実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

歳末警戒?

2009-12-31 | 母と私の現在
昨日、母に興味本位で電話してみた

私も余裕ができたのかな
「興味本位」だから。

11月に一度電話して以来、ずっと話してない
年始には「おめでとう」の電話をしなければいけないと思うと、
今から苦痛だった

だが、昨日はふと「興味」がわいたのだ


母は年末年始、なにしてるんだろう?
と。


そして電話


一気に話し出す母。


*新年にお父さんの墓参り行こうと思ったけど、天気が荒れそうだから昨日行ってきた

*2日から東京へ旅行する 皇居、歌舞伎座へ行く 夕飯を泊っているホテルで兄夫婦ととるつもり



まあ 元気そうだ


墓参りの件は、「行ってきましたからね」とちょっと威圧的
1日に行かないことを私から文句言われるとでも思ったのか、「雪が降ったら田んぼ道、あぶなくて運転できないんだから 大変なんだから ひどい目に遭うだから」といつものように「大変」「ひどい目」を連発

それと、墓参りに行くことを私が「ありがとう」とか「おつかれさま」とか言わないのも不満なのだろう

私は母に頼んで「墓参り」に行ってもらってるのだろうか

こんなとき、関係がよければ、すんなりありがとうとも言えるんだろうけど。
申し訳ない気持ちを持たせよう持たせようとする術中にはまるのはもうごめんだ



旅行へ行くのはけっこうだと思うのだが、また始まった

「今年の正月はさびしくて泣いた!だれも電話かかってこないし、訪ねても来ない。ひとりで泣けた。ほんっとにしんどかった。だから旅行に行くのよ」


孤独だったと力説されたけど。



喪中だったでしょ


とワタシ 一言。
母黙った

喪中の家に電話かけたり、訪ねてくるひとってふつういないよね?

わたしは元旦にちゃんと電話している
それに、今までさんざん父がいることを疎み、正月準備を嫌がり、正月なんてだれにも来てほしくない
ひとにばっかり尽くしてもう嫌だ!
ひとりになりたい!!!
ってわめいてたはずですけど?

そして去年の年末に
「兄のところへ訪ねていこうと思ったけど断られた」と言っていたが
そんな事実はないと判明
ウソつき女め!


そして日常の話になったのだが
ここでものすごく警戒している自分に気がついた


*アッチャン 英語わかるようになったの?


私:まあ生活で困らない程度では。

*病院なんかどうするの?日本語通じるとこ行くんでしょ?


私:通訳いる病院あるけど、全部通訳してくれるわけじゃないよ
  やっぱり少しはわからないと。受付、薬局は通訳いないし
  緊急のときは通訳なしでも行くしかないよ



ここらで警戒レベルが上昇してくる
私が考えすぎなのか?


*緊急で行ったこともあるの!どうするの!そんなときどうするの!!


母はもうここでトラップしているカンジ
たぶん、緊急で日本語の通じない病院にイってしまってるのだ


私:どうにかなるよ みんなそうやって乗り越えるのよ


*そりゃ乗り越えるだろうけど・・・


私:最初は大変だったよ どうにかするしかない



*アンタは昔から英語できたからいいけど・・・


ここで過去の怒りにスイッチが入る

私:たいしてできなよ 
  だいたいお母さん、私に「アンタ、自分がどんなに英語できないかわかったやろ~」って言ったよ




母 無視 話変えられた





母の質問にいつも裏をよんでしまう

ここで「大変だ」と言えば

ほらみたことか!とか 私なんてどんだけ苦労したか!とか言われそう
そのほかにも言葉尻をとらえて、けなされたり
アンタは●●だから
と侮辱されそう

そんなことがぐるぐる頭をかけめぐる


私重症かも・・・・



でもあくまで「感触」なのだが
私が
「しんどい」とか「大変」だとか決して言わないことに
イラっとしているような気がした


母だったら、言葉が通じない状況はありえないことなのだ
通じなかったら、パニックになり、言葉以外の手段を使うこと、あきらめること
いろいろ方法はあるのだが、ひとつのことにひとつしか手段を持たない母は
最終的に「怒り」へと変わってしまう


自分との違いに怒ったのかな

まあどうでもいいけど
ちょっと翻弄しているみたいで「ザマアミロ」気分


あ~あ
いけないねえ(爆)


というわけで、大みそかはこんな記事でしめくくりです

来年は
「母大好き」ブログになっているわけないけど、
もうちょっと変化があったらな~と思います



よいお年を!

  










類は友を?

2009-12-23 | 
PTAの仕事を通して親しくなった人がいる
(P子としよう)


天然でいっしょにいるととにかく楽しくて面白い
彼女と知り合って2年ほど。
会うのは月に1度ほど。
距離感もこれくらいが私にとっては心地よい


世間話のひとつとして、たまにお互いの親の話になったとき
時々感じていたことがあった


【P子のお母さんってすごい。ウチのモラ母と似ている。P子も親の呪縛にかかっているんだろうなあ】


そのことについてP子になにか言ったりアドバイスしたりすることはなかった
なんせ、AC、ボーダー モラハラは定義を説明するだけで大変!


