実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

なにが起きたのか

2023-11-27 | 母というひと

数ヶ月放置していました!

皆様のところへはお邪魔させていただいています(^_^;)

開店休業中状態のマイブログが、ここ数日、アクセスが増えています。

このところはアクセス1桁の日もめずらしくないのに〜

 

なぜかしら?理由はわからないけれど・・・

 

で、アクセス多い記事を読み返してみた。

https://blog.goo.ne.jp/acchan-smile/e/8f3c9f336fb9813e3f5aff9c56af2d9a

 

す、すごい・・・・

亡きモラ母

あのときの情景はまだはっきりと覚えている。

病室の空気感

お線香をむんずとつかんでお墓に車を走らせたこと

雨を降らせる黒い雲を青空が後ろからどんどん追いかけてきたこと

なんとも言えない気分で読んだ。

モラ母は病床にありながらも口は生き生き動いていたな!

よく動く口だったなあって

 

懐かしくはない!!


母の日なんて

2023-05-15 | 母というひと

いつものことだけど、

更新滞っていました。。。。

当然、アクセス数も少ない。

 

これ毎年?

こんな弱小ブログでもアクセス数が急に増える日があるのです!

 

その日とは

 

母の日なのです!!!

 

 

昨日の母の日、あちこちでお祝いがあったことでしょう。

しかし、

一年で一番、憂鬱と感じる方々も一定数いらっしゃることでしょう!!

そんな人たちがこのブログにたどり着いたのかな〜と。

 

このブログでも何度か「母の日」の私の行動を綴っています。

実母と闘うことを決めてからは、お祝いなんてしてません。

決して褒められた行為ではないけれど、

いつも苦しめられてる相手をどうして祝ってやることなどできましょうか。

苦しいのにぐっと我慢してお祝いしてやったところで、

私の実母は「あんたは私になにもしてくれない」と言い放ちましたからね〜

今、苦しんでいる人たちは、一回、お祝いやめてみるといいな、と思います。

思いもよらない反応が返ってきます。

案外、スルーする毒親もいます。

私の毒親は、なぜしてくれないのだろうと訝しみながらコンタクトとってきたなあ

動揺しているのがわかって、「ざまみろ」と思っちゃったワタシ

「してもらえない」親だということが耐えられないのでしょう。

プライド高い人は、なかったことにしがちかも。

そして世間には嘘をつく可能性大!

こんなにしてもらったの〜とか、

子どもたちすごく忙しくて(仕事の地位が高いからとか自慢しつつ)今日はできないけどね〜 旅行連れてってもらえる〜

など。

 

長年、毒母になに贈ろう、なにしよう、機嫌損ねないようにしなきゃ!とそればかり考え、毒母の反応に怯えてたのだが、

子供がある年齢に達したとき、自分も「祝ってもらう」立場だということにふと気づいた。

ずっと「娘」であることが自分を占領していたこと、それが普通になっていることに愕然としたっけ。

このブログに綴ったか忘れてしまったが、あるとき、

「母の日」になにもしなかった私に探りを入れてきた毒母。息子(つまり私の兄)が母の日にたいしたことをしてくれないとグチグチ言ってきたとき

「私はお祝いしてもらったよ!子供がくれるものはなんでも嬉しいよ!」

と言ったら絶句してた。

勝った!!気分上がりました(不謹慎ですが)

お子さんがいる毒親持ちの人たち、

自分が祝ってもらう立場で、そちらを優先してよいと思います!

どうか負けないで〜!!!!

 


なんて言うかな

2020-09-03 | 母というひと

コロナもなかなか収束せずの今年の夏。

感染者の多い都会から地方への帰省はいろいろ大変。

離れて暮らす息子娘、孫と会いたい気持ちと、感染、隣人たちへの恐れなど。

親から「今年は帰ってこないで」とはっきり言われたという友人もいれば、

帰省したら近所の人から親が嫌みを言われたという人もた。

帰省する前から

「お宅の息子さんは帰省しないよね?」と先制?されたという人も。

 

そこでふと。

我がモラ母だったらなんて言うかな?と。

コロナじゃないときから帰省すると嫌がらせのオンパレードだったし、

家に泊めないよう画策されてたな!

