実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

火種②

2008-10-02 | ~3年前の爆発~
間が空いてしまいましたが、前記事のつづきです



私が美容院に行く間すら、孫をみるのは嫌だと言った母

「だって泣くもん」という理由に力が抜けてしまった

周りの子持ち主婦がふつ~に頼めていることが、私の家には存在すらしない
こんな母を恥ずかしいと思った

美容院は行かないわけにはいかない

夫に頼むのも恥ずかしかったが、すぐに引き受けてくれた

(母がみるの嫌だって言うんだよね)
もう記憶にないが、いきさつは言わなかったと思う


夫が引き受けてくれた翌日くらいには母から電話があった



美容院のことだけど
○○さん(父の部下の奥さん)のところの近くの美容院へ行けばいいよ
そこんちで私と○○さんで赤ん坊のことみながらアッちゃんのこと待つからさ
あそこの家なら子供すきだし、○○さんもいいって
そうしようよ 交代でみればいいから




もうパパに頼んだからいい


あっ・・・そうなんだ

パパはなんて?

べつに



せいぜい1時間くらいのことに、なぜ父の部下の奥さんを巻き込むのだ?
そもそも、この奥さんは母の部下ではないのに!
上司ツラは今でも変わらない


孫をみるのが嫌だと言ったこと

これはまあ仕方がないとしよう


しかし!しかしである
こんなことを他人に頼むなんて
いや母のことだから「頼む」なんてしていない
「命令」したのだろう






そして今でもそうなのだが


母はいつも

パパ(私の夫)はなんて言ってた?と聞く






体裁は人百倍気にする母

娘婿に変わった母親だと思われたくない

娘婿だけでなく、婿の両親(つまり私の舅姑)の目も気になって仕方がない母なので、婿が親にチクるのではないか?自分の評価を貶めるようなことをされるのではないか?とササーーと頭の中を駆け巡る 
それはそれは光ファイバーのごとくすばやく!



私と孫がかわいいくて面倒を見る気になったわけではない




「そんな母親初めて見た」(これは正直な感想なのだが)

と言った私のことばが効いたのだろう

母にとって自分だけ異端なのは耐え難いことなのだから
評価されることにいつも労力を使っているのだから



今でも母はこの手を使う


・そんなこと言う子供いない
・こんだけしてやる親はいない
・だれもそんなことしてない



まず最初にこのセリフ


意義を唱えるのは、こちらがおかしいと植えつける手法だ




まずは先制パンチ


いつもまともにくらっていたけど



もうよけよう


その手にはのらない!
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火種

2008-09-24 | ~3年前の爆発~
母と私に亀裂が入ったのは
3年前のあの日からだった



~3年前の夏~


夫の転勤が春に決まり、一足先に現地へ赴任してしまっていた
引越しはすべて私の肩にのしかかっていた
これまで何度も引越しはしたけれど、海外引越しの大変さといったら
それはそれは想像以上のものだった


すべて終えて、実家で数日過ごしてから出国することにしていた
滞在は1週間ほどだったと思う

実家へ帰省する


世の中の女性 特に子供を持った女性にとって実家で過ごすことは
とても心地よく、楽しみなことであるようだ
おばあちゃんは孫の世話や娘の世話をせっせとしたがる。
母娘水入らず、おしゃべりに花が咲き
「あ~実家って最高!」
そんな娘にお客さん扱いはそうそうしないよ!なんて多少は迷惑そうにしながらも
娘の帰宅を喜ぶ母 



そんなものは私にとっては夢物語だ

このとき、すでに子供は9歳
そのずっと以前から、私達が帰省することにいつもケチをつけていた
子供が4歳頃から、帰省するたびに嫌な思いをすることになるので
だんだんと憂鬱になっていたものだ


それでも、私は実家が自分の負担になっていること、
母が私の帰省を心底歓迎していないことに気付かずにいたのだ




私の周りのママ友はみな、実家に帰るのを楽しみにしており
それこそ年に数回の大切なイベントのように見受けられた

私が住んでいたそこは、転勤族が多いので、実家と離れて暮らしているひとばかりだった
子供が小さいと、日々の暮らしが制限されることが多いので、
「実家へ行けば普段はできないあれができる、これができる」
と盆、正月、GW前後はそんな話でもちきりだった

