実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

思い出し苦笑い

2009-09-26 | 母というひと
先日、親友に大笑いされた出来事を紹介しよう


前回、実家に帰省していたときの出来事。



墓参りも終え、特にやることがなくなってソファに寝転んでいたらそのまま転寝してしまった。
めったに転寝などしないのだが、時差ボケや連日の移動でかなり疲れていたので目を開けてられなかった


母は自分がしゃべりたいのに私が寝てしまって相手をしてもらえなくなりイライラしたらしい



突然、大声で


「ちょっと!1年1年どうなるかわからないんだからね!私!!(来年は生きてるかどうかわからないという意味)
そんなことしてないでよね!!!!」


と無理やり起こされた!



そしてなんだかんだ一方的にしゃべりだした
(寝ぼけてて話の内容はあまり覚えていない)



そして、その1、2時間後






昼寝スタート




この話に親友爆笑




「来年はどうなるかわからないんでしょ!!」って言って
たたき起こしてやればよかったな~







ホント、身勝手なひとですわ


それでも私のほうが身勝手で思いやりがなくちっとも役に立たないそうです





大バトル③

2009-09-18 | 母と私の現在
前回も記事にしたように
大バトルでは、これまで言いたかったこと

*私は母が言うような、親の手伝いを何もしなかった娘ではない
 何をやっても「してない」「足りない」としか感じられない母がおかしいのだ

*大学に行かせたのは父ではなく自分だ自分だと、恩着せがましいことを言われつ づけてきたが、父は反対していたわけではない。父の恩恵によるものも大きい



この2つを言えたことは進歩だと思える


そして、私を「思いやりがない酷い娘」というレッテルを貼り続けて、要求ばかりしている
私をいつも邪険に扱うという点を抗議すると、そんなことはないと言う

なので


「じゃあ、私の良いところ言ってみなさいよ」


母:アンタは私のいいところ言えないでしょ



「質問に答えて。いいところは?」



母:アンタは嫁にやった子だから。結婚したらそうなの。よそへやった子だから。


(意味わからん)



「じゃ、結婚前はどうなのよ」



母:高校出てからずっとはなれてるし。一緒にいないから




母は私の「長所」を答えられなかった
あの母ならそうだろう
私のことを、そんな風に見たことなどなかったのだろう


私:お母さんにとって、子供ってなによ?
  自分の不平満をぶちまけるためにいるのよね
  


母:お父さんにすごく苦労させられてきた。浮気されて傷ついた。私だって、愚痴  もでるのがあたりまえや どうすればいいっていうのよ!



私:娘に言うことじゃない。やりすぎよ。そんなに嫌なら離婚すればよかったのに。結局、しがみつくしかできなかったんだって!別れる能力がなかったのよ!
解決できなかったんだって!!



母:離婚なんてアノ時代は考えられなかった。ひたすら子供のために耐えてきた


私:子供で憂さ晴らししてたもんね





詳細は覚えていないが、こんな感じでバトル
断っておきますが、離婚を考えていても、「できない」事情は各々あるでしょう
私は離婚しなかったことを責めているのではありません
母のように自分に原因がありながら、それを認めようとせず、子供に「離婚しない」ことで恩を着せたり、特権を得たかのごとく横柄にふるまい、夫にモラハラする行為を許せないのです



**子供の長所を答えられない親**

そんな親っているのね~っと、傍観者のようにみてしまった




バトルは痴話げんかのごとく、延々続いた

なにを言っても私にやりこめられてしまうので、



揚げ足ばっかりとる!
批判ばっかりする!

とキレてきた


そして


「あんたね、今になってそんなこと言うなら、そのとき注意してくれたらよかったのに」

と言われたので




何年か前に、言ったら、お母さん「親に説教する気かぁ~~~!!!!」ってキレたよ



母 「よく覚えてるのね!」




どうして言わなかったんだ!とも責めてきたので



言ったら悪いと思って言わなかったの。




母  無言


**********************


ACを克服するためには、親は変わらない。変えようと思ってはいけない。
対決は自分のため
親を反省させたり、謝らせたりするものではないし、期待するものでもない

重々承知しているのだけど
このバトルの軍配は私に上がったように感じた



これが帰省の1ヶ月前の出来事でした

大バトル②

2009-09-09 | 母と私の現在
前記事は、7月に書いた「ああ もう ほんとに」とかぶってますね

それは伏線だったのです


「大事にしないと(娘の私が)さびしいよ」



不愉快で仕方なかったその翌日





思ったような反応をしない私に一発見舞いたかったのか、またまた電話が来た



母:アンタねぇ なんでそんななん?なんかあるの?