世間体が絶対的なウェイトを占める母だから

「帰るな」のスタンスは間違いない。

あの人のことだから

ここぞとばかり「コロナだから!」と自分の本心は覆い隠して

帰省させないようあれこれ言うだろうな~

私に対しても世間に対しても。

 

ほんと、何十年も酷いことされてたのに、

自分はなぜにそうまでして帰省しなければ!と固執していたのか。

耐えなければ!が強すぎた。がんばってたけど、馬鹿だったね自分

 

生きてたら

 

「コロナじゃなくても、アンタのところになんて帰らない!!」

って言ってやりたかったわ

 

 

 

 

 


私にとっては

2019-02-20 | 母というひと

近頃の若者は電話に出ない

 というニュース 

 

そうですね。

若者じゃないけど、かかってくる電話は苦手意識があるワタシ

携帯が普及する前の家電話って、ものすごく強制力がありませんでした?

ナンバーディスプレイもないような時代なんて、

電話が鳴ると、なにがなんでも飛んできて 

出なきゃ!!!

って。ワタシの場合ね。

食事の支度中⇒手を止めて火を消して、洗った手を拭き拭き受話器を取る

トイレ中⇒あわてふためいて電話に駆けていく

テレビ視聴中⇒当然、出る

赤ん坊のお世話中⇒授乳中でも受話器とってた💦寝かしつけてても舌打ちしながらでる💦

「電話に出ること」優先順位はかなり上位!

ところが、ナンバーディスプレイでかけてきた相手もわかるようになり、携帯が普及した現在は、

受けて側が出るか出ないか、選択しているのかな。

 

いや~今まで、なぜにあれほどまでに必死になって電話に出ていたのかなあと回顧。

やはりモラ母さんのせいです。

遠方で暮らしている娘をコントロールするには、「電話」が最適のツール。

あの人の「電話」ってほとんど監視。

こちらが電話に出られない都合など、想像もしない。「自分」が「電話かけてる」のになぜでない?ときたもんだ!

家電話に出ないと、「遊んでる」、「主婦たるもの家を空けるべからず」と怒る。

携帯に電話されても、さまざまな時に出られないこと多いのに

(電車の中、レジで支払い中、などでモラ母の電話出られないこと多かった!そんだけ日常的に電話されてたのね)

それを言っても理解しない。

一度、出勤前に、どーーってことない用件で電話されて、

「今から出勤だから💢」と言うと、

「あら!!!!いいじゃないの💢💢💢」と激怒された。

働いた事ないモラ母は、「仕事」というワードに敏感で、「偉そう」と思うみたい。

それは義姉も同じだ。

モラ母の電話番号を着信拒否したときは、区切りであった。

そんなこんなで、

私としては、かかってきた電話に強制力がなくなっている現在の風潮はウェルカムなのだ

電話かけるときは、「忙しいかな?」「迷惑かな?」と緊張してしまう💦

しかし、仕事の電話すら出ない、とか、なにがなんでも出ない、っていうのも行きすぎかとは思うけど。

私の場合は、モラ母の電話が怖くてトラウマで、今の電話の在り方はほっとしている部分が多い

 


着物

2018-06-18 | 母というひと

着物買取専門業者に訪問着を買い取ってもらった。

その着物は花嫁支度で用意してもらったものだが、

とうとう1回しか着なかったもの。

せっかく高価な着物をこさえてやったのに「着ない💢」とどんだけネチネチ母に言われたことか。

いくらしたと思ってるんだ!どんだけ金の用意が大変だったか!!

全く着ない着物のタンスが家を占領している💢 邪魔!💢

というので、悪いから処分していいよと言うと

なんだとーーー殺す 今度そんなこと言ったらアンタの目の前で着物引き裂く✂

と言われたっけ

70万だか言ってたと思ったが、いつのまにか100万の着物になり、

作家は人間国宝!になってたけど、

調べたら国宝じゃなかったわ💦その着物の作家さん。

なので買取値段なんてどうでもよくて、

とにかく手を離れたら

 

すっきり~

晴れ晴れ幸せ

 

そこの業者はいろいろ調べて、着物はやはり専門家がいいな、と思い、訪れてみた業者。

知識も豊富で着物の価値についていろいろ教えてくれた。

この作家さんの師匠は人間国宝の〇〇だよね 

その〇〇先生の作品で、美術館に展示される品であっても10万くらいらしい。

そして現在、着物の価値は低く、高く売れることはほぼない。

作家がどうこうというより、現在好まれる鮮やかな色柄が重要とか。

私の着物の色柄は、今の時代の需要とマッチしてないんだろう 確かに地味だわ

一般的に着物着る人そのものが少ないとのこと。

いつか私に着物着る機会があってもレンタルだろうなー

売ったお金で中華料理を食べ、余ったお金を息子の小遣いにした。

 


