実母からのモラルハラスメント

実母からモラルハラスメントを受けて数十年。
終焉を迎えました。

気付き

2008-06-30 | 母と私の現在
いまさらだけど

わりと最近気付いたことがある

母は、しょっちゅう暴言を吐き、辛辣なことばかり言うひとだけど、
結論・・・  というか
後半の部分をはっきり言わないことが多い


たとえばこうだ



私は一日に3回も病院へ行ってて、もう足が痛くて痛くて歩けない 運転するのがしどくてしんどくて


これ後半がない

足が痛くて、これからは病院へ行けない 行くとしても回数を減らしたい
ということなのか?
あるいは、「大変だね そんなに無理しなくていいよ」と言ってもらいたいのか?

後者だとすると、間髪入れずこうくるだろう

だって行かなきゃどうするってのよ だれがやるっていうのよ

で、ヘタに
いや~ しんどいならそんな3回も行かなくたっていいんじゃないの?

と、当然言う

そしていつもの決まったパターン

アンタになんかわからんて!


と、こうなる

わからないバカ娘になぜ言うのかなあ
言ってもムダってわかってるんだったら言わなくてもいいんじゃない?(^o^)


以前に記事にもした

お父さんは短大でいいっていうのを、大学行かせたのも私。離婚したアンタを2回嫁に出したのも私

これも後半がない

だから?
暴言や侮辱を我慢しなければいけないわけ?

そのとき、言い返したことは記事にした
「そんな交換条件があったなんて知らなかった」

とやり返したら

それだけです。

って。

交換条件で無条件に従えって言ったわけじゃないのね
だったら侮辱や暴言をひたすら我慢して服従しなくてもいいわけね

これってかえって有利!



こうして自分の首を絞めていってるモラ母


お嬢様育ちのモラ母は、一度も働いたことがない
自分の言動に責任を持つという環境にいたことがない
あわれな子供大人・・・・

口笛

2008-06-27 | 母と私の現在
このところ父の容態がおもわしくないようだ

父の容態は母からの報告からしか知ることはできない
病院に直接電話しても、教えてくれることはないからだ

今まで、何度か事実と違うことを報告されてきたので、100%信じたことはない。


月曜日 主治医から

あと1ヶ月ほどでしょう

と宣告されたという

今回はたぶん本当だと思われる

なぜなら、母の機嫌が良いから


「やっと先が見えてきた」

母は予定通り行かないことをなによりも嫌う
1分、5分、10分でも狂うと怒鳴る
それもなにかが始まってしまう時間だとか、乗り物に乗るという決まった時間ではない
「自分時間」
自分の寝る時間、食事の時間、家事をする時間は決して曲げず、変更させられることを極端に嫌い、自分の都合を押し付ける
従えないと、勝手だと責める
また、急遽変更せざるを得ない状況になるとパニクる。


父の命の長さ
こればっかりは思い通りにならないものだから、常に苛立っていた

半年前に主治医から
「これから黄疸が出るでしょう。そうなると危ないです」と告げられた
だが、待てど暮らせど黄疸が出ない

「あの医者め 全然黄疸出ないじゃないのよ!」

こう何度も言ってたっけ。。。



今日の電話

来週アッちゃんだけでも帰ってこれないの?


(来週だって?これだから嫌だ)


父が会いたがってるというなら迷うことなく帰るだろう
母の目的は?
父が死んでくれることを心待ちにしている母が
父のためを思って娘に会わせてやりたいと心底思っているとは思えなかった
父の余命があと1ヶ月だと親戚に電話したら
実弟はまったく見舞いに来る気がないだとか、従兄弟の○○は半泣きだったとか△△は自分の持病の話ばかりでちっともこっちの話を聞かないとか
どのくらい忠誠心があるのか品定め。
これもテストなんだろうと思った


私が口笛を吹いたらいつでも飛んでくるのよ




来月末に帰国することはもう言ってある
容態が急変するならもちろん帰国はするけど、私が帰る頃だって元気かもしれないでしょ?
いつどうなるかなんてだれにもわからないじゃないの


と言ったら

「そうや~ こればかりはしょうがないよね!」

「だから急なことがあっても、お母さんのこと恨まないでよね ちっとも知らせてくれなかったとか言わないでね」


少し驚いた
見栄っ張りな母だから、最後に親戚、遠く離れた子供たちを枕元によんで、盛大な催しをしたいのかと思っていたが
自分が恨まれないために来させようと思っていたのか。


