実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

小学校の担任と

2008-12-26 | 母というひと
相変わらず、あんなこともあった こんなこともあったと
思い出しては怒り、悲しくなったり・・・・

浄化するため、ブログのお世話になろう


母は、私よりも長男である兄をかわいがっていた
女親は男の子の方がよりかわいいと一般的に言われているけれど
母はそれを言葉に出して私に言った

「私、オニイチャンの方がかわいい」
「オニイチャンの方が素直で良い子やわ アンタは気が強い」

事実としても、ここまで言う???
兄は優しくて、妹は「気が強い」というレッテルをずっと貼られて育った


子供のころ、私から見た兄というのは、ちっとも優しい兄なんかではなかった
兄は思い通りにならないと、よく力ずくで私を押さえつけていたし、暴力もふるわれた
自己中で、優しく接してもらった記憶などない
兄が思春期を迎えた3年くらいは口をきかなかった

(現在はそんなことはない)



「気が強い」という部分以外を母は見てくれなかった
私にだって、優しいところはあり、思いやりからくる行動をしたこともある
だが、母は私の思いやりによる行いは「負けず嫌いだから」
と、必ず私の心が折れるようなことを言った



母の頭の中は兄のことでいっぱいだったようだ
私はしっかりしているから、放っておいても大丈夫だと決め付けられていた


私は小学6年のときに、父が東京に転勤になり、地方都市から都内近辺の小学校へ転校した

~母と初めて新しい小学校へ挨拶に行ったときのことをはっきりと覚えている~


担任の先生と挨拶

母は私の担任に兄のことを話し始めた!

私、オニイチャンのことが心配で心配で
新しい中学がこれこれこうで、転校をすごく嫌がってまして
○×▲■$&○~~!!!

まくしたてた母



「この子はしっかりものですから」

私の話はこの一言だけ


私はその時泣きたくなった
母に関心を持ってもらえなくて悲しかったわけではない
「恥ずかしい」と思ったのだ

担任が唖然としていたのを子供心に覚えている
その先生の表情が

「キミは大変だね こんなお母さんを持って」
と言っているように見えた

私と先生の目が合った
きっとひきつった顔をしていたと思う私。


こんな母で恥ずかしい
と思い、泣きたくなることはその後もしょっちゅうあった




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

記憶をたどって

2008-12-24 | 母というひと
母のことが「嫌だ」と思い始めたのはいつの頃からなのだろう

幼い頃のクリアは記憶はせいぜい小学校入学時くらいから。
それ以前は断片的だ

~記憶を紐解いてみた~


=反抗期=

私にもやってきた
6年生くらいからだろうか
母にひたすら反抗していた
口うるさくて、ヒステリーで私の意見は無視
力ずくで押さえつけられる 
やつあたりされているという自覚はこの頃からあったと思う


6年生の記憶


それは私の初潮


性教育を全くしなかった母
私はナプキンをスーパーなどで見かけることはあったけど、何に使うかは全く知らなかった

教育を怠けていたのか、タブー視していたのかはわからない


6年生のときに初潮を迎えた私


母はサニタリーショーツを1枚しか与えてくれなかった

成長期でもあったせいか、私の経血の量は多かった
腹痛に苦しみ、貧血になって保健室へと倒れこんだこともある

その当時は現在のナプキンほど工夫がされていなかったので、ショーツが汚れることも多かった

私は替えのショーツが欲しいと訴えた


だが母の答えは


「お金がない 高くて買えない」


だった・・・・・





母の言葉に説得力はない
特別リッチというわけでもないが、父は役職についていたし
兄を私立高校に通わせ、外食も旅行もするごく普通の家庭

娘の生理用ショーツを買えないほど窮している家ではなかった

どんなに頼んでも買ってくれそうもなかったので
私は自分のお小遣いで買うことにした
それでもどこに売っているのかわからなかったので、母と一緒に買いに行った

当時の私のお小遣いは500円くらいだったお思う
ショーツは1か月分の小遣いくらいはしていた
母はレジで私にお金を出させて支払いを済ませた

ショーツの値段にびっくりして
買って欲しいとか、分割にしてもいいか?と再三頼んだが、
答えは「NO」だった



母は倹約家だったから?

