実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

関係。

2010-03-22 | 母というひと
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の画面になり、いつもの編集画面にいけないので、ずっと不具合かと思っていたけど
アンケートに答えないといけなかったのですね

ひさびさに自分のブログにログインできました(汗)




さて、
前記事に母の交友関係について書いたけど、さらに不可解なことを記そうと思う。

母は自分の実姉と断絶20年ほど
父の兄弟ともほとんど付き合いもなく、聞かされたのは悪口だらけ
仲良くしているひとで思い当たるひとはいない
その親戚縁者の中で、別格に嫌いなひとが二人ほどいる

今日の話はその中のひとりのS子おばさん。
父の従兄弟の奥さんという立場なので、たいして近しい間柄ではないのだが、父が叔父と仲がよかったので従兄弟達とも交流があった。
その叔父は東京に居をかまえていたので、父が東京にいたころはたまに訪ねて行くなどして付き合いがあった。

Sおばさんは、今でいうバリバリのキャリアウーマンだった
店を経営し、颯爽としたカンジの方。
母が嫌うのは無理はない(爆)
専業主婦しかしたことない母は、働いているオンナは自分をバカにしていると思い込んでいるから。



ああいう人たちっていうのは、常識がない

私達とは違う人種だ


S子おばさんを評するときはいつもこうだった


「達」って私をいっしょにしないでよね!と今では声を大にしてい叫びたいところだけど。


S子おばさんが、電話をしてきたりすると大騒ぎ


図々しく、アレ送れ、これ送れって言いつけるつもりだ!金払わないに決まってる!!

うちに遊びに来ようとしてるに決まってる!あちこち連れていかせようって魂胆だ!私にたかるつもりだ!

こうして激昂しながら、いつも「私」に電話してきた


***なのにおかしいのだ****

父の具合が悪いとき、S子おばさんが東京から見舞いに来てくれたことがあった。

母のいうとおり、S子おばさんが、そんなに図々しいひとだったら我が家に泊まったり
ご飯をごちそうさせられたりするものだろうが、
S子おばさんは、父の病院に到着してから、すぐ母に連絡するのでもなく、意識が朦朧としている父のそばにずっと付き添っていてくれた
母はS子おばさんが来る日は知らされていたが、長距離バスのため、はっきりとした時間がわからなかったし、故意に曖昧にしていたようだ

彼女は「お見舞いなんですから」
と、きっぱり。
遊びに行くわけではない、接待などいらない というような態度だった

母が病院に着くと、何時間も前からS子おばさんがついていてくれたことを知って驚き、
夜はレストランでもてなす予定をしていたのだが
S子おばんさんは、夜の飛行機で帰るべくすでにチケットをとっていたので、
引き止めることはできなかった

このことにはアノ母もだいぶ感心したようだった



****父が亡くなって通夜、葬式当日****


母はずーーーとS子おばさんにべったりくっついてしゃべりまくっていた
つかまえて放さないと言ったほうがいいくらい
延々と自分の看護の苦労話を聞かせていた
S子おばさんは、いいかげんうんざりした顔で相槌を打っていた

死水のときでさえ、大声でしゃべりまくるので、兄が裏へよんで一喝した

いいかげんにしろ!オレは喪主降りるぞ!!!

よくぞ言った兄!




***そして1ヶ月ほど過ぎたころ****

母から怒り心頭で電話がきた



あのS子ってばね!お父さんの墓参りに来たいって言うのよ!!!!

またたかるつもりや 墓参りなんて言って、あちこち観光に連れてかせようとしてるんや!!

私に運転させてタクシー代わりに使おうとしてるんや!!食事代も出させようとしている!!!


そして


ああいう人たちって人種が違うのや



ねえ!どうしたらいいの?!! どうやって断ればいいの!!!



それから延々「どうすればいいの」の嵐

また病気が出たな、と思った

母の「どうすればいいの」は困ったことばかりだ


「断ればいいじゃない」と言えば

「じゃ、どうやって!!」とイラつきながら私からの答えをせっつく

人付き合い、親戚付き合いなんて母のほうが人生経験長いんだから、私がどう答えろっていうのだ?