私もそんなママ友達と自分はなんら違いはない
母は文句は多いけど、心の底では私や孫を歓迎しているのだと
思い込んでいたのだ

話が前後するが、
子供がまだ1歳半くらいの頃の話に戻そう


「帰省したら美容院に行かせてもらいたいんだけど」

と言った


周りの友だちはだれでも、実家に帰ったら行きたいことのひとつに
「美容院」があった
子供を親にみてもらって、ゆっくりと美容院へ行く
その頃はそんなこともささやかな夢のようなものだ
私も周りの友だちと同じように母に助けてもらえる娘像を
浅はかにも思い描いてしまった

美容院にもオチオチ行けないくらい大変な生活をしている娘
それを喜んで助け、孫とのふれあいをも喜ぶ
そして娘は母に感謝し、母も同じように苦労してきたのだと母としてますます尊敬する



私はこれをやりたかったのだろうな



だが、


母は私の手を払いのけた





嫌よ!泣くもん!!


泣いたらどうすんのよ!!


アンタ、旦那にみてもらって日曜に行ってくればいいじゃない!!!




私は唖然としてしまった





思い描いていた画像


少なくとも、周りの友だちはそれを普通にやっていること


とっさに言った


そんなこと言う母親初めて見た・・・



↑この言葉は少し母には堪えたようだった



つづく









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母の嫉妬②

2008-06-07 | ~3年前の爆発~

~前回の「母の嫉妬」http://blog.goo.ne.jp/acchan-smile/e/1184ca07a127f532059d82a451ddac66の続き~

 

海外赴任して以来、母のモラハラは酷くなっていったと思う

私の住んでいる国がどんなところでどういう生活を送っているかは興味深々のようなのだが、
聞かれた質問に答えると、いつも「ふ~ん」とつまらなそうに返事をされた
母はこちらに一度旅行で訪れたことがある

*そんなところちっとも良いところじゃない

*よくそんなところに住んでるね

いずれ自分が遊びに行ったとき、どこか良いところがあるのか?
と聞くので、
ある有名なスポットに行って来たらとてもよかった と話した途端、鬼のような顔をして怒り出し

アンタばっかりいいトコ行って!!

と怒られた

 

私はその頃、ACに関して、まったく無知だった
AC親が子供に嫉妬するなんてことがまったく頭になかったため

*母がこんなことで怒るのは、今ストレスが溜まっているからなんだ
*こんな風に機嫌悪いのは、私が遠くへ行ってしまったことから来る寂しさの表れなんだ
そう思って、自分を宥めたり、怒りをしずめたりしていた

 

これは嫉妬だったのだ

そう気付かされたのは一冊の本に出会ってからだ
スーザン・フォワード著「毒になる親」
この著書は現在でも私の強い心の支えとなっている
その続編ともいえる著書
「毒になる姑」
からもさらに確信を強めた


嫁や婿が義父母の不快な過去を映し出す鏡の役割をしていることもある
あなたの存在そのものが昔の恥じや恐怖をよみがえらせるのだ。
意識していないかもしれないが、嫁や婿を攻撃することで自分の問題を解決しようとしているのだ(過剰反応について)(私の場合は実母子関係)

 

~母の「海外赴任」に対する過剰反応に私は思い当たることがあった

父は、ある地方都市で会社の重役をしていた。全国区では無名だけれども、地元ではまあまあ名前が知れている
私が小学生の頃、父が東京へ転勤になった
もう30年以上前のことだ。
父の会社は、郊外のマンションを社宅として購入してくれた。会社が所有するものだから、父だけのためではないだろうが、父の転勤に合わせて購入してくれたので、会社は父に期待もあったのだろう