「恨むって?私はそんなこと恨む人間じゃありません。近くにいたって、毎日病院行ってたって、今こうしているときだって、突然逝ってしまうことはあるよ。それはだれのせいでもない。私は離れて暮らしているからもう諦めてもらうしかないわ」


「そうね そうね 天命よね」

まあまあご機嫌で電話は切れた



モラ母は今後、このことを武器にできるだろうな、と推測してしまう

このことで、ふたつのことを母は手に入れることができた
ひとつは
[来てくれと頼んだのに娘は来てくれなかった]
もうひとつは
[なにかあっても恨まれる心配はない。頼んだのに拒んだのはあっちだ]


さて

どう出てくるのだろう

怖さ

2008-06-24 | 母と私の現在
来月末に帰国することが決まった

国内でも3箇所の移動があるので飛行機、ホテルの手配に三日三晩費やしたが、ようやく全て押さえることができた


本来、帰国は楽しみなはずなのに
決まってから気持ちが晴れない・・・

どんな心境かと聞かれたら
こう答えるしかない


母と顔を合わせたくない


憂鬱 いや、 恐怖に近い・・・・


どんな手を使って攻撃してくるのだろうと。


NO!のときはNOと言うしかないのだが


考えてみると、実家では助けてくれるひとがいないのだ

ひとりで母と対峙するしかない


なんだかモンスターがいるみたいだ


***********************************************************



前回の帰国から、実家には泊まらないことにした


前々回(去年の夏)の帰国のときにそれは決まったのだった

アンタはなにもしてくれない
ご飯を作らされるのがもういや
アンタの魂胆は、ここをホテル代わりにして遊ぶことや
アンタがいるとうるさくて眠れない
しんどくてしんどくてかなわない
アンタの洗濯物を干してると情けなくて涙が出る いつまで母親を使うつもりや!

こういうことをこれでもか!というくらい言われ続けた

私は、できる限り家事を手伝い、朝早く、夜早い母の生活スタイルに合わせて
毎日10時には寝て6時過ぎに起床する生活をしていた
夜トイレに行くのにも抜き足差し足
まだ幼い子供はそこまで気がきかないのでそうもいかなかったが。

洗濯について。
母が起きるのは朝4時。5時には洗濯が終わっている。
私が怠けて洗濯をしないのではなく、手を出す暇がなかったのだ。
私の分だけよけて置いておかれても文句を言うつもりはない。

さらに取りこむ時間が2時と決まっていて
2時10分には
「なにやってんのよ!!!!早く取り込みなさいよ!!!!!!!」
と怒鳴られた。一瞬なぜ怒鳴るのかわけがわからなかった・・・
2時と決まっているため、その時間は外出できない
私が出かけているときは必然的に母が取り込んでしまうため
「やらされている」になってしまった
なんだか不本意。。。


また、母は私が外出することを極度に嫌がる
いつも監視の目を光らせていた。
友達にさえ嫉妬し、遊びに行くことを妨害された。
アンタって子は母親と友達とどっちが大事なんだ!と責められ、それでも外出すると「親を放って冷たい娘だ」と罵られた
母にいちいち言われるのが嫌で、友達からの誘いを断ることもしばしばあった。

このことについては、私が我慢しすぎた。
1年に1回の帰国で会いたい友人にも会えないことのほうがどうかしている
「遠い外国からはるばる帰ってきたのだから楽しんだらいい」
なんて、ごく普通に優しい母ではないのだ



去年の夏はこんな調子でピリピリしながら過ごした

母の「あーーしんどい あーーしんどい」が耳の奥でガンガンするような日々

最終日頃に母は言った


「あんた達が帰ってくるとワタシャ本当にしんどい もうだめや 
○○さんちの息子さんはホテルに泊まってるんだって」





この言葉  すぐに飛びついた


(え?いいの?)今度からホテルに泊まるわ




このときの心境はなんとも言いがたい

私の心のほうが悲鳴をあげていたから、その言葉は心のどこかで待ち望んでいたはずだ。
できることならホテルに滞在したいと思っていた。
だが、実家があるのにホテル滞在なんて
「わがまま」「勝手」と母からこてんぱに言われるに決まっていると思っていたから言い出せないでいた。






(もしかしてずっとホテルにでも行ってくれと思っていた?謎)



一方でもう帰る実家がないという事実は正直辛かった
虚しくなってしまった・・・・と言っていいだろう



「ホテルに泊まれ」と言われた瞬間に
これからは解放されるんだ!という晴れ晴れした気持ちと
もう帰る家もない
という情ない暗澹たる両極端な気持ちが交錯した




ところが~



(つづく)