いや違う


私にお金を使いたくなかったのだ




私に使うお金を出し渋るのは、その後もいろいろと続いた

「お嫁にいくときに立派に支度するため」という理由もあった
だから、その日のためにあらゆることを出し渋ることを娘は理解し、感謝しなければいけないそうだ



バカバカしい



結婚式の立派な支度?


それはアンタが嫁ぎ先の家にびっくりされて、
こんなすごい家柄のお嬢様をもらえるなんて!とひれ伏されるため
「自分」が賞賛されるためにやったこと
ただの妄想だったんだよ!!!
だから妄想通りに事が運ばないとキレる


アッちゃん あちらのお母さんなんか言ってた?すごい着物ねって言ってた?タンス誉めてた?○○買ってもらったってちゃんと報告してよね
え?なにも言ってなかったって ヘンな家ね! 悔しがってるのね!!




たった1枚のショーツを買ってもらえなかった気持ちは
アンタみたいな人間にはわからないんだ
見栄っ張りな性分のおかげで、私はどんなに辛い想いをしてきたか


見栄はつまり「嘘」なわけで
それを暴かれたとき、母は屈辱を感じるだろう
暴きたい!
そう思ってしまう
そんなに難しいことではないので。




コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お言葉に甘えて・・・

2008-12-22 | 母というひと
前記事で、「書けない」と落ち込んでいたら
マーチさん ボーダーマムさんに励ましていただきました
ありがとうございます

返コメにも書きましたが、
母について書くとき、まず頭の中である程度文章を整理しているうちに
記事にするどころではない怒りが湧き上がってくるのです
その怒りにエネルギーを費やしてしまい、書く余力がなくなってしまう。
文章にする場合、どうしても読み手にわかってもらいやすいよう書かなければ
と気負いすぎたのもあるかもしれません


でも、お二人からアドバイスをいただいて
自分の言葉で書きたいことを書こう 母が目の前にいると思って
感情のまま


なので暴言も飛び出すやもしれません

気持ちを吐き出します 自分の心の回復のため


******************



母の嫌なところは多々あるけれど

ひとつは罪悪感を抱かせるところ

何度か記事にしているが
・大学出してやった
・嫁入り道具を揃えてやった
・2回も結婚のお金を出してやった
・家を買うとき援助してやった


↑を言う

それはどんなときに言われるかというと、出た大学について不満を言ったときでもないし、嫁入り道具にケチをつけたときでもないし、援助金が少ないと文句を言ったときでもない

いわば、私が母に対して逆らったときなのだ

ワタシに対してそんな口きいていいの?

とガンガンプレッシャーをかけてくる


これを言われると、私はいつも黙った
言い返す言葉がなかったからだ

いわば、なにか援助してもらったら、意に反することでも服従しなければいけないわけだ

以前は、これを言われると

そこまでしてくれた母に逆らうのは人間として酷いことのように思えて
それ以上母を批判することをひかえた
見捨てられるのが怖かったのだろう


自分がACで母からモラハラされていたとわかったいま
これを言われると、ものすごい嫌悪感を感じる

それはまるで金銭と引き換えにいいなりになれと迫るヒヒ爺みたい!

ぞっとする!!



大学出してくれたこと
結婚資金を出してくれたこと
マイホームの援助をしてくれたこと
これには感謝しているのに!こんなことを言わなければずっと感謝されているはずなのに!
しかも、モラ母はそれに加えて感謝も強要する


母は自ら台無しにしているのだと思う
純粋に娘かわいさに援助してやったのなら、何年も経って、しかも全く関係のないことで脅しに使ったりしないはずだ


あのとき援助してくれて嬉しかったのに、今こんなことを言って
あれはなんだったの?自分の立場を有利にしたいためだったわけ?


あ~ ↑このセリフ言いたい!!



父の病気が絡んでいたとき、近いことを言い返したことはある

私と言い争いになったときに、いつものヤツを言ってきた

私:そんな交換条件があったなんてそのときは知らなかったわ

母:交換条件?私はやってあげたって言ってるだけ!!


(やってあげたから服従しろとははっきり言わないのよね そこをぼかして言う 策士め!)


