実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

温泉なんて・・・

2009-03-28 | 母というひと
2月の頭に母から電話があって以来、1ヶ月半くらい過ぎた頃


こちらから電話をかけてみることにした


電話もよこさないと怒っているだろうか
と、これまでの脅迫観念も少しはあったが、そのときの自分の気持ちに一番近いのは【好奇心】と【自分の回復度の確認】だ



電話での母は、すこぶる機嫌が良かった
習い事を二つ始めたので、忙しくしているとのこと

(ああ、それで電話よこさないのね)


私に電話をよこすのは不満や面白くないことがあったときばかり
私ってサンドバック代わり?と何度も思った(苦笑)



そして、今年の夏に執り行う父の一周忌の話になった

日程はすでに決まっていて、なんとか出席しようと思っているのだが、
息子がその日取りに学校のテスト期間である可能性が非常に高い
息子もいっしょに連れて行きたいが、私一人の参加ということもありえると伝えると



「週末だけだと、とんぼ帰りじゃない?いっつも慌しい。温泉にでも行きたいのに・・・」





(あ~  また始まった・・・・・)



「温泉?とにかく息子のテストの予定次第だわ。まだ新学期始まってないからこれはわからない。連れて行けたら出席する。だめなら私ひとりで行くわ」


と言って、一旦電話を切った




すると、母、即効かけなおしてきた




「アッちゃんは一周忌不参加でもいいよ。だって海外からなんて遠いし、子供もいるから世間にも通用するって。一周忌と夏休み2回も来るとなるとお金も大変じゃない?夏休みにゆっくり来て温泉にでも行こうよ」



(ああああ また温泉 一周忌の話だろっ!!)



この時点で、母は父の一周忌のことなんかより自分が温泉に行きたいことで頭がいっぱいなことがわかった
世間って?よぶのは私と兄だけなのに?
49日でさえ、親戚ひとりもよばなかったのに?
あのときも法要より、その後の料亭で何を食べるかばかり気にしていた




「温泉は行かないよ。とにかく息子の予定次第。テストに重ならなかったら二人で法要に出るわ。重なったら、不参加にして夏休みに墓参りする。夏休みの予定なんて今は立てられない。夫の仕事の都合、あちらの実家へも行くからね」


母、がっかりしたような感じで、

「そうやね あんた達の夏のバカンスもあるしね」(これって嫌味?)


「温泉なんか友達と行けばいいじゃない!」(強い口調で言ってしまった)




温泉


「温泉」と聞いただけでぞーーっとする


まず、母はやたらと温泉に行きたがるひと
私が来ると、温泉に同行させたがる

ここのところ、夏しかゆっくり帰国できないのだが
せっかちな母は、半年も前から、いつ帰国できるのか知らせろとせっついてくる
2、3ヶ月前になると
「お盆のころは混むから取れなくなるじゃないの!」
「まだ予定わからないの!」
「ほんっとに何聞いてもわからないわからないって!勝手なやつらだ!!」
「私の夢がちっともかなわない!!」



私の予定はともかく、夏の帰国は夫を伴う
会社勤めの夫は、他社員の兼ね合い、仕事の兼ね合いからして、3ヶ月も前に
「休み」なんて確約できるはずがない


しかも、こちらに来てからは、国際線と国内線のチケットを抑えるのに、ものすごく苦労しているのだ
夫の実家は国際空港からさらに国内線へ乗り継がないといけないので、
満席だったら国際線そのものの日程を変えなければいけなかったり
乗り継ぎが悪かったら、宿泊も抑えないといけない。
先に温泉予約をされても、8月の空はいつも満席状態。そこに合わせるのは至難の
技といってもいい


母はこちらの都合なんてちっとも考えてくれやしない


私や夫が勝手だというのだ

「わからない」

と言うとキレる


どうしろというのだ?