思考回路

2008-06-21 | 母と私の現在
本心②に綴ったように
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=74ee959be90c6f1ce5a7c1b53ac877a4


「もうお母さんを受け入れないのね?」
という問いに
 「はい。」

とまで言ってしまった私。
それからずっと不快な気持ちが続いた

こうして母に囚われているということ自体、まだまだACからは脱出していないという事実も認めざるを得ない


進歩としては、以前ならここまで言ってしまうと罪悪感と恐怖にかられ
謝罪はしないが、母がどの程度怒っているのか探りを入れる電話を必ず入れていた
確かめずにいられなかった
そして、なんともない風な母の応答にホッとしていたものだった

その行動が現在はない

電話をしたい衝動を抑えているのではなく、
そんな気が起きないのだ



以前の私の行動でほっとしたのは私だけではなく、母も同じだっただろう
自分の支配が行き届いているのを知って安心し、このうえない優越感をなんの努力もせず棚ボタで手に入れることができたはずだから



あそこまで言ったら、当分電話はないだろうな



↑このことにもホッとしていた




が、案外早く電話が来た


まるでつい1週間前にこんな激しいやりとりなどなかったかのように
その件については全く触れず


「手紙届いたわよ お父さんとても喜んでいた。病院に置いておくか?と聞いたら持って帰れというから持って帰ってきた」


私は父の日もあったので、子供の写真と手紙を実家ではなく病院に直接送っていた
実家でなく病院にしたのは、母が
毎日病院通いが疲れる もう私が先に死ぬ
とそんなことばかり言うからだ
実際、病院へ毎日行く必要もないのだが(苦笑)
行かないと医者や看護婦から「全然来ないひどい奥さん」だと思われるからというのが主な理由である

私が実家へ父宛ての手紙を出したら
アンタの手紙を持っていかなきゃいけないから、今日はしんどいけどがんばって行ってやったのだ
と言われるだろうな、と予想した
あるいは
ほら!結局私の助けがないとなにもできないでしょ 
と暗に服従を迫られるような気もしていた

とはいえ
このような考えはちょっと頭をよぎっただけ
母の出方は暗算のごとくはじき出されるので、
私は単にダイレクトに病院へ送るほうが効率がいい、くらいに考えて郵送したまでだった


話が前後するが
「(手紙を)家へ持って帰ってきました」

と母が言ったことにはなんとも思っていなかった



それあとはお約束の病院への罵詈雑言が始まる
保険制度への怒り、抗議も始まる(これはまあ、わかるが)
事務局長とケンカしてやったと武勇伝のように語る
(はぁ~ なんて迷惑なヒト)

母の困ったところは、興奮してくるとまるで私が厚生省の役人かなにかのように
激しい口調で迫ってくるところ
○○だから困っている ○○だからこうなったらいいのに そう思わない?
という話し方ではない
○○よ!どうなってんのよ!!○○にすればいいのに!!!


矛先がちがう~~!!

これも境界がわからない人格障害の特徴のひとつだろうか


電話が来た時間は、朝の忙しい最中
夫はまだ出勤前でバタバタ
その日、私も早朝から連絡網を回す役割があったので、自宅に電話してきてつながらないクラスメートのお母さんから携帯に電話が2本も入る

そのたびに母の電話をさえぎって携帯に出たり、夫を送り出すのに声をかけていると、
母はすっかり不機嫌になった
これはいつものこと。
相手の都合を慮ることなどない
まずは「今大丈夫?」と聞くのが常識だと思うのだが、そんなこと頭の中には1ミリもない

逆にこちらが「今忙しいから後で」なんて言うと
「なんて酷いやつだ!」にされる


これにはもう慣れてしまった


独演会が始まったら、私は受話器をテーブルに置いて別の仕事を始めた
声が大きいからなんとなく内容もわかる
こちらの反応などおかまいなしだから、相槌をうつ必要もない(笑)


言いたい放題言って電話は切れた



**********************


またその翌日

電話が来た



「今日はお父さんの検査結果が出るかもしれないのだが、夜、出かけて留守にする。アンタ、かけてきてもいないけど心配しないで」


こっちから電話することなんてないから心配もなにもないのだけど、
「わかった」と答えた


そしてまた病院に対する不満と中傷

「絶対退院手続きとってやる!あの事務局長の前で退院手続き書いてやるわ!!」
と息巻いていた

はぁ。
父を絶対に家へ帰さない 殺してやると言ったアナタ
大体、父のベッドも捨てたのに「退院手続き」?