そのマンションは当時(30年以上前)にしては高価なものだった。4LDK、5LDKタイプのみ。価格も現在の一般的マンション価格とあまり変わらな。
実家の地方都市では、都心のマンションを買う値段で充分一戸建てを購入できる。現在は実家の都市でもだいぶ資産価値が変わっているが、当時はマンションなど、賃貸物件くらいなものだったと思う。
マンションに住むということで、近所のひとにバカにされると思ったらしい母は、パンフレットを片手に近所のひとたちに説明しまくっていた
「高いのよ~ 広いのよ~」とマンションのパンフ片手に井戸端会議を開いている姿を今でもはっきりと覚えている

彼らに「あなた達が思っているようなマンションとは違うんですからね」
と念を押しておきたかったのだろう
ある日、「ふん!みんなアパートみたいなもんだと思ってるんだ!」とぷんぷんしていたから(笑)

話が横道それたが、会社が購入してくれたマンションでの生活が始まった

新築のマンションなので、入居してからどんどん同じ棟、同じフロア、上下の住人が挨拶しにやってくる

住人は一流企業がほとんどといっていいほどで、海外から帰国した人たちがたくさんいた

 テレビで洒落たCMを流している企業、日本の経済の先端を行っている会社
子供の私でも名前を聞いたことがある会社に普通に勤めている人々がご近所のひと
こんなことは田舎暮らしだった私達には初めての経験だった
そして、海外のあちこちで暮らしたことがある人など、見たのも初めてだったかもしれない


母はうちのめされたのだと思う

地元では大きいといわれている会社でポジションもあり、大きな顔をしていられたが、ここでは会社の名前すら知っているひとはいない。


こういうとき、「上には上がいる」と自分の身の程を知って成長すればよかったのだろうが、母はそんなことはなかった
彼らへの憎悪へ成長していったのだから

 

よく行き来していた上の階の奥さんは、南米帰りの大手銀行員の妻だった
当然、英語のほかにスペイン語も堪能
上品で、おとなしい感じの方だった
よく行き来しているのに、母は決まってそのひとの悪口を言っていた

「ああいう海外帰りのひとはメイドを使っていたとすぐ見栄をはる 安い値段で雇えるのにさ」
「なにさ!気取っちゃって。実家なんかすごい田舎にあるくせに」
「着物は実家に置いてあると言っていた。あれは絶対にウソだ 本当は持ってないって(自分はたくさん持っているのが自慢)」

あのひとたちは自分をバカにしている

 

母の反応はそうだった
本当にバカにしていたかどうかは、判断することはできない
だが、自分が持ってないものを目の前のひとが持っていることは、母にとっては耐えられないことなのだ

 

現在の母は、私に腹を立てているというよりも、
過去、自分をバカにした(かもしれない)海外帰りの奥さん達に腹を立てているのだろう
そのとき未解決だったことを、私をやっつければ解決できると思いこんでいる(スーザン・フォワードより)
それを知って、だいぶ私はラクになったのだ

「海外にずっと暮らしているとロクな人間にならない 帰ってきたらおかしなことになる」

 

と母は言った

さ~て

おかしなことはいつ起こるのだろうか

 

 





 



 

 

 

 

 

 

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母の嫉妬

2008-06-05 | ~3年前の爆発~

海外赴任

という言葉はどんなイメージを持たれるのだろうか

「エリート」「リッチ」「語学ができる」「お高くとまってる」など?

私も赴任する前はうっすらそんなようなイメージを抱いていた

え~
残念ながら、海外駐在の生活を楽しく紹介するブログではないのであしからず(汗)

母のことに絡めての気付きについて綴りたい

****************************

「海外赴任っていってもそんなカッコいいものじゃないって」

「苦労することもたくさんある 大変なんだよ」

「リッチ?とんでもない。日本の物はものすごく高くてとてもじゃないけど買えない 生活費が倍もかかってリッチになるどころじゃない」

 

私は海外赴任なんていかにどうってことないことかを、いつも力説していた。どうしてこんなに必死になるのだろう・・・・

 

これも長年に渡って、母が私に送り続けたメッセージに起因していた

 

母は私に嫉妬している

 

母との関係が決定的に悪くなったのは3年ほど前からだ。
ただの親子ケンカとはちがう、私はどうしてこんなに苦しいのだろう
母の電話にビクつき、こんなに離れていても影に怯える日々

