ハレルヤ!  喜び、喜びおどろう

聖書のことばを中心に、2019年12月から、あふれる思いをブログにまとめています

静まった中で召された夫

2020-05-27 | 喜び
私の夫が召された日のこと。意識はあった彼は、遠くから駆けつけて来たお嫁さんと孫たちの声を聞いてわかったと小さくうなずいて指でサインを送ってくれた。

それからの30分は不思議な静けさに包まれていた。私は黙り、息子家族、娘家族、だれも声を出さずにベッドの回りに座り込んでいた。部屋の中は教会の聖歌隊の歌う讃美歌だけが響いていた。

彼の手を取っていた看護師が召されたことを知らせてくださった時、私はおもわず「ハレルヤ! 神様、感謝します」と心からのお祈りをした。安堵し喜び、涙のない別れであった。



あれから6年たった今、あの静かな30分間にどんな意味があったのだろうと思い巡らしている。
彼は、召される前日、目を上げて「なんだか奇麗だな~~」と言った。
 私は「いつもと同じ部屋よ。それとも私が今日は真っ赤なドレスを着ているからな」と笑って答えた。彼には天国が少し見えていて、神様を全面的に信頼するようになっていたのかも知れない。不安や苦しみを訴えることなく静かに召された。



一方、私は前日には、車で2時間かけて葬儀社の方に来てもらって打ち合わせをした。教会とも、観光バスで多くの兄姉に来てもらうように依頼し、何人かはホテルを準備すると連絡をしていた。

当日の朝は、看護師や医師が何度も訪問。お嫁さんと孫たちの到着が間に合うかとソワソワしていた。信仰があるのは娘だけなので、他の家族と上手くコミニケションをとって、田舎では珍しいキリスト教の葬儀をすることができるかという不安もあった。
まるで大暴風の中に巻き込まれているような私でした。

マル 4:39 イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。

いよいよ召される時になって、イエス様が、私自身に静まるように伝え、幼い二人の孫を静まらせ、キリスト教の嫌いな息子を黙らせた。寺に関係している他の親族を遠ざけていた。

マル 4:41 彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」

この6年前の経験は、私と娘の信仰を確かなものとする力となった。
その場にいた他の人たちにとって、呼び求める声に答えて、守りと導きを与えてくださる神の臨在を、やがて知ることになることを祈り求めます。


ぶどうの花
コメント    この記事についてブログを書く
« 主は、ともにいてくださった | トップ | 死後、人間はどこに行くのかな? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

喜び」カテゴリの最新記事