事務局長がなにをしたかわからないけど
そんなパフォーマンスになんの意味があるというのだろう
自分が書類に書き出した瞬間にあわてふためいた事務局長が止めてくれるだろうと、すっかり脚本ができているようだ
そしたら悠々とした態度で事務局長を見下せるとふんでいるのだろう
そんなこと起こるわけないのに


本当に退院させられたらどうするの?
今度は私たち子どもがなにもしてくれないって言うの?

*****************



そしてちょっとつっかかるように言った

「手紙を持って帰ってきたのはねえ お父さん、もう手紙を開けたり閉めたりもできないのよ だから持って帰ってほしいって で、持って帰ってきたのよ」







手紙を病室に置いておかなかったことを私が怒ってると?
それとも病院に直接手紙出したことに母が気を悪くしている?


「うん」

とだけ答えた


それ以上はどうでもいい


責められたら、ちゃんと自分の言い分を言う

なつ草さんによると、モラの思考を考えてはいけないそうだから






歪んだ思考に振り回されるのはもううんざりだ


怒り

2008-06-17 | 
侮辱されたら

私は 当然 怒る


してないとを私が「した」と言われたら
あるいはしていることを「やってない」と言われたら

私は 当然 抗議する


意見が違ったら

私は 当然 反対する


意見が同じなら

私は 当然 賛成する




たとえ育ててもらった恩があっても


「当然」のものを売り渡す気はもうない



母は「くれない病」だ

アッちゃん商店はもう閉店しよう



名前の由来

2008-06-15 | 
~gooブログを開設するにあたり~

まずは決めなければいけないことがある

それはID

ブログの中で自分を語るもの、自分のブログの中での名前となるのだから
コンセプトに沿ったものにしなければと思った

アッちゃん


敢えてアッちゃんと決めた

40も過ぎた私をアッちゃんとよぶひとは、限られている

母と私の関係を描くためにこのブログを立ち上げたので、アッちゃんはぴったりだと思った


アッちゃん

一番多く私をそう呼んだのは母だ


やさしく呼んでもらった記憶はあまりない
甲高い声でアッちゃん!とよばれると反射的に身構えていたことが多かった

ご主人様の声にビクッとなる飼い犬のようだ


その声はいつでも私の耳の奥で鳴り響いている


母とのことを回想し、それを言語化するときに「アッちゃん」を使うとぐんとリアリティーが増し、それが起こった瞬間にタイムスリップできるので、これに決めてよかった


Smileは、悲壮な経験のキーワードである「アッちゃん」の対極として着けた

幸せは笑顔から
これ信条です



これからも
よろしくです

本心②

2008-06-11 | 父と母
前回 「本心」http://blog.goo.ne.jp/acchan-smile/e/95ed8248c80662dcf122035d576c885dのつづき

電話を切ったが、ものの1分後にはまた母からかかってきた
(この切るや否やかけてくるのはいつものパターン こらえられない性格がよく出ている)


最初になにを言われたかは忘れたが


私は大体以下のようなことを言った

退院させてやりたいなんて言うけどさ 帰ってきたら3日で殺す、絶対家には入れない 口で殺してやるって言ってたじゃないの それがなんでかわいそうだから退院させてやりたいになるの?


私、ちょっと興奮した口調になってしまった 反省。AC親には冷静に対応しないといけないんだけど。

そしたら母は以下のようなことを語った


ちょっと聞きなさい(私が興奮してるから)
あのときは(1月のこと)本当にしんどかった。どうにかなりそうやってん。それが普通ねん。みんなそうねん。お父さんがもう余命がなくて、かわいそうになってきて。私には情があるねん
でもときどきお父さんに偉そうにされると悔しくて腹が立って早く逝けばいいのにと思うのも本当。情け深いのも本当

でもお父さんに偉そうな口をきかれると、歯がゆくなって早く終わって欲しいと思うのも本当。かわいそうになって情け深いのも本当の私やねん


これを聞いて「アナタの気持ちごもっともです。よくわかります」とは、もう思えなかった。


この言い分は一見、もっともなようにみえる
介護疲れのため、精神バランスを一時崩してしまい、つい心にもないことを言ってしまったが、自分はそんな本来そんな酷い人間ではない。思いやりにあふれた人間だから、酷いことをされた夫にもちゃんとつくしている

丸め込まれそう・・・

だが それは違うのだ
私は言った


そうなの もう今は気持ちが変わってそうは思っていないのね もう言わないね 変わったとは知らなかったわ


あんたにはわからんて!

