実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

母を信じる

2008-11-27 | 母というひと
母にはよく事実を捻じ曲げられていた

「嘘」をつかれているというのに


私は追及することを避けた

それはなぜか?


母が嘘をつく
 ↓
私が追求する
 ↓
嘘ではないと言い張る
 or
私の方が嘘をついていると言われる
 ↓
私への攻撃がはじまる 関係のない件を持ち出されて
どんなに自分が酷い目にあっているかを延々聞かされる
 

と、展開が読めるので、嘘をつかれていることに加え、
余分な猛攻撃を受けるくらいなら、黙っていたほうがマシだと考えていた


こういうパターンが定着していたのだと思う

母にしてみれば、こんな美味しい良い話しはない
嘘をつこうが、事実を歪曲しようが、誇張しようがまかり通ってしまうのだから



ACやモラルハラスメントを学び、このパターンはもうやめようと思った

母のようなひとには、その都度注意しなければいけないのだと知った



*****************

初めて嘘を追及したときのこと



~今年の春 父が入院していた頃~

春休みを利用して父を見舞うため、帰国の準備をしていた
子供の学校、習い事のスケジュール、航空会社の空き状況を調べながら
やっとのことで帰国日時を決め、チケットも取った

いついつから帰ると、母に報告するために電話をしていろいろ話した中で
私が帰国している間に、旅行へ行ってきたらいいんじゃない?という運びになった

「何泊でもいいから行ってきたらいいよ」と私

母から、それ以前に
「アンタたちが来るとしんどい。これからはホテルに泊まってくれ」
と言われて、多少ショックを受けていた私は、母がいないあいだなら実家に堂々と泊まれるな~という思いもあった

母は旅行に行くことを承諾した

母は、いっしょに行きたい友人が土日しかダメなのだと言う
旅行は土曜日に出発したい

しかし、その時のフライトは、金曜の夜遅く着く便だった
地方都市の実家へは、もう乗り継げる特急電車がなくなっている
なので、どんなにがんばっても翌朝、実家のある都市へ向う特急に乗り、土曜の昼近くにしか着けない


朝から出かけたいであろうから
私は提案した

「土曜の朝一に乗っても着くのは昼ごろだわ
それじゃ、管理人さんに鍵を預けておいてよ」


(父の具合が悪くなっているので、なにかあったら、鍵を預けさせて欲しいと、管理人さんには頼んであった。管理人も快く引き受けてくれたという)

私としては、土曜に旅行へ行かせるめの好意だった


だが


母はそうは取らなかった


2、3日後に、怒りながら電話してきて


「家を空けて旅行に行くっていうのにね、鍵を預けておけだなんて、そんなことできるわけないじゃないの!!まったく×○▲■&!!!!!」


「友達が月曜出発でもいいって言ってくれたから!!」



私はこのとき、母がなぜ怒っているのかさっぱりわからなかった




でも簡単なことだ

モラ母は、相手の都合など考えない

自分が出発したい日、時間に私が合わせないことに怒る


このあと、すさまじい言い争いが起こり

母は


私旅行なんか行かない!!!

と言い出した

(争いの原因は、モチロン、この旅行スケジュールのことではない)





以前の私なら、そんなこと言わないで旅行に行くように諭すか、
別の日にフォローの電話を入れて、
「いつから行くの?どこへ行くの?」と、「行かない」発言がなかったかのように接していたのだが、このときは


「あ、そうですか」と言ったきり、なにもしなかった




なにもしない私に痺れをきらしたのか、数時間後


「もう友達に行けなくなったって断ったから(涙声)」
と電話してきた


それでも私は

「はい。わかりました」


とそれだけ


「行かない」と言ったのは母なのだし、言い争いも旅行のことに関してのことではない
ここで折れたらまた元の木阿弥だ!


・フライトは変更しない
・旅行のことはタッチしない


意志を通すのは、案外気分がいいものだと思った



*****************


そして実家へ



母は信じられないことを言った


「私、旅行に行きたかったわ 楽しみにしてたのに、アンタのせいで行けなかったわ」








キレた



はぁ? なに言ってるのよ!! 旅行に行かないって自分が言い出したんでしょ!!!