それから、「温泉」には行きたくない大きな理由がある

それは、3年前、大バトルしたとき、私が

「こんな居心地のわるい家ない!」と母にむかって怒鳴った

すると、母は

「あんたこそなによ!温泉で背中流してくれたこともないじゃない!!」


と。





母は「オマエなんか、お母さん 背中流そうか?とやさしい言葉かけてくれたこともない」
と怒り震えていた



私は何度も背中を流している
命令されてね






このように言われたときは、愚かにも「罪悪感」を持たされてしまったのだが
あとから考えると、

背中を流してあげたい母ではない

やさしくされたいなら、私を侮辱するのはやめたらどうだ?
温泉決めるときに、こちらの都合を少しでも考えたことがあるのか?
なぜ「仕事の予定がわからない」から休みを決められないことで
人格否定をされなければいけないのだ?




笑い話:

無理やり温泉に連れて行かれた、とある夏

「あんた達ってなんで夏ばっか帰って来るのよ!夏の温泉は嫌い!!!」





二度と温泉同行はしないつもり

だれかと比べて心を折る

2009-03-27 | 母というひと
ずいぶんと間が空いてしまいました

さきほど、高校からの大親友から電話があったので、記事を書く気になった
親友の母上は、私の母によく似ている
言動、行動、おどろくほど酷似しているので、彼女の嘆く気持ちがよくわかるのだ
今日も、母上の愚痴だった。私ならわかってくれると思って電話しているのは間違いない
普通の健康的な家族を持つひとなら、こうアドバイスするだろうから

「そんなこと言ってもあなたのお母様じゃない 決して憎くてしてるわけじゃないわ 娘に酷いことする親なんていないもの 少しくらい我慢して、年寄りなんだし大目に見てあげて」




~相手がモラだと残念ながらこういうアドバイスは無意味だ~


彼女の話から、あることに気がついた


私のモラ母にしてもそうなのだが、侮辱するとき、だれかと比べて
こきおろすという手口を使う


親友の場合、彼女の二人の息子を
長男は口が立つからかわいくない 姑そっくりだと言ってこきおろし、
次男は、無口で従順だから、からかわいくて仕方がない。自分の息子(親友の弟)にそっくりだと溺愛


親友自身、弟とさんざん差別されて育った経歴の持ち主で、現在も
その差別は続いている
遠くに離れて暮らす弟への経済的援助をしつづけ、
そして金がない!と同居している彼女に当り散らしているという
(弟は43歳!一流会社に勤めているにもかかわらず!!)



私の場合、兄に劣ることばかりいつも言われていた

「オニイチャンはやさしいけど、アッちゃんは気が強い」
「オニイチャンは素直やけど、アッちゃんはがんこ」


これは一種の手口なのだな   そう思う


親友の母上にしてもそうだけど、この子は○○ あの子は××
というのは、勝手に作り上げたもの
私は親友の息子さんふたりをずっと前から知っているが、
決して母上が思っているような性格のみではない

私の兄ってそんなに優しかったっけ?(苦笑)
いじめられた記憶しかないけど~






このパターンをどれだけ使っていることか!




母方の姪姉妹・・・・・長女は大らかなのに、あの次女ったらなに?あんな暗くて気の強い子いないわ!


父方の姪姉妹・・・・・長女は明るくてかわいいのに、あの次女は生意気!



私の親友・・・・・・・○○ちゃんはいい子だけど、△△は嫌い




父の姉弟・・・・・・・義姉はいいひとだけど、弟は根性悪い





挙げたら出てくる出てくる(苦笑)




傷つけようとするとき、だれかと比べて劣っているところを思い知らせれば
より効果的に傷つけられる



怖い・・・・・





こんなことが身についてしまっている母は
やはり親からこういう扱いをされてきたのだろう















着物の支度

2009-03-17 | 母というひと
お雛様

~前記事のつづき~


母が過剰な賞賛を求めることはすでに記した
賞賛に対していつも飢えていると言っていいほどだ


お雛様と同様、嫁ぎ先からの賞賛を求めるものとして、「着物の支度」があった

母は私の最初の結婚が決まったとき、せっせと着物を作った
小紋、付け下げ、訪問着、喪服


私は着物に詳しくないため、価値などほとんどわからない
自分で着ることもできないし、恥ずかしながら畳み方もとうに忘れてしまっている
いまどき、どうしても着物が必要なシチュエーションなどめったにないと思っていた
現在、40年以上生きているけど、訪問着を1回だけ着ただけだ
それも母が「せっかく作ってやったのに着ない!」とキレたため、仕方なく子供の入園に着物を着て写真撮影だけしたのだ
死ぬまでに着る機会なんてあるのかしら
父の葬儀でも洋服だったし。