(この質問には答えたくなかったな・・・改心したわけじゃないな・・・)


わからないよ 私そこまで人を憎んだことないもの そんな気持ちわからない



ほう そうなんや 私はこんなに酷い目にあって酷い思いをしている
なのにアッちゃんは一度も労いの言葉を言わない「お母さんご苦労さんやね もう少しだから頼むね」って言ったことあるか~!!



私は父の入院生活が始まってから、何度も言ったことがある
「ご苦労さん」「雪がひどいようだから行くのやめたほうがいい」「自分のペースで病院通ったらいい」と。
でもここ最近は敢えて口にはしなかった


そっちに受け入れる気持ちがないんでしょ
なにを言っても「アンタにはわからんて!」って拒否するじゃないの
それに病院行って口で殺してやるって言ってるひとに
「お母さん 毎日がんばって口で殺してる?大変だね 早く死ぬといいね」なん言えませんから!



じゃあ 私がおかしいってことなんやね 私が変わってるってこと?

そうです


じゃあ アッちゃんも変わってるね


はぁ・・・・この次元になるとホントに嫌 幼稚園生並だと思ってしまう
モラのパターンとしては、自分が落とされると必ずこちらの足も引っ張ろうとするからまともに受け取っちゃいけないんだけど、
これってやっぱり「ムカ!」っとくる 



でも以前だったら
「私が悪いっていうの?」って言われると、「そうです」なんて言えなかった
そんなにはっきり言ったら悪いと思っていたし、母の逆襲も怖かったから
で、必ず
「いやそうは言ってないって*****************だから+++++++++++」
と自己弁明ともつかぬことを顔色みながら語っていたと思う

じゃあ もうアッちゃんはお母さんを受け入れるつもりはないってことね!



はい。そうです



このパターンをどうしてもっと早くやっておかなかったのだろう
たったひとつの本心「はい」さえ言っておけば負のスパイラルに陥ることもなかったのに



言っておくけどね
お父さんが短大でいいって言うのを4年生に行かせてあげたのも私。
アンタが離婚して2回結婚したのをやってあげたのも私



(いつのまにやら話は変わり・・・)母は都合が悪くなると、金銭でゆさぶってくる
こんなこと言わなければ純粋に感謝し「良い親だ」と思えるのに
そのときはちゃんと感謝もしている お礼も言っている
このパターンはAC親によくみられる経済的援助を交換条件に服従を迫るパターンだ



そうやって脅迫するのね  そのころはそんな交換条件があったなんて知らなかったわ


脅迫?私は「やりました」ってただそれだけ言ってるだけだから

はい。


そしてやっと電話は終わった

***************





いつものパターンだけど、母とのこういうやりとりはものすごく疲れる
電話のあとも心臓がバクバクし、体も不調になり、気分は不快このうえない
いまこうしてブログをつづっている手が震えるくらいだ
そこまで母の毒は私の精神と肉体を蝕んでいる

ACのことをいくつかの本で学んだ中で、親とは対決しなければいけないが
親が劇的に変わってくれるとか、謝罪をしてくれるとかは期待してはいけないと
書いてあった



このときのように、母に腹が立ったり、言い負かしたいと思ったりしている私は
まだまだ「母が変わってくれたらいいのに」「母が自分のことを振り返ってくれたら」と思っているのだろう


しかしまあ私もここまで言うようになったとはもともと口は達者だと思っていたが、肝心なときに緊張して感情があふれてしまってうまく言えなかったことが多い 「言い過ぎてはいけない」といつも母の気持ちを優先させてしまったからだ

冷静に、理路整然と語れたらな~

それには紙に書いて整理しておくことが良いそうだ
あとで、「ああ言えばよかった」「こう言えばよかった」と後悔しないように。
前回、母と帰国したときは、対面に備えて飛行機の中までメモを片手にシュミレーションしていたな~
おかげでだいぶ効果もあがっていた

はい。疲れました ちょっと休憩します






本心

2008-06-10 | 父と母
今日の午後、母から電話があった
電話に出ると、まだまだ緊張する これは仕方ないか・・・


話の内容は、父の転院のことだった
すでに前回の電話で、病院側から入院が6ヶ月を過ぎたので転院するか留まるかと打診があったとは聞いていた
留まるとなると、料金形態が変わる
今日の電話は、今入院中の病院に隣接して老人用の介護施設がある。設備も整っていて医療もうけられるし、そちらに移したい、父本人も希望している(母の話では)
病状が悪化したらすぐに元の病院へ戻れるのだから心強いし、ぜひそうしたいとのことだった