アンタが、土曜は都合が悪い、管理人に鍵を預けるならいいとかゴチャゴチャ言うから、友達に断るしかなかったのよ!!



こんな無茶苦茶なこと言ってくる母


だから追求したくなかったのだけど



このとき、もう嘘から逃げないと決意していたので




違うでしょ!あのとき、お父さんのことで言い争いになって、突然「旅行行かない!」って言ったんじゃないの!友達だって変更に応じてくれたはずでしょ!


追求もこんなにシンプルにできるのに
なぜ今までしなかったんだろう




モラ母の応酬は







いちいちうるさいんだよっ!!!!


だった。。。。。。。。。




なんだかガックシきた




もうちょっとまともな逆襲するかと思ったけどね



これでまた追い詰めると


性格が悪い
しつこい
なにもしないくせに
役立たず
etc



あらゆることを言われただろう



でも

「いちいちうるさい!」


そんな予想外の言葉に唖然として


なにも言う気がしなくなったのだった



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母に心を引き裂かれて

2008-11-19 | 母というひと
観光で訪れてくれた日本の友人に頼んで、本を持ってきてもらった

「母に心を引き裂かれて」 クリスティーヌ・A・ローソン著



「モラルハラスメント/人を傷つけずにはいられない」 マリー・フランス




さっそく「母に心を引き裂かれて」から読んでいる


まだほんの数ページだけど、のめりこんでしまった
そこには私の言いたいことが全部書いてあるのだから。


母は境界性人格障害  
そしてモラルハラッサー

このふたつは同じものではないけれど、同じ枠組みの中に存在していると
私は認識している

境界性が病名でモラルハラッサーがその行動症状かな?


境界性(ボーダーライン)の特徴はどれも当てはまった

矛盾、予測不能性、不当な緊張感


ボーダーの母を信頼できない理由は多くある

・操作する
・真実をねじまげ、臆面もなく嘘をつくこともある
・身体的な暴力を振るう
・予測ができない
・過剰に反応する
・衝動的である
・判断力が乏しい
・記憶がたしかではない
・一貫性がない
・干渉がはげしい



「信頼」

本来、素晴らしい意味を持つ言葉なのに

よくこれに惑わされた


母にはよく事実をねじまげられ、嘘をつかれた

私はどうも事実を曲げられているようだと感じても、それを問い詰めることはできなかった

なぜなら

「本当なのか?」などと訊こうものなら

「アンタって子は!母親を信じないなんて!!!」


と言われるからだ


母を信じない娘 それは一般常識からしたら酷い人間ということになるだろう

そこを利用して、私はこき下ろされ、母はやりたい放題やっていた


母が嘘をついているのではないかと、他の人に確認したことが後にわかったときなど、すさまじい怒り方だった


「アンタはそうやって他人ばかり!!!!私のことなどちっとも信じやしない!!なんて娘や!!!!」



そういわれると、「子供は親を信じる」という世間の常識から逸脱している自分がものすごく悪い娘に思えたのだ

「信じてない」とはとても言えなかった




まんまと操作されていた



信じられない理由はたくさんあったのに。

他者の手を借りれば、嘘を暴くことも簡単だったのに
私は「酷い娘」だと罵られるのが怖くて暴くことができなかった



今なら必ず言う


「信じてないのね!」と言われたら



「はい。信じてません。」

そして理由もちゃんと挙げる



今まで信頼していたことなどあったのだろうか?




無かったように思えてきた





















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巡礼旅行?

2008-11-15 | 母と私の現在
母が四国お遍路さんの旅に出ているということを親戚から聞いた


あの母が巡礼?
八十八箇所めぐり??


兄に確かめてみると、一度にすべて廻るのではなく、一ヶ月に1度四国まで出向き、数ヶ月かけて巡るのだという

そのたびに
「○日から×日までいないからよろしくね」と兄のところへ電話がくるが、
兄は
「いつから行こうがまったく関心ないです」と。
兄もほとほと嫌なのだろう


「父のために行ってるの?」と聞くと

「だと思うけど。パフォーマンスの一環だろう」と兄。



私もそう思った。
死ぬ間際まで虐めぬいた夫のために巡礼なんて、あの母がするわけない
旅行半分なのだろう
あのひとが安宿に泊まるわけない
聞けば、いっしょに行っている友達がいるそうだ 
本当に父を弔う旅ならば、独りでも行くはず。まずは墓参りに毎週行くとかね
その友達は嫌にならないのかな