それでもけっこう効果はあったようで、それ以上服従は押し付けてこなかった




もうひとつシュミレーションして言ってやりたい!と思う定番のセリフ

そんなこと言う人に感謝なんてできません あなた損してるよ





うわ~


けっこうすっきり!!



際どい発言ありましたが

ACで虐待、モラハラを受けて育ったアッちゃん

回復のため

心の健康のため

母に面とむかって言う日のため

ここに綴ります
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だめだ~

2008-12-21 | 
やっぱり恨みは深い


自分と母との関係に冷静に向き合いたいと思っているのに

怒りと恨みばかり湧き上がってくる


正直しんどい


恨みにエネルギー使うのって・・・


書きたいことはたくさんあるのだけど
タイプする前に怒りがこみあがってくるのです


あんなこともあった
こんなこともされた


いま
ため息でました





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再現

2008-12-18 | 
私が母のことをブログに綴ろうと思うに至った理由はいくつかある


ひとつは、モラハラ、AC、境界性人格障害のことを知ったのがネットからで
知識を得ると同時に、私と同じ想いをしているひとがたくさんいることを知って
からということ。


カウンセリングを受けることが不可能に近い環境の中で、少しでも自分の回復に役立つ情報、意見の交換、困ったときは相談をしたい 仲間も欲しい


そして、自分が母のようになることを抑止したいということ


モラハラを行う人間というのは、自分が受けた傷を再現しているという

こうやって母のことをいろいろ描いているけれど、
子供が言うことを聞かなかったり、思い通りにならなかったりすると、母とそっくりな怒りかたをしていた。
怒っているときは、はっきりと
「これじゃアノ母といっしょだ!」と自覚しているのに、自分をコントロールできなくなっていたのだ。
まるで母の生霊が憑依したように。

子供の人格を傷つけるようなことを言ったこともある
そういうとき、私は子供を試していたのだ。

~こんなことを言われても、耐えられるはず 私はできた やるのよ~


なんて酷いことをしてしまったのだろう
子供はなにも言わないけれど、どれほどの傷になってしまったか・・・


「再現」

母はずっとこれをやっている
きっと今でもやっているのだ

母親から受けた虐待、夫(父)から受けた傷
ACは連鎖されていくのだから、私も母が「そういう反応しかできない」ことが
手にとるようにわかるのだ  

祖母の虐待はそれはそれは酷いものだったと思う
夫婦仲は悪く、祖母は祖父に女がいるに違いないと、異常なほど嫉妬し、監視し
時には暴力もふるっていたという
歩行困難になった祖父のトイレを介助するのに、数センチずつしか歩けない祖父のお尻をひっぱたきながら歩かせていたそうだから

母はそんな祖母にそっくりで、病床にある父が介護士と浮気していると思い込んでいたし、
「口で殺してやる」と、余命わずかな父の枕元でずっと恨み言をふきこんでいた
母が私に腹を立てたとき、父にやつあたりするため、朝6時に病院へ行ったこともあった



見事に再現していると言わざるを得ないだろう


大好きな叔母(母の姉)から聞いた祖母の話

「あのひとはね 自分が死ぬ間際まで、夫に女がいる 浮気していると言いながら死んでいったのよ」

(祖父は祖母より15年以上前に他界している)

15年間 いなくなった人に嫉妬するなんて
そんなパワーは普通のひとは持っていない



母は祖母が大嫌いで、いつも私に悪口をふきこんでいた


不思議なのは、自分がそっくりだということに気がつかないのだろうか?



こんな風に心配?するのは
まだ
母は自分の過ちに気付くかもしれない
母は反省するかもしれない 自覚するかもしれない



ほんの少しでも期待しているからなのか

・・・・・・・・・・・



そうなのだろう


それは「希望」というものではない

自分がてっとり早く救われたいからのような気がする







  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自己投影①

2008-12-15 | 母というひと
人格障害、モラルハラスメント、ACについて学んで以来、
母に対して抱いていた母親像が180度変わった点がいくつかある


そのひとつに、母は口が悪いがあまり深く考えていない
本人に悪気はないと思っていた点


心に思ったことをすぐに口に出して言ってしまい、相手が気分を害するということに、無頓着なのだと思っていた
傷つけるつもりで発した言動ではないと。



しかし、それは違った

傷つけるつもりで行っていたのだ
それはつまるところ、自分の心の安定をはかるためだろう

自分が傷つかないようにするために他人を傷つける
そうやってバランスをとる

その行いをしているときは無意識かもしれないが、咄嗟に判断し、言動、行動に移せるのは、長年の生育歴から刷り込まれたものだと思う
そのようにしか反応できないのだ



すぐに感情的になってしまう母を目の前にすると、何を言っても無駄だからと
嵐が過ぎ去るのを待っていたのだけど
感情的になりながらも、ちゃんと計算したうえだったのかと思うと
あっぱれとさえ思ってしまうのだ