母:あんた、どう思う?賛成?お兄ちゃんは大賛成だって


私は、ただ「はい」とだけ答えた

だって、「口出すな」と言われたから
ちゃんと言いつけを守ったよ(苦笑)



そしてまたまた
病院に対しての罵詈雑言が始まった
弾丸トークなので詳細は覚えていないが
*病院は隣へやろうと仕組んでいたんだ
*隣の施設の大部屋へ入りたいって言ったら、あわててた ウチなら個室へ入ると思っていたんや(現在個室) ウチをカモにする気や


ここまでで
すでにハテナな発言

お父さんかわいそうやわ 悔しいから一日でもいいしお父さんを連れて帰ってあげたいわ でもそんなん自分ひとりじゃできないし


この発言に

私 ブチっと なっちゃいました




~話はさかのぼり、昨年末から今年にかけて帰国したときの母の言動~

病床にてより↓
http://blog.goo.ne.jp/acchan-smile/e/e1cc4a7f5df0ee6ebce466b4456fa1b1



母は「殺してやる」「家には絶対入れない」「病院へ行って枕元でずっと恨みつらみを言い続けやる。それが生きがいだ」とまで言い放ち、
酷いことに父のベッドを入院早々捨ててしまっていた

それが一転して
お父さんがかわいそう
発言に

ハァ?


と思った私

「退院って!できないことを、どうしてするなんて言うわけ?」

一瞬、うっと言葉に詰まったが
口が立つことは天下一品の母

アンタはそうやってすぐリクツこねて!実際、介護は本当に大変や!やったモンじゃないとわからないって!!!


問題すりかえ・・・・


はい。わかりません


そう言って電話を切った



*****************

介護の大変さ
それはそれは大変な仕事だろう。
苦労されてるひとも身近にいる
といっても実際にやったことない私にはあくまで想像の範囲なわけで、これはどうしようもない
わからないだろ?と言われたら、正直にわかりません
と言うしかない


負い目を感じる部分を攻撃してくるのがモラのパターン




今までは
いやそれはわかるって でもねお父さんだって○■△×○&●
私も○■△×○&●

いーーーや!わからないって


そんなことないから○■△×○○■△×○&●&●
そう言わずに○■△×○&●○■△×○&●(大汗)


こうやってどんどん負のスパイラルに入っていく
このパターンの繰り返しだった
なにも解決していなかった
母は自分が怒れば私がオロオロして下手に出てくることをちゃんと
計算しているのだ
私には実現不可能な「毎日介護」という弱みを攻撃してくる
「ほ~ら できないじゃないの だから私のほうがえらいのよ  私が機嫌悪くなった気分よくさせるのよ そうじゃないと困るのはあんたなんだからね」
と罪悪感を植えつけさせられる



できません わかりません



まずは本当のこと
本心を言うことにしよう

自分の気持ちを優先させなきゃ
じゃないとモラ母にからめとられてしまう



まだつづきがあります
後ほど・・・



 


母の嫉妬②

2008-06-07 | ~3年前の爆発~

~前回の「母の嫉妬」http://blog.goo.ne.jp/acchan-smile/e/1184ca07a127f532059d82a451ddac66の続き~

 

海外赴任して以来、母のモラハラは酷くなっていったと思う

私の住んでいる国がどんなところでどういう生活を送っているかは興味深々のようなのだが、
聞かれた質問に答えると、いつも「ふ~ん」とつまらなそうに返事をされた
母はこちらに一度旅行で訪れたことがある

*そんなところちっとも良いところじゃない

*よくそんなところに住んでるね

いずれ自分が遊びに行ったとき、どこか良いところがあるのか?
と聞くので、
ある有名なスポットに行って来たらとてもよかった と話した途端、鬼のような顔をして怒り出し

アンタばっかりいいトコ行って!!

と怒られた

 

私はその頃、ACに関して、まったく無知だった
AC親が子供に嫉妬するなんてことがまったく頭になかったため

*母がこんなことで怒るのは、今ストレスが溜まっているからなんだ
*こんな風に機嫌悪いのは、私が遠くへ行ってしまったことから来る寂しさの表れなんだ
そう思って、自分を宥めたり、怒りをしずめたりしていた

 

これは嫉妬だったのだ

そう気付かされたのは一冊の本に出会ってからだ
スーザン・フォワード著「毒になる親」
この著書は現在でも私の強い心の支えとなっている
その続編ともいえる著書
「毒になる姑」
からもさらに確信を強めた


嫁や婿が義父母の不快な過去を映し出す鏡の役割をしていることもある
あなたの存在そのものが昔の恥じや恐怖をよみがえらせるのだ。
意識していないかもしれないが、嫁や婿を攻撃することで自分の問題を解決しようとしているのだ(過剰反応について)(私の場合は実母子関係)