*******************************

母の行いがパフォーマンスだと思う心当たりがあった


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私が高校生の頃

父の部下の奥さんが自殺した

お子さんが私と同じ高校だったので知っていた

自殺の理由は周囲にはわからず、夫であるその部下の方にはそのことに触れることも憚られた

奥さんの死後、その方は四国お遍路巡りをやってのけた

ウィークデーは会社があるので、週末のみ巡礼へ赴く。
土日は接待ゴルフなどもあったであろうが、想うところがあったのだろう。信念を貫いていたようである。
社内では週末は彼を誘うのはやめようと暗黙の了解になっていたようだった。


母は父からその話しを聞き、いたく感動していた




そして現在。

その方と同じことをすれば、自分も周りから尊敬されると思っているのだろうな・・・・

つくづく自分というものがない。


そして巡礼が終わった暁には
「偉業を成し遂げた!」と未来永劫ずーーーっと聞かされるんだろうな・・・・・


時間もお金にも余裕がある母にとっては大好きな旅行をする理由ができるし
献身的な妻という名声を得られる絶好のチャンス



そうそう 
我がモラ母は、大の旅行好き


父が病に伏せてから
旅行に行けない自分は不幸だと、いつもブツブツと不満を唱えていた

****************************


こういう母の行動を見るにつけ哀れとさえ思うこの頃

見て!見て!!私すごいでしょ

ねえ 今度こそみんな私のこと評価してくれるよね!

え?わからないの?私のすごさを

尊敬してくれるよね?ね?もっともっともっと!!!

本当に尊敬してる?

本当はバカにしてるんじゃない?

他にもっとすごい人がいるの?
あのひとは○○じゃないの 私のほうがもっとすごいってば

早くわかってよ!わかれってば!!!!
やっぱりわかってないよ!私はいつもこんな目にあう
どうして私だけ・・・・どうして・・・・





母が幼い頃

いかに不遇な目にあっていたか 目に浮かぶのです


なにをやっても母親から認めてもらえなかったのでしょう
いつもケチをつけられ
否定され
自立を阻まれていたのでしょう




母が受けた虐待は相当なものだったと伺えるのです



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もう答えてくれない

2008-11-07 | 父と母
今日は父の月命日

自分がACで母からモラハラを受けていたとわかってから
母について考える時間が増えるにつれ、
父は母をどう思っていたのだろうと考えることがある


父の悪口ばかり言っていた母だが
父から母の悪口を聞いた記憶はない
「うるさいな」とか「わがままだな」とこぼす程度だった



癌が発覚して9ヶ月の入院生活
母は看病が大変だ 自分ばかり苦労させられている 子供はなにもしてくれない
そればかり言っていたが
大変だったのは父の方だと私は思うのだ


母が献身的だったとはとても思えない
病床にある父へ暴言を吐き、鬱憤晴らしに病院に通っていたようなものだ
父がなにか言えば
「じゃあ看病してあげないわよ」と脅迫するに決まっているから
父は文句など言わなかった

無抵抗な父を容赦なく母は苛め抜いた


父と私の最期の会話は

「お父さん なにかあったら絶対に言ってよ!兄にでもいいから言うのよ!なんとかするから!」

父はうるさいと言わんばかりにしかめツラしながら
「いいから いいから 早く帰りなさい」
と私に言った そんな話しはしたくなかったのだろうか




その前日
母と私は激しくやりあった

母の嘘を追及したら逆切れ

私は実家をあとにしてホテルへと向った
別れ際、涙ぐみながら息子に
「あんたはいい子や」なんて言うのが、もはや白々しい演技に思えて
泣き落とし作戦か!罪悪感を抱かせる手口ね
と冷めた気持ちでながめていた
以前だったら、つい機嫌をとったり、あとからフォローしていただろうが
「してはいけない また元通りだから」と固く自分に言い聞かせていた


私は確信していた
必ず父のところへ行って、その鬱憤晴らしをしに行くであろうと。

翌日。
母とかぶらないような時間を選んで父を見舞った

「お母さん 今日来たでしょ?私のことボロクソ言ってたでしょ?」


「ああ。朝6時半に来たよ」


苦笑いしながら父は言った




やっぱりね・・・・・
それにしても6時半って


すごすぎる!