先日、P子から電話があった


「お願い!ちょっと聞いてほしいの!!母のことなのよ!!!」


改まって、母親のことで相談されたことなどなかったので驚いた
彼女とはいつも冗談や日常の面白話で盛り上がることがほとんどだったからだ


聞くところによると、彼女のお母様は、毎日国際電話をかけてよこすという
(まあ、この時点で異常だといわざるをえないと思う)

今回、私に聞いてもらいたくて電話してきた「事件」というのは
娘の彼女に酷い暴言を吐いたからだ


「アンタなんかB型だから、そうやってチャラチャラヘラヘラどこでも騒いで
バカみたいよ。みんなアンタのことバカだって影で言ってるって~」

「ほんとに、一人っ子だからどうしようもないね!自分さえよければいいと思ってさ!」


その他 暴言の数々・・・・
彼女の母上はA型らしい
B型なんぞ、人間のくずらしい
で、一人っ子なんぞはロクな生き物じゃないらしい



彼女が私に電話してきたのは、私がO型だから!
ACの匂いにたぐりよせられてきたわけではなかった(爆)



それは置いといて。


これでほぼ確信した
彼女は幼いころから、ずっとこうして母から暴言を浴びせられてきたのだと。

だいたい、一人っ子でB型であるということのどこに彼女の非があるというのだ?
そんなの言いがかりだ


まずはアドバイス

(私)B型で一人っ子であることをなぜ攻められなければいけない?
   母上は、一人しか子供を産んでないことで、自分が後ろめたい思いをしてき   たんじゃないの?周りになにか言われ、プレッシャーを抱えて、抱えきれず   あなたに重たいものを押し付けてる
   B型のことも、なにか思い当たることはないの?



『父がB型よ。夫婦仲は最悪』



やっぱりね・・・

どうしようもないB型というのは、母上の夫に対する感情なのよ。
あなたのことじゃない
まずは、自分は悪くない!と強く思って!!!



彼女の母上が親戚中から一人しか子供を産めないことを責められていたこと、
夫婦仲が悪く、いつも夫を疑って、感謝の念を持っていないこと
夫をけなし、否定すること


典型的なACを産む機能不全家族だろう

電話で1時間ほどだけ話しただけだが、母親からこんな風に言われたことはあるか?こんな反応を示されたか?こういうことをされたことはあるか?
という問いかけは、ほぼビンゴ



短い間でも、彼女の目は開きつつあった
まずは、「毒になる親」を読んで!
とアドバイス
この本にはアナタの言いたいことが全部書いてあると思うから
と。





ACの周りはACだらけ
ACはACとしか付き合えないと持論を持っているACブロガーがいた。
過激な記述で、ときどき反論したくなるようなことも書いてあったりしたが、
やはりそういうものなのだろうか
たぐりよせられてくるのかな


P子の回復を願う



怒り。

2009-12-04 | 母というひと
母に対しての怒りは依然とある

AC、モラハラ、ボーダーを学んで自分の怒りがどこからくるかに気づかされた
だが、それで「怒り」が消滅したわけではない


時々私を苦しめる「怒り」を綴っていこうと思う
綴ることによって鎮めたいわけでも減らしたいわけでもない
私は記し、残したいのだ


「母への怒り」で真っ先に上がるのは、去年、逝った父に対する仕打ちだ


父がすい臓癌であるとわかったときのことだ

私も兄も遠く離れて暮らしているため、父の病状、主治医の所見、治療の方針などは、ほとんど母の口からしか聞くことができなかった
母はそれを利用して、事実を自分の都合よいように曲げて私達に伝えていた


手術をするかどうか、病院側から打診があった(本当かどうか今となってはわからない)


お父さんね、手術しなかったら3ヶ月、しても1年しかもたないんだって。どう思う?


私:本人はどう言ってるの?
  手術しても1年しかもたなくて、辛い治療しかできないんだったら好きなようにしてるほうがいいかと思うけど。でも本人の意志を尊重してほしい



そう!そうよね!!手術なんてしないほうがいいよね!!


母は父に治ってほしいなんて1ミリも思ってなかった
快復して退院してほしくない
看病は絶対に嫌


ウソだった



兄が見舞いに行ったとき、主治と話ができた
根治は難しいとは言ったものの、命の長さなんて一言も話してはいなかった


私の言葉は「手術しないほうがいい」というところだけ切り取られて


家族は手術に反対です

と伝えられていた


私も兄もそのウソを追求しなかった
母に言ったところで非を認めるわけない 無駄だと。

私は逃げたのだ
母の逆上するのは目に見えていた
当時、父は人質だった

【いったい誰のおかげでお父さんを看てもらえると思ってるんだ!】
【看病するのはこの私だ!】
【なにもしないくせに!!】

と、次から次へと罵倒されるだろう

あんな母でも父を任せるしかないと思うと、情けなかった
病院を兄の暮らす東京へ移すことはできないか、と真剣に考えたこともあった
だが、私は行動に移すことはしなかった できなかった 逃げた



治ってほしくない 退院してほしくない 母と、治ってほしい、家に帰してあげたい私達の溝は深まった



上述の罵倒は、違う状況のときによく言われた実際の母の言葉だ


**************


本当に3ヶ月ほど経ったころ、父が危篤になった
その電話をしてきたのは母なのだが、これまでにも病状、主治医の見解の報告に
ウソが多かったので、容易に信じることができなかった

私は、危篤の知らせのあと、念のため、親戚に電話した
危篤は本当だったのだが、
親戚に電話したことが母を逆上させた

なんで○○に電話した!!疑ってるのか!!!


私:お母さん思い込み激しいし、早とちりもあるから。3ヶ月しかもたないって話も違ってたじゃないの


本当に言ったとおり3ヶ月だろうがぁぁぁぁ

こういうのをウソから出た誠とでもいうのだろうか
言い返せなかった・・・・


今にして思えば、数々のウソを重ねてたので、私が親戚に一本電話しただけでも
「疑われてる!」と察知したのではないだろうか



父への仕打ちの怒りは、父を救い出せなかった無念の想いと共にいつも心の中で
渦巻いている