(不安になったな)



私:え?なにをすればいいの?




母:いつも話し方きつい。「しんどいんでしょ!」とか。何か送ろうか?って言っても「いらない」とか



私:私たちが帰省するといつも「しんどい」「殺される」って言うのはお母さんじ ゃない 初めて荷物送ってもらったときだって、「重かった」「暑かった」「も う二度と送らない!」って言ったのはそっちよ



母:だってしんどいもん!


私:だからいらないって言ってるんですけど



母:もっと優しくね してくれたらいいのに



(出た!今日こそ言うぞ!!)



私:あなたが「大事にされている」と感じられないんだって!
  なにをやっても「何もしてくれない」って言うでしょ
  どんなことがあっても満足しない 感謝する心がないのはそっちだ




(ちゃんと言えたぞ!)


ここまでは冷静に言えて、やった!と思ったのだが、その後、詳細は忘れたけど、
お互いエキサイトしてしまった



そして、いつもの


「お父さんは短大でいいって言ったのに、4年制に行かせてやったのは私だ!!」




出た~~~



形勢悪くなると、この話を持ち出してきて、服従させようとする
しかもなんの脈略なし!大学って一体何年前の話だよっ!!!
この手口、卒業して20年以上、何度使われたことか!


「大学に行かせてもらった」
子供を二人、大学に出すのが大変なことは私だって理解している
なので「負い目」のように感じていたのだけど
いつも父が反対してたと言い張る母




今日こそ真実を言うぞ!


まずは私が大学進学する経緯を説明しよう

私が高校3年のとき、父が東京から地方へと転勤になった
なんと間の悪い!
受験生なのに!
私を置いていく案もあったが通っていた公立高校は寮もない
アパートで独り暮らしも危ない 受験べんきょうにも差し支える!
ということで、翌年には必ず東京の大学を受験させるという条件のもと、泣く泣く両親にくっついて転校させられた


そして、高3の夏休み。
我が家に一大事が起こった
たまたま帰省していた兄に、重篤な病気が見つかった
一時は「余命半年」とまで宣告されてしまった
幸い、良性なものだったので命に別状はなかったが、大手術をし、半年入院
母は病院につきっきりで、ほとんど家に帰ってこなかった

私は受験勉強と家事に追われていた
しかも、転校したおかげで、勉強のスケジュールは大幅に変更せざるを得なくなっていた


そういう状況の中、父は私を手元において置きたくなったのだろう

「地元の短大へ行け」と突然言ったのだった


その場ですぐ、私は
「話が違う!」「なんのために転校したんだ!」と抗議した
母も私の肩をもって、父を責めた
父はそのときがぎり、「短大にしろ」とは言わなかった





手術は成功したが、障害が残ってしまった兄
命はとりとめたものの、両親の落胆はひどかった
私も美味しいものを食べさせてあげようと、ちょくちょく食事を病院に運んでいた
それはそれは毎日忙しかった