やるせない

2018-05-02 | 母というひと

母の親戚の方が亡くなった。

なにかと母がパシリに使ってたと思われる人。

母が亡くなる1週間ほど前に、蒲焼買いに行かされた人 →この方

死因はなんとも痛ましいもの

階段から落ちて亡くなってという。

一人暮らしだから発見に1週間ほど要したらしい

家族はいるのだが、訳ありな方で・・・・。

若い頃に幼子を残して駆け落ちして蒸発したりしたものだから、付き合っている親戚も少なく。

母とは、家が近くなって、15年ほど前から再び付き合うようになったようだ。

そして、驚いたことに、

前記事 の形見分けのとき、伯母が、

「〇〇ちゃん(亡くなった方)、いつも▽▽(私の母)にこき使われてたみたいだし、ずっと申し訳ないと思っていた。

このネックレス、形見分けにあげてもいいかな?似合いそうだし」

というので、ぜひ渡してあげてほしいと託した。

伯母は彼女の家を訪ね、お礼を言い、ネックレスを渡した。

すごく喜んでいたとのこと。

逝ったのはその翌日あたりらしい・・・・。

なんてこと・・・・・・。

伯母や従妹たちは、

あの世でもこき使うために母がよんだんじゃ?

と言う

ネックレスを着けることもなく逝ってしまわれたのかな・・・・。

やるせない。。。。

 


整理

2018-02-26 | 母というひと

先日、兄と実家の整理に帰省していた。

近ければもっとできるのだろうけど新幹線、✈で行くような距離だとなかなか💦

今のところ週末しか行けないし、1日でできることはそれほどない。

今回はゴミ収集日に合わせて洋服、アクセサリーなどの整理がメイン。

すべて捨てればよいのだろうけど、想えば形見分けなどもしていない。

80歳超えた人の洋服を着てもらえるのは、体型もほぼ同じの伯母しかいない。

20年以上断絶していたので、現在の家には足を踏み入れたことが一度もない伯母。

複雑な間柄だけど、私としては、欲しいものがあったらもらってもらたいし、実妹の家に一度も入ったことがない状態に伯母が悲しい想いを抱え続けるかもしれない、と思い、電話して「来てくれないか?」と話してみた。

伯母もまた複雑な想いを抱いていて、行きたい、行くべきじゃないかも、の狭間で悩むこととなった。

強制するつもりはないので、伯母の意思に任せたところ、結局、「行く」ということになり、当日は、従妹二人と共に来てくれた。

母は整理整頓だけは完璧にしていて、なんだこれ?こんなものなぜ捨てずに?というものはないが、

衣裳持ちで洋服、帽子、装飾品が大量にある💦

伯母は遠慮がちにしていたが、

「好きなものあったら持っていって!」「ほらこれ似合う!」

娘である従妹も「着てみなよ」「似合うよ」と声掛けし、働き者で優しい彼女たちは、結局、整理を手伝ってくれる形となった。

大量に出たゴミも持ち帰り、使えそうなものはリサイクル店に持って行ってくれるとことになり、ほんと助かった。

遺品のいくつかを、伯母は、

「最後までこき使っていた親戚の〇子にあげたいから、もらっていいか?」と、なんとなく溜息交じりに話した。

もちろん、そうしてもらった。

そして、伯母たちが驚いたのは、

こんな広くていいところに住んでたの!(市内の一等地)

で。

こんな広いところなのに、アッちゃん、泊めてもらえなかったの!!

従妹のひとりは、狭いから泊めさせないのかと思ってた💦

 

 

後日、伯母に電話した。

「行く前は複雑だったけど、行ってよかった。妹が住んでるところを知らななんて情けなかった。

仲良い姉妹じゃなくてアッちゃんごめんね。自分が我慢して付き合い続けていればよかった・・・。」

と泣かれた。

そんな・・・・なにを言うの・・・・

「あの人とうまくやっていける人なんていない!娘の私とだって断絶してたんだから!!!」

と慰めにもならない言葉をかけた。

「いただいた洋服も、素敵だし、複雑な想いはあるけど着ようかな」

と言うので

「すごく似合ってたし、ワンシーズンでもいいから着てよ!」

「モノに罪はないから!!」

と言うと笑ってくれた。

 


今年の漢字

2017-12-14 | 母というひと

師走だ師走~

もうあと半月か。早いなあ

 

2017年の一文字決まりましたね

「北」

うーん。なんだかあんまりピンとこない。

 

今年逝った母を漢字一文字で、考えてみた!

 

「疑」

「妬」

「暴」

あたりかな

 

とにかく猜疑心が過剰な人でした。

家族、友人知人、半分以上の話を「嘘をついている」と思いながら聞いてる人でした。

こちらの話をはなから「嘘」だと思っている人と、仲良くなんてできません。

そして母自身も「嘘」が多かった。

自分が嘘ばかりつく人間は、他者も「嘘」をついていると思って行動するものなんだ。

あ、「嘘」も入れなくては。

嫉妬深いのも「疑」につながる。

そして「暴」れる

 

さて、私にとっての今年の漢字は

なんだろう・・・

「去」

「放」

が一番しっくりくるかな

一番の苦しみから解放された

おつかれさま自分!

