気にも直結する。ということは芝居の出来にも影響してしまうのだ。
 コロナ以降、直前にチケットの売り上げ枚数が急増するという傾向は出てきていたのだが、それにしたってヒヤヒヤである。
 とはいえ、結果として、それなりに満足の行く客席になった。ありがたいことである。それはやはり、盛岡人の心の中に「盛岡バスセンター」が深く深く根を下ろしていた、ということに他ならないだろう。
 新しい盛岡バスセンターも素敵なところだが、記憶の中のバスセンターは、いつもセピア色の哀愁を帯びて、盛岡の人の心の中の1ページを彩っているのだ。たぶん。


盛岡バスセンターものがたり①

2024-03-12 16:41:04 | 芝居

 市民参加型の舞台、劇団モリオカ市民5年ぶりの通常開催が終了した。2019年に新シリーズ「Mrioka Chronicle」となってから2度目の公演だ。
 モリオカにこだわった題材で、偉人伝とか歴史上の人物とかからは、あえて外れ気味の題材を取り上げるというコンセプトで、2年に一度の公演を行っている。公演は2007年に第1回が行われているのだが、その始動はさらに2年前、2005年に遡る。ざっと振り返ってみよう。
 大体モリシミ(劇団モリオカ市民を略してこう言う)を説明しようとすると、何となく立ち上がりから語らないと、概要というかそういうことがわからないので、ざっくりと説明してみよう。と、ざっくり説明してる間に、大体1回分の分量は書いてしまうので、本題に入る前に終わりそうである。そんなことを書いてる間に説明しろって? そのとおり!
 2007年の「冷麺で恋をして」から始まった、盛岡三大麺シリーズは、まさにそのコンセプトを表す真骨頂。三大麺シリーズで芝居を作ろうなんて、盛岡以外では考えられまい。これは「わたしのじゃじゃ麺」「わんこそばの降る街」と続き、2011年3月、東日本大震災の直前に完結した。
 続いてのシリーズを考えねばならないときに震災が起こった。これは避けて通ることが出来ないと考え「あの年の盛岡」シリーズを立ち上げた。明治、昭和、そして東日本大震災津波の年に盛岡ではどんなことがあったのか? ということを掘り下げる芝居だった。
 2年に一度の公演なので、明治三陸大津波の年(1896年)の盛岡をテーマに公演をしたのが、2013年。昭和三陸大津波の年(1933年)を取り上げたのが2015年。そして、東日本大震災の年を取り上げたのは2017年だった。
 内陸の盛岡なので、直接津波を取り上げることは出来ない。しかし、盛岡に、当時どのように第一報が入り、どんな支援が行われ、どんな風に復興と関わってきたのか? そんなことを調べ、演劇にするのは、必ず何かの発見につながり、それは未来への財産になるはずだ。そんな直感のもと、企画を立ち上げた。
 実行委員に反対する意見は無く、スムーズに企画が立ち上がっていった。
 しかし、口さがない外野はいるものである。ちらほらと苦言が聞こえてきた。(難癖とも言う)しかしこれについては、いささかも揺らぐことなく、まずは1896年の盛岡を調べ始めると・・・と、これを掘り下げてしまうと、それこそ長大になってしまうので、ここでは深入りしない。
 シリーズ完結まで6年、「あの年の盛岡2011」を上演する頃には、外野の苦言は全く聞こえなくなっていた、と思う。
 で、次のシリーズは「Morioka Chronicle」となり、まず初めに取り上げたのは、現在「盛岡城跡公演」と、重箱読みもさもしげなことになっている「岩手公園」。どんな経緯で岩手公園が出来上がってきたのか? そんなことを群像劇で描いた。
 なんて概要を説明してる間に、大体一回分終わってしまったではないか! バスセンターのかけらも出てきてねぇ! 
 というわけで続く。


死に目に会う

2024-03-01 14:46:12 | 家庭

 「法事」だの「死に目に会う」だの、そっち方面のタイトルが続いてしまうのだが、本当に去年の年末からここまで、関わりの厚い薄いはあるものの、知り合いの訃報が続く。 自慢じゃないが、両親の死に目には会っていない。良く「死に目に会えなかった」と後悔してる、みたいなことを見聞きすることもあるのだが、特に後悔はない。
 死に目って、死ぬ瞬間ってことですよね? いやあ、人の死ぬ瞬間って、なんか、見たいものでもないかなって思う。それに、死に目に会うためには、死に目に会うためにずっと準備してないといけない。いつ亡くなるかわからないけど、大体の目標(この言い方もどうかと思うが)を定めて、そのあたりの時間帯は、トイレに行くのも気を遣う、みたいな状態でいなければいけないのだ。
 我慢に我慢を重ねたけれど、まだ死に目状態にならないから、限界前にうっかりトイレ行ってる間にそういうことになってしまったら、それはちょっと残念な気がするので、オレの場合は、まあ、間に合ったらみたいな具合で連絡をもらうことにしていた。
 何が何でもという気はあまりないし、間に合わなくてもそれはそういうものだと思っていた。でまあ、後悔も特にないので、それはそれでいいかなと思っている。
 ただ一度、死に目に会ったのは、飼っていたネコが死んだときで、このときはコロナ下だったので、家族全員が顔を揃えていて、みんなで見送ることが出来た。
 最期は眠るように、というわけでもなく、荒い息遣いで喘ぐように数回呼吸をしたのち、パタリと静かになった。
 当然悲しい。
 とはいえ寿命というのは何にでもある。どうやっても次第に衰えて、いずれ寿命を迎えるのだから、さほど抗わず、平穏にそのときを迎えられればいいんじゃないかと思っている。まあ、実際そうなってくるとどうなるかわからないんだけどね。