 

~母の「海外赴任」に対する過剰反応に私は思い当たることがあった

父は、ある地方都市で会社の重役をしていた。全国区では無名だけれども、地元ではまあまあ名前が知れている
私が小学生の頃、父が東京へ転勤になった
もう30年以上前のことだ。
父の会社は、郊外のマンションを社宅として購入してくれた。会社が所有するものだから、父だけのためではないだろうが、父の転勤に合わせて購入してくれたので、会社は父に期待もあったのだろう

そのマンションは当時(30年以上前)にしては高価なものだった。4LDK、5LDKタイプのみ。価格も現在の一般的マンション価格とあまり変わらな。
実家の地方都市では、都心のマンションを買う値段で充分一戸建てを購入できる。現在は実家の都市でもだいぶ資産価値が変わっているが、当時はマンションなど、賃貸物件くらいなものだったと思う。
マンションに住むということで、近所のひとにバカにされると思ったらしい母は、パンフレットを片手に近所のひとたちに説明しまくっていた
「高いのよ~ 広いのよ~」とマンションのパンフ片手に井戸端会議を開いている姿を今でもはっきりと覚えている

彼らに「あなた達が思っているようなマンションとは違うんですからね」
と念を押しておきたかったのだろう
ある日、「ふん!みんなアパートみたいなもんだと思ってるんだ!」とぷんぷんしていたから(笑)

話が横道それたが、会社が購入してくれたマンションでの生活が始まった

新築のマンションなので、入居してからどんどん同じ棟、同じフロア、上下の住人が挨拶しにやってくる

住人は一流企業がほとんどといっていいほどで、海外から帰国した人たちがたくさんいた

 テレビで洒落たCMを流している企業、日本の経済の先端を行っている会社
子供の私でも名前を聞いたことがある会社に普通に勤めている人々がご近所のひと
こんなことは田舎暮らしだった私達には初めての経験だった
そして、海外のあちこちで暮らしたことがある人など、見たのも初めてだったかもしれない


母はうちのめされたのだと思う

地元では大きいといわれている会社でポジションもあり、大きな顔をしていられたが、ここでは会社の名前すら知っているひとはいない。


こういうとき、「上には上がいる」と自分の身の程を知って成長すればよかったのだろうが、母はそんなことはなかった
彼らへの憎悪へ成長していったのだから

 

よく行き来していた上の階の奥さんは、南米帰りの大手銀行員の妻だった
当然、英語のほかにスペイン語も堪能
上品で、おとなしい感じの方だった
よく行き来しているのに、母は決まってそのひとの悪口を言っていた

「ああいう海外帰りのひとはメイドを使っていたとすぐ見栄をはる 安い値段で雇えるのにさ」
「なにさ!気取っちゃって。実家なんかすごい田舎にあるくせに」
「着物は実家に置いてあると言っていた。あれは絶対にウソだ 本当は持ってないって(自分はたくさん持っているのが自慢)」

あのひとたちは自分をバカにしている

 

母の反応はそうだった
本当にバカにしていたかどうかは、判断することはできない
だが、自分が持ってないものを目の前のひとが持っていることは、母にとっては耐えられないことなのだ

 

現在の母は、私に腹を立てているというよりも、
過去、自分をバカにした(かもしれない)海外帰りの奥さん達に腹を立てているのだろう
そのとき未解決だったことを、私をやっつければ解決できると思いこんでいる(スーザン・フォワードより)
それを知って、だいぶ私はラクになったのだ

「海外にずっと暮らしているとロクな人間にならない 帰ってきたらおかしなことになる」

 

と母は言った

さ~て

おかしなことはいつ起こるのだろうか

 

 





 



 

 

 

 

 

 


母の嫉妬

2008-06-05 | ~3年前の爆発~

海外赴任

という言葉はどんなイメージを持たれるのだろうか

「エリート」「リッチ」「語学ができる」「お高くとまってる」など?