 

 


遺言書

2017-08-09 | 母というひと

実家はしばらく空き家になるので、

物騒だから印鑑や通帳は兄と私で別々に持って帰ろうなど話し合い、

私は家の登記書を持って帰って保管することになった。

登記書は「登記書」と書かれた(母の字)紙袋に入っていて、その中に損保保険の証書なども一緒に入っていた。

さらになにか入っているので、中身を全部出したところ

遺言書が出てきたのだ。

母の遺言書ではない。

9年前に亡くなった

父が書いた遺言書!

慌てて兄を呼んで、

「お父さんのよ!!」

「開けて!!一緒に開けて!!!」

遺言書は毛筆で「遺言書」と書かれ、

厳封して緘をしてあったのだ。

兄が恐る恐る開けて、中身を読んだ。

内容は、細かく正式名の住所の記載をし

「右の物件の所有権を、すべて妻である〇〇子に譲る」

というもの。

日付は父が亡くなる9か月ほど前だった。

もちろん、それは正式な形式のものではないけれど・・・。

 

父の遺言書を開封もせずに、自分が亡くなるまで放っておくって・・・・・。??????

なんのことはない、ちゃんと自分が臨んだことが書いてあるじゃないか!!

自分の要求通りのことを父はしてくれているじゃないか!!

 

父が亡くなったとき、母は

財産放棄しろ!家の権利放棄しろ!権利主張するなら今までもこれからも固定資産税全部払え!!ここの管理費も払え!!

ハンコ押せハンコ押せ!!

私達がなんの抗議もせず大人しく「放棄します」と何度言っても、はなから信用せず、

兄には会社の代表電話まで、私には毎日、↑の暴言で国際電話の嵐だった。

あるときなんて、

「アッちゃんはお金要らないけど家が欲しいと言った!」

と言いがかりをつけらてたりした。

 

・・・・

 

遺言書を開けられず捨てられずにいた母。

どんな心境だったんだろう。

開けたら: 自分が全部もらえない、子供に一部か全部やってくれと書いてかるかもしれない。だから無視。

かといって、捨てることも忍びない。

登記書の袋に一緒に入れてるのは、

「ここに何が書かれていても、もう知らんから 私はこの世にいないから関係ないから」

というメッセージに思えた。自分が死んだあとに私達が開封することを想定して、登記書の袋に入れていたんだと思う。

父はちゃんと母に譲ると書いているのに。

自分の命のリミットもわかっていて、どんな気持ちで書いたのだろうか。母を想って書いたはずなのに。

父は書道をやっていたので、それはそれは達筆だった。

その遺言書をその時に開封していたら、もっとすんなりコトは運び、私達を疑ったり、こちらもイヤな思いをせずにすんだのに。

本当に愚かな女だと思った。

 

この遺言書、私が持っていていいか?

と兄にきいたら

「いいよ」

と言ったので、持ち帰ってきた。

9年も放っておかれて、やるせない。大切にして、いつか供養してあげたい。


あちらへ

2017-07-13 | 母というひと
今朝、逝かれました、
4時半頃、兄のところに病院から電話📱
呼びかけに応えないと。
兄だけ朝一番の新幹線で向かい、私は諸々支度に手間取り、9時頃家を出た。
玄関出たところで、
「病院着いたらすでに亡くなってた」と連絡。
そのまま駅へ向かって、メトロに乗った途端にけたたましくブザーが鳴り響いて、何事?と思ったら、点検で運転見合わせ。
10分ほどの停車予定が30分に及び、
予約した新幹線は間に合わないと思って、スマホで四苦八苦しながら変更した メチャいらいら💢
運転再開のあとも、一駅進んで止まり、また一駅進んで止まりで、30分で着くのに1時間半以上かかった!💢
1時間半後の新幹線にしたのに、これも間に合わないかも!てくらいギリに着いて、切符発券して、東京駅の中、走った走った💨💨
なんだか母に走らされてるような気がしてきて、
不謹慎だか、マジで

モラは死んでも治らない

つてこのこと?死んでもいやがらせかい!と体感してしまいました。

職場の人とか気を使ってくれて
気を確かに持ってね!
とか言ってくれるのが申し訳ないくらい、今のところ特に感情も湧いて来ないです

悲しくもなく嬉しくもなく。

行ってきます