実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

ご無沙汰しました・・・

2008-08-28 | 母と私の現在
夏休み、四十九日もあり帰国してました
北へ南へと忙しい夏でした


四十九日の法要

あの母といっしょでは父を懐かしみ、厳かに法要を行うどころではありませんでした

私はいつものように前夜、ホテルへ宿泊
実家へ行こうと思えば行けたけど、夜遅く着くのを理由に行かなかった
それについては何の文句も言われない
なぜなら、私たちのご飯の心配をしなくてすむから


翌朝、早くに実家へ


まずは仏壇へ手を合わせに行くのを母に阻まれた

「拝むのはあとにして!坊さんが来るから部屋に行かないで!書類!!書類!!!(遺産放棄の書類)」


私よりも書類を心待ちにしてたか~(苦笑)



お次は私と兄に「やる やる」とうんざりするほどしつこく言われたお金
ひとつずつ封筒に入れて準備してあった

お坊さんが来たら渡せないからと、封筒から出すタイミングを細々と指示され
置いてある場所を何度も何度も「ココよ!ここだからね!!」と確認させられた

しまいに私の顔をまじまじと見たと思ったら
「全部取って行っちゃだめよ」


と。




・・・・・




頭にきてプイっとやってやった


こういうときは「怒った」と伝えることにした私

大人げない行動はしないでいるつもりだったけど、モラ母相手だと
「伝わりやすい」方法をとったほうがいいみたいだ


ただでさえ、相手の心中など慮る能力などないんだもの

「怒り」は他者から見て一番わかりやすい感情だろう
そしてこんなときは、いくらなんでも私がどうして怒っているのかわかるだろうから





「早く終えること」に終始した法要の儀式




今回気付いたこと




完璧主義でせわしなくて異常な心配性のモラ母は



案外、儀式の知識など持っていなかった!

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楽しみに・・・

2008-08-13 | 母と私の現在
父の四十九日が近づき、このところ頻繁に母から電話がある

葬式、墓、坊さん もう○百万かかった!


これから△に○万、■に○万 かかる

あんたらにやるためにとってあるお金、小銭ほど足りんかもしれん




私の年金思ったほどもらえない ○○万しかない 困った 



こういう風に言われたら、普通のひとはどう感じるのだろうか

私は苛立つ


やるやるというお金を受け取りにくくなるではないか?


お金が足りないなら、私たちにくれるお金をあてがってよ
と何度も言った


「いいの それはなんとしてでもあげるから」




このやりとり何度繰り返しただろう
もううんざり



断っておくが、莫大といえるほどの金額ではない

一度、聞くのも嫌になり
「いらない!それくらい困ってないから!!!」と言ったことがある
「出したものをひっこめられないなら、兄にあげたらいい あるいは海外旅行にでも行ったらいい」



困ったのは母のほうだったようだ





今日もまた同じパターンの電話

「そういう風に言うから ありがたく受け取れないのよ!」と言い放った


すると、少しオロオロしていたようだ





まず苦痛を与え、恩を売る 脅して従わせようとする
ACの特徴




**********************


兄に、お互い迷惑にならない良い方法を将来を考えようと打診したと言った


へ~~

兄と暮らしたいのか・・・



いやいや
十数年間、私に悪口を言い続けた兄嫁と暮らしたいなんて心底思っているはずない


本当は私のそばに来たいのか?


もし私が「お兄ちゃんと暮らすの?」と反応したら
そのことについて食らいついてくるつもりで話をふったのか?



それとも自分のことをどのくらい考えていてくれているのかテスト?







こんな風にけっこうかなり他所事

推理がちょっとばかし楽しかったりする



これってAC脱出に前進なのかしら?



手の内が読めるようになってきたのはよかったのだと思いたい






コメント (3)
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父の死

2008-08-05 | 
今月末に父の四十九日をひかえている
こちらにいると「死」というものを実感できない


しかし、もう帰っても父は出迎えてくれない
もういないんだ と やっと実感することになるだろう


「死」とは応えてくれないこと


今日も母から電話があった

四十九日の準備にてんてこ舞いで、疲れてフラフラだと訴えられた
私にくれぐれも在留証明書と署名証明書を忘れずに持ってきて欲しいと
何度も念を押された
母のことだから
(もし忘れられたらどうしよう)と余計な心配をするから倍疲れるのだ
このネガティブな思考は、すでに「忘れた」状況が頭の中で起こっているのだろう


「父の遺影を掲げるのに、クギを打っていてフラフラした。もう倒れそうだ。高いところはダメだ。」
「みんなは長男に任せたら?というけど、どうせ離れていて自分でしなくちゃいけないんだからやっている。がんばっているんだからそこのところを汲んでほしい」



私は冷めた気持ちで聞いていた
(ほ~ら またこうやって罪悪感を植えつけようとする)
クギだったら、来週兄が行くんだから、それまで待てばいいことなのに。
待てないのは母の都合。母が待ちたくなくてやってることなんだから、申し訳ないと思う必要はない

さ~っと↑の思考ができた


私から「ご苦労さん がんばっているね」という評価を引き出したいのだろう

でも私はしません

健康な思考な持ち主なら、
がんばっている自分に満足できるものだ
「充分やった」と自分自身に満足し、充実感や幸福感を手に入れることができる

母の場合はいくらやっても、「これで充分」ということがない
常に周りに確認して安心感を得ようとする
しかしその評価にも満足感を得ることはできない
常に猜疑心がつきまとう
幼い頃、きっと祖母から追い立てられるようにされてきたのだろう
どんなにがんばっても決して妥当な評価をされてこなかったのだと思える

「毒になる親」に書いてあった
汲み上げても汲み上げても空のバケツが引き上げられるだけ
ぴったりな表現だと思う


父の看護に対してもそうだった
主治医や看護婦から
「看病に来てない」と思われることを、異常に恐れ、足しげく病院通い
そして疲れると父に八つ当たり
私や兄を無能よばわり


父はどんな想いで看護を受けていたのだろう


それを父に訊くことはもうかなわない

それが「死」ということか・・・・





コメント (4)
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