私も赴任する前はうっすらそんなようなイメージを抱いていた

え~
残念ながら、海外駐在の生活を楽しく紹介するブログではないのであしからず(汗)

母のことに絡めての気付きについて綴りたい

****************************

「海外赴任っていってもそんなカッコいいものじゃないって」

「苦労することもたくさんある 大変なんだよ」

「リッチ?とんでもない。日本の物はものすごく高くてとてもじゃないけど買えない 生活費が倍もかかってリッチになるどころじゃない」

 

私は海外赴任なんていかにどうってことないことかを、いつも力説していた。どうしてこんなに必死になるのだろう・・・・

 

これも長年に渡って、母が私に送り続けたメッセージに起因していた

 

母は私に嫉妬している

 

母との関係が決定的に悪くなったのは3年ほど前からだ。
ただの親子ケンカとはちがう、私はどうしてこんなに苦しいのだろう
母の電話にビクつき、こんなに離れていても影に怯える日々

なにかヒントはないかとひたすらネットで検索しつづけたある日。
アダルトチルドレンに関するページを見つけ、吸い込まれるように入っていった

 

間違いない これは私だ

そこで初めてAC親は子供に嫉妬すると知った
それまで親が子供に嫉妬することなどあり得ないと思いこんでいたのだが。
そう。そうだったんだ
それですべて説明がつく

 

思えば母というひとは、私がなにか楽しかったり嬉しかったり、いいことがあったと話すと

「うかれるんじゃないよ」「調子にのってるとみんなに嫌われるからね」

よくそう言ってピシャリと釘を刺した

また、将来の夢を胸膨らませて話すと

「ふん!女なんて結婚して子供産んだら終わりや みんないっしょや」

「そんなコト、あんたみたいなモンはできないって」

と片付けられた。

こういう母なので、私は母の前で自分の楽しいこと、幸せなこと、希望、夢を語ることができなくなっていった

 

AC親は子供が自分より幸せになりそうになると、嫉妬し、足をひっぱろうとする
そして子供はいつしか親よりも幸せになることに罪悪感を感じるようになる

 

~海外生活が始まったのが3年前~

出国直前に大きな出来事が起こった
(このことについては、また後ほどふれたい)
その頃から私と母の関係は悪化していった

 

言われて嫌だったことをここに綴ろう

 

こちらに来たばかりで、右も左もわからずてんてこ舞い
銀行ATMの使い方もわからないでマゴマゴしていた頃のこと

母は週に1度は国際電話をかけてきて、こちらの様子を聞いた。
わからないことが多くて大変なんだと訴えたら

「自分がどんなに英語できないか思い知ったやろ!」

「・・・・・・」

絶句して言い返せなかった
断っておきますが、私英語できません(今でも(^。^;;)
英語しゃべれるから海外赴任なんて平気よ!と宣言もしてません・・・

 

それから

母が友人から「娘さん、海外赴任されてるなんてすごいね!セレブね」とかなんとか言われたらしい
速攻電話してきて
「まったくなにがセレブよ そんなもん!!」

「・・・・・」

(どう返事すれば?
と言いながら、アナタ、友達に
「私の娘は海外にいますの~」って自慢したんじゃないの?)

かと思えば
頭に湯気が立つほど怒りながら電話してきて
「今日友達の○○に、『海外駐在の奥さんたちなんて、ロクなことしてない。海外赴任手当てもらって遊んで歩いてるだけだ』と言われた。そんな酷いこと言うのよ!!○○め~ くそ~ 
ねえ!アンタ、海外赴任手当てなんて貰ってないよね?ね!?」

「・・・・・。も、貰ってない」

「でっしょーー!今度貰ってないってあの女に言ってやらなきゃ!」

友達の悪口を言いたいだけ言って電話は切れた

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本当は赴任手当て(という名目ではないと思うけど)は出ている。
こちらに来てからのほうが、経済面でははるかにラクになった
(あくまで我が家の以前に比べての話デス!)
大変なことも多いけど、海外ならではの楽しみもたくさんあるし、学ぶこともできる。より豊かな人生経験を得られる。
それもこれも、夫のおかげだ。夫は以前から海外駐在を希望しており、それに向って努力し、認められた結果なのだから

本当のことを言えなかった私がそこにいた
今なら、言うだろう
給料増えてラクになったよ!ここは楽しいよ!英語できなくたってなんとかなるもんよ!夫は仕事充実して、家族支えあっているよ!

↑これが真実
私の「心」が幸せだと感じていることをありのまま伝えると、母が言うように嫌われることがあるのだろうか?
もしあったとして、その「誰か」のために、感情を捨てなければいけないのだろうか・・・


海外赴任だからといって、偉くなったとでも思うなよ 調子に乗るんじゃなよ アンタみたいなモンなんて アンタなんて・・・

呪文のようにどこからともなく聞こえてくるメッセージ
週に1度の電話は、私がちゃんと自分よりも不幸でいるかどうかを確認しているかのようだった

 

母が海外赴任に拘り、嫉妬している原因に、思い当たることがあった

(つづく)