「自己投影」という症状がある

自分の嫌な部分を他人に押し付けてしまう「投影」というやり方


私は今まで、ずっと押し付けられていたのだと気付いた


「アっちゃんは、すぐ策略する」

こんなことを何度も言われた
今思い出しても自分が何を策略していたかさっぱり思い出せないのだが。
(確か、結婚の相談を母に一番最初にではなく、近くに住む兄に相談したことを「策略」だと言われたことがある)



そのとき、母は自分がなにか策略していたはずだと、今となっては確信できる


父の入院から葬式にいたるまで、母はさまざまなことを「策略」していた
あるとき、それを他人に指摘された


「アッちゃんのお母さんは、その場限りでわめいてるだけかと思っていたんだけど、なかなかの策士よ」


と。


他人に言われるほどだから
やはり事実なのだろうな


私が知らない「策略」もまだまだたくさんあると思う



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言われて嫌な言葉

2008-12-13 | 
父が病床にあった頃、母はしょっちゅう電話をかけてきは、現状の不満ばかりを述べていた


看病しんどい  ずっとこのままだったらどうしよう  医者、看護婦に陥れられる 子供はなにもしてくれない  全部ひとりでしなければならない  海外なんかにいて、なんの役にも立たない! 

そして必ずこう言った



私の方が先に死ぬ!


これを何度言われたことだろう

看病が大変なのはわかるが、こんなことを言われたら、どう励ませばいいのか

私に家庭があって離れて暮らしていることにいつも罪悪感を持たされたが、
不可能なことだとわかっていて、それを責めるのがモラハラ。だから、そんなことで罪悪感を抱くことはないのだと、最近になって知った
母の目的は、子供と近くで暮らすことではなく、罪悪感を持たせることなのだから



母が私にモラハラしてきたこと、人格障害であることがわかり、
このように不平、不満、怒りを自分にむけられるたび
心の中ではこう叫んでいた


そうよ!アンタのほうが先に死んでくれたらいいのに!!


何度、声に出して言いそうになったことか・・・




私は、「間違っている」と相手にわからせたいとき、
自分だったらどう思うのか置き換えて考えてもらうのが一番だと思ってしまう

自分がそんなこと言われたら嫌でしょ?
自分がそんなことされたら嫌でしょ?



これを母にやってみたくなる


母の身になにかが起きて、私に負担がかかるような状況になったとき


「私の方が先に死ぬわ!!」


そして、すかさず言う

「ほらね、こんなこと言われたら嫌でしょう 私もお父さんも兄もみんな嫌な思いをしていたわ」



だけど。





こうやってシュミレーションしても、空想の中の母は反省なんかしないのだ





そんなこと言ったか?っていう顔をするだろうな



コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NOと言う

2008-12-03 | 母というひと
昨日 母から電話があった

「だいぶ心に余裕ができたから、なにか送ってあげようと思うんだけど、なにがいい?」



「いらない」


「いらない」



「いらない!」


*********************



断ったのには、こんないきさつがある


3年前、こちらに赴任してしばらくしたときのこと


母から


「なにか送ってあげる なにか欲しいものあるか?」と聞かれた



そのときは、そう言ってくれるなら無くて困っているものを送ってもらおうと思って

オーダーしたら


「そんなところまで暑いから買いに行くの嫌」


と言われた

(その店は実家から徒歩5分だけど)