当時も着物なんてなくてもいい
どうしても必要だったらレンタルすればいい
くらいに思っている私をよそに
「○○を作らないと笑われる」「箪笥を開けて調べられる」と被害妄想のようなことを言って、奔走していた
そして「高かった」「お金がない」と「ひどい思いをして作った」
と後々まで言われるはめになった



私の最初の義母が、結婚1年目にして亡くなった
まだ若かった。
芯が強くてやさしくて、可愛げのあるひとだった
箪笥を開けて私の着物をチェックするようなひとではなかった(苦笑)


通夜の日
母は遠方からやってきて、私の喪服の世話を嬉々としながら行った
私達夫婦、夫の弟夫婦、義父、親戚があつまって大事な葬儀の手続きや取り決め
を行っている狭い部屋に私の婚礼家具である和箪笥があり、
母は箪笥の引き出しをガタピシャガタピシャ鳴らしながら
これ見よがしに「立派な」喪服を準備していた
顔は半分笑っていた



「こんなに立派な喪服を用意していた我が家はすごいでしょ」

その顔はそう物語っていた




葬儀のあと、母は私にこう聞いた



「親戚のひと、立派な喪服だって言ってなかった?」





自分がどれくらい賞賛されているか、必ずチェックする
これは現在でも続いている

そして、自分が思い描いたレベルに達してないと
とたんに不機嫌をあらわにし、罵倒しはじめる





お雛様

2009-03-08 | 母というひと
雛祭りがとっくに終わってしまったのになんですが
「ひな人形」にはちょっと痛い想いがある




我が家にはひな人形がなかった


なぜなかったのか?

祖母も母も私に買ってくれなかったからだ


幼いころ、いとこや近所の友人の家に立派なひな壇があるのを見て
「綺麗~~」と感銘を受けたことは記憶にあるけれど、
なぜ私の家にないのだろうとはあまり思ったことがない
「買って~」とねだったこともない
かといって、買ってほしいと思いながら、ぐっと我慢していたわけでもないと思う


ちょっと横道それるが、私が幼いころ、唯一、母が私を誉める言葉は

「この子は、あれ買ってこれ買ってと言わない子や~」

だった。よく言われた
いや言われすぎ?
もしかして言わせないようにする作戦?




お雛様

大きくなって、雛人形に興味もなくなった頃、母が私に言った


「まったくあのお祖母ちゃんってば、アッチャンになんにもしてくれない!普通だったら嫁に出した家に雛人形買うもんや!こんな風に私にはなにもしてくれないんだよね。あれほど子供にやりたくないもんかと思うくらいなんっにもしてくれないわ あのひと!」

<《なにもしてくれない》はキーワード 祖母は母に言い、母は私に言う
そうやって飢えた人生を送ってきたふたりだ





孫にお雛様や五月人形を買ってやると風習めいたものは今でもあるだろう
祖母は、母のためにそれをやらなかった
かといって、母は私のために、雛人形を買ってあげようとは1ミリも思ってなかったようだ
「あんたがかわいそうだ」
と言いながらも


お金がないから買ってあげられないようなことも言われた記憶があるが、
そんなものに説得力はない
母は必要なときに、買ってくれないとき、買えないと思ったときは(あくまで母の試算で)


嫁入りのお金につかうから

と言う


その価値観も私とはあまりにも違っていて、ついていけないのだが
とにかく母の価値観に、おそらく私というものが生まれた瞬間から

「娘の嫁ぎ先からの賞賛」

を求める気持ちがやたら強い


なので、お雛様を買わなかった理由もわかるのだ
私に女の子が出来て、豪華な雛人形を贈ったほうが、自分の欲求は満たされるからだ


実際

「アッチャンに女の子ができたら、絶対に豪華な雛人形買ってあげるからね!」

と何度か言われた


母にとっては賞賛を得るビッグチャンス


私が豪華な雛人形を持っていたところで、賞賛されるのは祖母だから、
そんな無駄金を使いたくなかったのだろう




この価値観はあらゆるところで過剰に発揮されてうんざりした


私の着物の支度がそうだった





つづく