*大学は推薦をもらって、秋の終わりに決定した




~~~~

私:その話だけどさ~
  確かに、進路決めるときにお父さん「短大でいい!」って言い出したんだよね
  お母さんも「何言ってるのよ!」って味方してくれた

  でもね それ一回きりだよ
  私が推薦決まったとき 翌朝、お父さんから置き手紙をもらったよ
  手紙にはね
  「アッちゃん 合格おめでとう。合格を知った昨日よりも、今日のほうがもっ   と喜びがこみあげてます。お父さんは本当に嬉しい」
  って書いてあった。お父さんは私が○○大へ行くことをすごく喜んでくれたよ
  反対したのは一回だけ!お父さんは喜んでくれてました!!




母:手紙?え??(動揺)
  大学出すの大変やってんよ!お父さん、買いたいもなんにも買えなかったん   よ!



私:そうよ!だからお父さんのおかげよ
  高い私大の授業料出してくれたのもお父さん!
  アンタの言い方だと、まるでお父さんが4年間ずーーーっと「短大にしたらい  いのに」って文句言ってたみたいじゃないのよ!!




ここでまだ「私のおかげだ」と叫ぶ母



私:私のおかげ 私のおかげってさーー!
  稼いでたのはお父さんや!!!!




~母ものすごく悔しそうにする~






母:アンタね!お父さん私に感謝しなくちゃいけないのよ!!!






私:話変わってるじゃないの
  今までお父さんの「お」の字も聞いたことないよっ!!!!




母:そうかな?





ガクっ・・・・






でもまあ 


かなり満足




おりしも、この日は父の命日前日




父の名誉のため!
という気持ちも強かった




痴話げんかみたいだけど、言えてよかった
いや、なぜちゃんと今まで言えなかったのだろう
大学出してもらったのは両親のおかげだから、強く出れなかった
その「負い目」をいいように利用されてきた
言ったら母が怒るから・・・
それが理由だ くだらない



母もまったくバカだ


こんな風に偉業を利用しなければ、一生感謝されるのに



こっそり持って帰ってきた父の遺骨にお香をあげ、報告した


「お父さんのおかげなのに。今まで言えなくてごめん」




















そろそろ書きます:大バトルについて

2009-09-08 | 母と私の現在
すっかり間が空いてしまった

大バトル

あれはもう1ヶ月以上前のことで
重苦しい出来事だったから、なかなか書くという意志が沸いてこなかったのだけど
バトルから今日までに帰国も終えて、
時間が経ち、気持ちも軽くなってきた今、記してみたいと思う


~7月のある日~

母から電話。

私の夫の実家から美味しいフルーツを送ってきてくれた
いつも気遣ってもらって恐縮している
お返しどうしよう云々かんぬん

そして。

「あちらのお母さん、アンタ達がちっとも連絡くれないと言ってなげいてたわよ。息子の会社もわからないってオロオロしてた。もっと大事にしてあげないと!」


と言われた


私:「してます。会社の住所も電話番号も以前に渡してます」




母:「私のこともねぇ。もっと大事にしたら、アンタ得なのに」









(なに?得ってなに???

うわ~~~ 気持ち悪い!!!!!ぞっとする!!!!!)




それには応えず電話を切った






それからしばらくの間ものすごく不快!




「私を大事にしたらアンタも得するのに」

このフレーズが頭の中をリフレインする



こうやっていつも操作されてきたんだ
あのひとは、見返りがないと愛情も差し出さないのだ
もともと持ってないくせに、ちらつかせて自分に尽くさせようとする
馬の鼻ずらにニンジンをぶら下げるように、ずっと走らされてきたのだ
これだ。これなんだ。
ずっとだまされてきた

遠くに住んでる=親不孝
の図式を刷り込まされて、死ぬまで代償を支払わされる
あのひとと話していると、いつも「借り」があるような気がしてくる

もうたくさんだ!!!




怒鳴ってやりたい気分になったが、まずは夫の母に真実を確かめなきゃ
と思い、電話することにした。
今までなら、事実じゃないことがわかったからといって、母に「ウソをついたな」と言い返す勇気もなかったのだが、もう泣き寝入りはしない



残念ながら(苦笑)、姑さん、ちょっとばかし弱気なことは言ったようだ
ただ、会社の住所は渡してあるけど、電話のかけ方などよくわからないらしい。
姑には、母との確執を大まかに話してあるので、こんな電話して申し訳ない。とわびた。そして、電話をあまりしないことも謝った。


(実は、あまり電話しないことも訳がある。独身で一度も勤めたことがない50代の義姉。最近はノイローゼかうつ病のような状態で、両親と話がしたくても代わってくれないことが多く、ひたすら自分の不幸話、犠牲話を聞かされるので)




母がウソをついていたわけではないことはわかった

とりあえず、気を静めて・・・




思ったら!


つづきます ふぅ~