相変わらず、あんなこともあった こんなこともあったと
思い出しては怒り、悲しくなったり・・・・
浄化するため、ブログのお世話になろう
母は、私よりも長男である兄をかわいがっていた
女親は男の子の方がよりかわいいと一般的に言われているけれど
母はそれを言葉に出して私に言った
「私、オニイチャンの方がかわいい」
「オニイチャンの方が素直で良い子やわ アンタは気が強い」
事実としても、ここまで言う???
兄は優しくて、妹は「気が強い」というレッテルをずっと貼られて育った
子供のころ、私から見た兄というのは、ちっとも優しい兄なんかではなかった
兄は思い通りにならないと、よく力ずくで私を押さえつけていたし、暴力もふるわれた
自己中で、優しく接してもらった記憶などない
兄が思春期を迎えた3年くらいは口をきかなかった
(現在はそんなことはない)
「気が強い」という部分以外を母は見てくれなかった
私にだって、優しいところはあり、思いやりからくる行動をしたこともある
だが、母は私の思いやりによる行いは「負けず嫌いだから」
と、必ず私の心が折れるようなことを言った
母の頭の中は兄のことでいっぱいだったようだ
私はしっかりしているから、放っておいても大丈夫だと決め付けられていた
私は小学6年のときに、父が東京に転勤になり、地方都市から都内近辺の小学校へ転校した
~母と初めて新しい小学校へ挨拶に行ったときのことをはっきりと覚えている~
担任の先生と挨拶
母は私の担任に兄のことを話し始めた!
私、オニイチャンのことが心配で心配で
新しい中学がこれこれこうで、転校をすごく嫌がってまして
○×▲■$&○~~!!!
まくしたてた母
「この子はしっかりものですから」
私の話はこの一言だけ
私はその時泣きたくなった
母に関心を持ってもらえなくて悲しかったわけではない
「恥ずかしい」と思ったのだ
担任が唖然としていたのを子供心に覚えている
その先生の表情が
「キミは大変だね こんなお母さんを持って」
と言っているように見えた
私と先生の目が合った
きっとひきつった顔をしていたと思う私。
こんな母で恥ずかしい
と思い、泣きたくなることはその後もしょっちゅうあった
思い出しては怒り、悲しくなったり・・・・
浄化するため、ブログのお世話になろう
母は、私よりも長男である兄をかわいがっていた
女親は男の子の方がよりかわいいと一般的に言われているけれど
母はそれを言葉に出して私に言った
「私、オニイチャンの方がかわいい」
「オニイチャンの方が素直で良い子やわ アンタは気が強い」
事実としても、ここまで言う???
兄は優しくて、妹は「気が強い」というレッテルをずっと貼られて育った
子供のころ、私から見た兄というのは、ちっとも優しい兄なんかではなかった
兄は思い通りにならないと、よく力ずくで私を押さえつけていたし、暴力もふるわれた
自己中で、優しく接してもらった記憶などない
兄が思春期を迎えた3年くらいは口をきかなかった
(現在はそんなことはない)
「気が強い」という部分以外を母は見てくれなかった
私にだって、優しいところはあり、思いやりからくる行動をしたこともある
だが、母は私の思いやりによる行いは「負けず嫌いだから」
と、必ず私の心が折れるようなことを言った
母の頭の中は兄のことでいっぱいだったようだ
私はしっかりしているから、放っておいても大丈夫だと決め付けられていた
私は小学6年のときに、父が東京に転勤になり、地方都市から都内近辺の小学校へ転校した
~母と初めて新しい小学校へ挨拶に行ったときのことをはっきりと覚えている~
担任の先生と挨拶
母は私の担任に兄のことを話し始めた!
私、オニイチャンのことが心配で心配で
新しい中学がこれこれこうで、転校をすごく嫌がってまして
○×▲■$&○~~!!!
まくしたてた母
「この子はしっかりものですから」
私の話はこの一言だけ
私はその時泣きたくなった
母に関心を持ってもらえなくて悲しかったわけではない
「恥ずかしい」と思ったのだ
担任が唖然としていたのを子供心に覚えている
その先生の表情が
「キミは大変だね こんなお母さんを持って」
と言っているように見えた
私と先生の目が合った
きっとひきつった顔をしていたと思う私。
こんな母で恥ずかしい
と思い、泣きたくなることはその後もしょっちゅうあった