「わからない」とか」「そんなの自分で考えろ」と言うと、
また怒る

「アンタってすぐわからないって言う!」とか「なんて冷たいヤツだ」とか。

ストレートだろうが、やんわりだろうが、「断る」しかないのだ
パニックを起こして怒りに震えるようなことだろうか
そして私にその怒りの矛先がむく
母はそうやって私をうっぷん晴らしに利用する


私:なんで断れないの?なにか恐れているわけ?


と聞いたら


なーんも。

とごもごも言った
*******************


その後、どうやって断ったのかは知らない


S子おばさんからすると、あれだけべったり「S子ちゃん」「S子ちゃん」とまとわりついてきた母が、突然手のひら返したように冷たくなって、
わけがわからないことだろう



**************



このように母と他者との関係のとり方は、よくわからないことが多い
行き過ぎくらい近づくのに、突然突き放す
適度な距離をもてないのは、こういう人にありがちなこととは思うけど・・・


*************


私は、この母の影響で、「わからない」と返事をすることが苦痛になってしまった。
夫や子供に対してでさえ、「わからない」ということが嫌なのだということに気がついた

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「自己」とは

2010-03-10 | 母というひと
私の交友関係には口出しする母だけれど、
最近の母の交友関係はよくわからない。


前回の電話では
「だれも訪ねて来ない」
とぼやいていたが、関心を引くための言動である可能性が高いから、たいして気にもとめなかった

でも、もしかしたら、みんな離れていったのかな?
なんて少し思う

いやいや本当にそういう状態だったら、もっと大騒ぎして
恨みつらみ、仕返しに奔走するだろうから、深刻な状態ではないだろう



母の友達とは。

母に合わせられるひとが絶対条件(苦笑)

自分の話をしたくて電話したのにいなかったり、忙しいからと言って後回しにされたりすると、もう友達の資格はなくなるらしい(苦笑)
留守番電話になっていただけで激怒していたこともあったなあ

「私はいつもイライラさせられる!」

って
おいおい、だれかがイライラさせようともくろんでいるわけじゃないでしょ
自分の気性のせいでしょ


そんな母に、数十年来の友達がいる

Tさんといって、おおらかで思いやりに長け、知性があり多才な素晴らしいひとだ

彼女は転勤族だったので、母の近くで過ごした時間は7年間ほどだったと思う
私が小学生から高校生くらいのあいだ、ご近所だった
子供がふたりいて、年齢も性別も我が家といっしょだった


このひとの悪口を言うひとはいないだろうな、というような人だったので
アノ母もTさんにべったり。

どんなことでもTさんに話している感じだった
(たぶん、自分の話ばかりだろうけど!)


その期間の母ときたら


Tさんにそっくりだった


着るものはもちろんのこと、Tさんの出身地の方言までまねてしゃべっていたのだ
Tさんといるときに、つられて方言をしゃべるのではない
かかりつけの病院の医者、役所の受付、電話の応対、担任の先生etc
声のトーン、スピードまでそっくりに真似てしゃべるのだ



「自己=アイデンティティ」
*自己が環境や時間の変化にかかわらず、連続する同一のものであること。主体性。自己同一性


思春期の女子などは、同性に対して、「同一性」を激しくもとめる傾向がある
同じような服装、趣味、好きな男子、芸能人、
共有することに安心を求める世代
そして年齢とともに、他者との違いをも認め、「自己」が確立していく

これが本来の成長というものだと思うのだが、
母の場合、ちっとも育っていないようだ


未だ、違いを認められず、同一性を激しくもとめる
自分がちゃんと育っていれば、違いも受け入れられると思うのだが
同一でないことに不安、怒りを抱く



Tさんは立派なひとだけど、母は激しく嫉妬もしていて
時々、ボロクソに悪口を言っていた
Tさんの長男は、よく勉強ができたのだが、第一志望の大学を落ちたとき
「あんなすごいところ受けるなんて身の程知らず!」と言って、せいせいした顔をしていた

長女が大蔵省の彼氏がいたが、結婚まで至らなかったときも
「もったいぶってるからフラれた」とこれまたいい気味だと言わんばかり。
後に、建設会社のひとと結婚したときは
「聞いたこともない会社だ!」と自分の息子が大手ゼネコンに入社したことと比べて
バカにしていた


こういうことを日常、子供に聞かせる母だった。


私はこんな人間にならなくてよかった。
「人は人。自分は自分」 強く思うようになったのは母のおかげだ
反面教師とはこのことだ。
コメント (2)
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