その日は私が帰る日だった
病室を後にしてから
一応、母に「これから帰ります」と電話した


母:「お父さんが、アッちゃんがあんなになったのはお前のせいだ。アッちゃんに土下座して謝ったらどうや!って言うのよ ひどい!!!!」

と電話口で怒鳴った

私は動揺した
母がいろいろとわめいていたが、もう耳に入らない


~父がそんなことを本当に言ったのだろうか~

あわてて父の元へ戻り訊ねた

「お父さん そんなこと本当に言ったの?」




************************




「言ってない!言ってない!」


「いいから!いいから!!早く帰りなさい!」





*****************





「アッちゃんに土下座して謝れ」

本当に父がそんなことを言ったかどうかはわからない
たぶん 言っていないと思う・・・

母の作り話か

あるいは父が「お前が悪い」とほのめかしたのか

それとも・・・




もう答えてくれる父はいない



**************************




母と結婚して


貴方は幸せでしたか?








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兄からの電話

2008-11-03 | 母というひと
昨日 突然、兄から電話があった

元来、私達兄妹はお互いに干渉しあわないので、それは珍しいことだ

父が亡くなる7月までは、まめに連絡を取り合ってはいたけど

49日が終わり、ひととおり落ち着いてからは、たまにメールをする程度

国際電話なので、よほどのことがないかぎり敬遠しがちだった


兄が電話してきたことに驚いて

開口一番、焦りながらこう聞いてしまった


どうしたの?なにかあったの?



兄:いや なにがあったというわけではないけど
  お袋からそっちに電話あるか?



私:ぜ~んぜん めっきり電話来なくなったよ ラクでいいわ



兄:ウチはひっきりなしにかかってくる。一日5回かけてくることもある。
  仕事中でもおかまいなしだ


私:うわっ




あまりのしつこさに、最近は電話に出ないようにしているという。だが昨日は携帯に朝9時半に着信記録があったので、よほどのことかと思い、電話してみたそうだ


内容は
・アメリカ経済が破綻したとばっちりで投資で損をした
・このまま持っていたほうがいいのか手放したほうがいいのか


その決断を兄に迫り

そんなことわからないというと

一方的にギャンギャンわめいて、怒り、電話を切ってしまったのだという





こういうパターンはかつて、ずっと私がされていた


自分で決めるべきことを自分で決めない

そのくせ、結論は自分の中では出ているのに、求めた相手が自分が決めている回答をよこさないと攻撃する

うまくいかなかったときは、当然決めたひとに責任をなすりつける

さらに

「わからない」「お母さんがいいようにしたら」なんて回答も認められない(苦笑)

そういう回答は
・なんでも私に決めさせて、私のせいにする気だ
・冷たいヤツだ
・私のことなんかどうでもいいのだ


となってしまうわけで、なにをどうやっても満足することはないのだ




それより心配なのは兄



私:だいぶ参っているんじゃないの?



兄:いや べつにたいしたことじゃないけど 


私:いーや!こうやって電話してくること自体、しんどいからだって
  アノ人は病気よ


兄:ああ パーソナリティ障害だね



驚いた。

以前、母は境界性に間違いないと関連ウェブなどを兄にメールしたことがあるのだが、
そのときは、それほどのものとも思っていなかったようだ。
私も関心がないなら、とそれ以上意見しなかったのだが、「BPD」だと兄自ら認める発言をするということは、それなりに知識を得たのだろう



私:そう。境界性は治らないんだから、こっちがちゃんと線をひかないとだめよ






*************************



怒った母に、ガチャン!と電話を切られたあと
兄はフォローの電話をしたのだという
損失に対するアドバイスをしたけど
またあっさりと切られてしまったそうな




(兄よ。それもするべきではなかったよ
フォローの電話なんて、母の顔色見ちゃだめよ
支配が行き届いているのを確認して、増長させるだけなんだから)



かつての私です



罠なんだよ!って言ったけど


やはり男で、まだまだ無頓着な兄は「罠」という言葉もピンとこないようだ








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