なにかヒントはないかとひたすらネットで検索しつづけたある日。
アダルトチルドレンに関するページを見つけ、吸い込まれるように入っていった

 

間違いない これは私だ

そこで初めてAC親は子供に嫉妬すると知った
それまで親が子供に嫉妬することなどあり得ないと思いこんでいたのだが。
そう。そうだったんだ
それですべて説明がつく

 

思えば母というひとは、私がなにか楽しかったり嬉しかったり、いいことがあったと話すと

「うかれるんじゃないよ」「調子にのってるとみんなに嫌われるからね」

よくそう言ってピシャリと釘を刺した

また、将来の夢を胸膨らませて話すと

「ふん!女なんて結婚して子供産んだら終わりや みんないっしょや」

「そんなコト、あんたみたいなモンはできないって」

と片付けられた。

こういう母なので、私は母の前で自分の楽しいこと、幸せなこと、希望、夢を語ることができなくなっていった

 

AC親は子供が自分より幸せになりそうになると、嫉妬し、足をひっぱろうとする
そして子供はいつしか親よりも幸せになることに罪悪感を感じるようになる

 

~海外生活が始まったのが3年前~

出国直前に大きな出来事が起こった
(このことについては、また後ほどふれたい)
その頃から私と母の関係は悪化していった

 

言われて嫌だったことをここに綴ろう

 

こちらに来たばかりで、右も左もわからずてんてこ舞い
銀行ATMの使い方もわからないでマゴマゴしていた頃のこと

母は週に1度は国際電話をかけてきて、こちらの様子を聞いた。
わからないことが多くて大変なんだと訴えたら

「自分がどんなに英語できないか思い知ったやろ!」

「・・・・・・」

絶句して言い返せなかった
断っておきますが、私英語できません(今でも(^。^;;)
英語しゃべれるから海外赴任なんて平気よ!と宣言もしてません・・・

 

それから

母が友人から「娘さん、海外赴任されてるなんてすごいね!セレブね」とかなんとか言われたらしい
速攻電話してきて
「まったくなにがセレブよ そんなもん!!」

「・・・・・」

(どう返事すれば?
と言いながら、アナタ、友達に
「私の娘は海外にいますの~」って自慢したんじゃないの?)

かと思えば
頭に湯気が立つほど怒りながら電話してきて
「今日友達の○○に、『海外駐在の奥さんたちなんて、ロクなことしてない。海外赴任手当てもらって遊んで歩いてるだけだ』と言われた。そんな酷いこと言うのよ!!○○め~ くそ~ 
ねえ!アンタ、海外赴任手当てなんて貰ってないよね?ね!?」

「・・・・・。も、貰ってない」

「でっしょーー!今度貰ってないってあの女に言ってやらなきゃ!」

友達の悪口を言いたいだけ言って電話は切れた

*********************

本当は赴任手当て(という名目ではないと思うけど)は出ている。
こちらに来てからのほうが、経済面でははるかにラクになった
(あくまで我が家の以前に比べての話デス!)
大変なことも多いけど、海外ならではの楽しみもたくさんあるし、学ぶこともできる。より豊かな人生経験を得られる。
それもこれも、夫のおかげだ。夫は以前から海外駐在を希望しており、それに向って努力し、認められた結果なのだから

本当のことを言えなかった私がそこにいた
今なら、言うだろう
給料増えてラクになったよ!ここは楽しいよ!英語できなくたってなんとかなるもんよ!夫は仕事充実して、家族支えあっているよ!

↑これが真実
私の「心」が幸せだと感じていることをありのまま伝えると、母が言うように嫌われることがあるのだろうか?
もしあったとして、その「誰か」のために、感情を捨てなければいけないのだろうか・・・


海外赴任だからといって、偉くなったとでも思うなよ 調子に乗るんじゃなよ アンタみたいなモンなんて アンタなんて・・・

呪文のようにどこからともなく聞こえてくるメッセージ
週に1度の電話は、私がちゃんと自分よりも不幸でいるかどうかを確認しているかのようだった

 

母が海外赴任に拘り、嫉妬している原因に、思い当たることがあった

(つづく)

 

 

 

 

 

 


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