だったら聞くな!だから嫌なのよ

と心の中でぶつくさ・・・


そして、母が送ってやると助かるだろうと思っているものが送られてきたのだが
荷物を発送した日に、怒り心頭で、父がいないタイミングを見計らって電話してきた


「さっきね!!荷物発送したんだけどね!!!!!」


「郵便局行くのに暑くてぶっ倒れそうだった!」

「重くて酷い目にあった!!」

「英語読めないし、書けない!!」

「お父さん、少しも手伝ってくれない!!!ヒモかけるのも持っててくれない!!!!」


「もうこんな思い嫌や!!!二度と送らないからね!!!!!!!!」





だれも送ってくれなんて頼んでないんだけど。
興奮してるときに、言い返すとややこしいことになるから、ハイハイ言いながら電話を切った
父は初めて荷物を送るのに、嫌味を言うなと止めたが、我慢できずに電話したのだと言っていた



そして、荷物が着いたら、こんな状態でも
「ありがとう」とお礼の電話をしなければならない



なんでこんなことしなきゃいけないんだろうと
情けない想いでいっぱいだった


****************************


で、今回



もちろん条件反射のように


「いらない」を連発


ちょっと気になったのが

「心に余裕ができた」からという枕詞



そんなこと言うなんて

3年前に自分が言ったこと、覚えているのか?

もし私が
「二度と送らないから」って言わなかった?
とつっこんだら
「あの時は、余裕がなかったのよ」とか「お父さんのことで一番しんどかったときなんだから仕方ないでしょ」「そういうときの気持ちなんていっしょにいるモンにしかわからない」
とかなんとか言われるだろう




もしかしてそこを見越して、こういう発言になったのか?とも思える



心の余裕なんて、そんなもの明日には余裕が無くなっているかもしれない
発送する日は寒いかもしれない 他に予定が入ってきて、あの母はパニックになるかもしれない

そうすると、簡単に
「娘になにかしてあげたい」から

「この忙しいときに、こんなにしんどいときに、あれくれこれくれ言ってこき使って!!」と変化する
そして恩に着せられる






「心の余裕」だって?

そんなもの信じられない






母は


「そう!いらないのね!!!」

とムッとしながら電話を切った




あ~よかったって思った



今、怒っているだろうが



発送までにあれいるかこれいるか、なにが欲しいんだ、いますぐ返事しろと言われ
まだ着かないのかと矢のように催促され
届いたら感謝を強要され、本当に助かってるのか、夫はなんて言ってる?うれしいか?もう食べたか?etcetc うんざりするようなことばかり言われるのだ






正しい選択をしたと思う











コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

怒り

2008-12-01 | 母というひと
「母に心を引き裂かれて」(クリスティーヌ・A・ローソン著)
を読み終わり、昨日から「モラルハラスメント/人を傷つけずにはいられない」
(マリー=フランス・イルゴイエンヌ著)
を読み始めた


「母に心を引き裂かれて」は、私の言いたいことがすべて書いてあると思う内容ったので、心にスーッと沁みていく感覚だった

「モラルハラスメント」を読み出してからは、なぜだか「怒り」が湧いてきた
ほんの4分の1くらいなのだけど・・・

そこには精神的虐待を巧妙、かつ陰湿に行うモラルハラッサーのいくつかの例が挙げられている。
被害者に感情移入し、こんなに酷いことをされるなんて!
と怒りが湧いたり、母と重なって、いかに酷いことを私にしてきたかを改めて
知り、そのとき自分が無力だったことに悔しくなったり・・・

過去の出来事に怒ってもどうしようもないことはわかる
さらに、これから予想される出来事に対してシュミレーションすると、また怒りが湧いてくるのだ
まだなにも起こってないというのに。


こんなことに怒る私はおかしいのだろうか?

私は母に対して、まだ冷静になれない
「恨み」が深いのだ
復讐してやりたいと思ってしまう
これじゃまるで母といっしょだ


「同じ目に合わせてやりたい」


母はいつもこのやり方で私や夫を虐めてきたのだ
夫(父)はともかくとして、私は本来向けられる怒りの原因ではない
原因は祖母や父にあったはずだ



子供の頃、よく言われたことは

「そんなことをしたら酷い目にあわせるよ」

だった


母はそれが教育と思っていたようだ
脅し、罰をあたえ、恥じをかかせ、痛い目に合わせれば
子供は失敗しなくなる
母はそう考えたのだろう



その結果


子供は恨みを持つことになった

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする