母の日②
2010-05-09 | 私
母の日!
我が家は夫も祝ってくれる。
今日母の日から夫は出張のため、昨夜お祝いしてくれた。
私の好きなものを食べに行こうということで
行きつけのローカルレストランへ
高級ディナーをねだってもいいところだろうけど、
その日一番食べたいものはその店のチャーハンだった
その後、久々にカラオケへ
そして今日は子供から小さなカーネーションの花束をもらった
お小遣いの残りが少ないため、夫がそっと現金を渡したようだった(*^▽^*)
高級ディナーもプレゼントもないけれど、うれしい母の日だった
さて、我がモラ母。
今年もどうしても贈り物をする気にならなかった。
心が「嫌だ」と拒んでいるのだ
そんなときはしなくていいのだ、と自分に言い聞かせた
だが、葛藤もあった
母は間違いなく
あの娘め~ 電話一本かけて寄越さない!
と歯軋りしながら怒っているであろう
電話一本、花一厘
イヤイヤでもやっておけば、良心も痛まないし、母の逆鱗にふれることもないのだけど。
私は過去の母の日を思い返した
私のプレゼントは決して歓迎されていなかったようだ
漬物好きな母に私が美味しいと思う京都の漬物を送ったことがある
「も~~~!!!不味くて食べられんかった!!!もう二度と送らんといて!!!!」
と言われた。
なにか欲しいものある?
と聞くと
「なにも要らない」
という
かと思えば、
「母の日に、なにか買おうと思っているなら、○○にして。要らないものは要らない!!」
と、まるで今まで送ったものすべて要らないものだったような言い方をされた
それと、
私は自分の誕生日、子供の日、クリスマス
祝ってもらった覚えがないのだ
「おめでとう」の言葉くらいは誕生日の日に聞いたことはあるけれど。
クリスマスプレゼントなんてもらったことあったっけ???
サンタクロースがいると信じていたころだけの話。
いないとわかる頃には、もうプレゼントもなかった
誕生日のケーキがあった記憶はない
母の日に匹敵するのは子供の日だろうか。
これもどこかに連れて行ってもらったり、祝ってもらったこともない
子供の希望は優先されない家だった
これが母に祝ってやりたくない理由だ
母からの恨みの電話をシュミレーションしてみる
「あんたってば、母の日だってのになにもしてくれない!」
私はその理由を上に述べたように淡々と語るだろう
そして
「私は子供にささやかなプレゼントをもらった。とても嬉しかった。子供からなにをもらってもうれしいものだ。たとえ欲しいものじゃなかったとしても。自分のために選んで、買ってくれた気持ちに感謝する」
と答えるだろう
ここまで書いて、忘れられない出来事を思い出した
あれは私がほんの6、7歳のころのことだったと思う。
母の日のプレゼントを買うのに、近くの洋品店でエプロンだかなにかを買ったことがある。
母はすぐさま、そのプレゼントを自分が欲しいストッキングと交換しに行った
しかも私を連れて。
こんなに年月が経っても覚えているということは、あの頃の私はいたく傷ついたのだと思う
私がが母のためにと思って、少ないお小遣いをはたいて買ったプレゼントを踏みにじるような真似をされたのだから
その当時から、母に対する違和感が芽生えていったような気がする
私のお母さんは、よそのお母さんのようにニコニコ喜んでプレゼントを受け取ってはくれない
テレビに出てくるような「お母さん」は実際どれくらいいるのだろうか
そこに出てくる「お母さん」は、子供からのプレゼントに決してケチなどつけないのだ
私が理想を求めすぎるのだろうか
我が家は夫も祝ってくれる。
今日母の日から夫は出張のため、昨夜お祝いしてくれた。
私の好きなものを食べに行こうということで
行きつけのローカルレストランへ
高級ディナーをねだってもいいところだろうけど、
その日一番食べたいものはその店のチャーハンだった
その後、久々にカラオケへ
そして今日は子供から小さなカーネーションの花束をもらった
お小遣いの残りが少ないため、夫がそっと現金を渡したようだった(*^▽^*)
高級ディナーもプレゼントもないけれど、うれしい母の日だった
さて、我がモラ母。
今年もどうしても贈り物をする気にならなかった。
心が「嫌だ」と拒んでいるのだ
そんなときはしなくていいのだ、と自分に言い聞かせた
だが、葛藤もあった
母は間違いなく
あの娘め~ 電話一本かけて寄越さない!
と歯軋りしながら怒っているであろう
電話一本、花一厘
イヤイヤでもやっておけば、良心も痛まないし、母の逆鱗にふれることもないのだけど。
私は過去の母の日を思い返した
私のプレゼントは決して歓迎されていなかったようだ
漬物好きな母に私が美味しいと思う京都の漬物を送ったことがある
「も~~~!!!不味くて食べられんかった!!!もう二度と送らんといて!!!!」
と言われた。
なにか欲しいものある?
と聞くと
「なにも要らない」
という
かと思えば、
「母の日に、なにか買おうと思っているなら、○○にして。要らないものは要らない!!」
と、まるで今まで送ったものすべて要らないものだったような言い方をされた
それと、
私は自分の誕生日、子供の日、クリスマス
祝ってもらった覚えがないのだ
「おめでとう」の言葉くらいは誕生日の日に聞いたことはあるけれど。
クリスマスプレゼントなんてもらったことあったっけ???
サンタクロースがいると信じていたころだけの話。
いないとわかる頃には、もうプレゼントもなかった
誕生日のケーキがあった記憶はない
母の日に匹敵するのは子供の日だろうか。
これもどこかに連れて行ってもらったり、祝ってもらったこともない
子供の希望は優先されない家だった
これが母に祝ってやりたくない理由だ
母からの恨みの電話をシュミレーションしてみる
「あんたってば、母の日だってのになにもしてくれない!」
私はその理由を上に述べたように淡々と語るだろう
そして
「私は子供にささやかなプレゼントをもらった。とても嬉しかった。子供からなにをもらってもうれしいものだ。たとえ欲しいものじゃなかったとしても。自分のために選んで、買ってくれた気持ちに感謝する」
と答えるだろう
ここまで書いて、忘れられない出来事を思い出した
あれは私がほんの6、7歳のころのことだったと思う。
母の日のプレゼントを買うのに、近くの洋品店でエプロンだかなにかを買ったことがある。
母はすぐさま、そのプレゼントを自分が欲しいストッキングと交換しに行った
しかも私を連れて。
こんなに年月が経っても覚えているということは、あの頃の私はいたく傷ついたのだと思う
私がが母のためにと思って、少ないお小遣いをはたいて買ったプレゼントを踏みにじるような真似をされたのだから
その当時から、母に対する違和感が芽生えていったような気がする
私のお母さんは、よそのお母さんのようにニコニコ喜んでプレゼントを受け取ってはくれない
テレビに出てくるような「お母さん」は実際どれくらいいるのだろうか
そこに出てくる「お母さん」は、子供からのプレゼントに決してケチなどつけないのだ
私が理想を求めすぎるのだろうか