あるひのあひる

sometimes"♯",sometimes"♭" ,and always"NATURAL”
猫とハーブと酒と音楽

粗茶ですが

2011-01-05 18:15:00 | 私見・雑感

ひときわよく通る、深く響く大きな声。
がっちりとした体つき、そして、グッと眉間が締まったいかつい顔。
歯に衣着せぬ威勢の良い口調でポンポン発するコメントは
ピリッと皮肉が効いた辛口のもの。
圧倒的な存在感で畏れられていた、グループ会社の社長。


そんなSさんに、初めて出会ったのは
もう20年ほど前。

社会人デビューして間もなく、“新人類”なんて言葉で呼ばれていた頃だった。


営業マンにとってはかなり怖い存在らしいけれど
実はとても温かく親しみやすい人なんじゃないかと、初対面から感じていた。

たまに来社されたときにお茶を出すと
“お、ありがと。”
と、いつもさりげなく一声かけてくれたから。


やがて、私が東京に転勤になり、数年ぶりに思いがけず
「本部長と(かなり下の)部下」という形で再会した時
“おや?貴女、どこかで見た顔だなー”
変わらない大きな声でにこやかに語りかけてくれたSさんは、私のことを覚えてくれていた。

“悪いけど、お茶を一杯もらえるかな?”と言われ
久しぶりの再会に嬉しくなって
“粗茶ですが。”と笑って差し出すと

“お、ありがと”
昔と同じセリフ。

ぐっと飲み干すと
“あー、旨かった。”
そして、ニヤっと笑って“粗茶、もう一杯貰えるかな?”

その日以来
“粗茶を一杯もらえるかな?”
がSさんと私の合言葉になった。

普段は本社(福岡)にいたSさんは、東京出張で私と再会する度
会社では私の淹れた濃い目の粗茶を飲み
夜は“粗茶の御礼”で飲みに連れて行ってくれるのが習慣となった。


洒落たお店で美味しい食事とお酒を味わう
とても贅沢で楽しい時間。
親子くらい年齢は離れていたけれど
毎回会話が尽きることのない
和やかで心地よい素敵なデートだった。

仕事でのシビアな顔とはうらはらに
少年のように純粋で、シャイな照れ屋で
優しいフェミニストだったSさん。



悲しい訃報が届いたのは、昨年の11月のことだった。



5年ほど前に倒れて、療養中だと聞いていた。
Sさんからは4年前に
“大病をしました。現在リハビリ中です。”という年賀状が届いたきり。
それからずっと音信不通となっていた。

後遺症のために認知症の症状が出ているということで
お見舞いにも行けずじまいだった。


“ボクはようやく元気になりました。お茶でも飲みに行きましょう。”
愛用のブルーの万年筆で書かれた
懐かしい右上がりの字がきれいに並ぶこんな手紙が来ることを
心から祈っていたのに・・・。


“ボクは短気というより、せっかちなんだよな”

・・・人生までせっかちに急ぐことなかったんですよ、Sさん。


今でも
濃い目のお茶を淹れる度、あの懐かしい声が脳裏に甦ってくる。

“粗茶を一杯貰えるかな?”


これからは、思い出すたび
心の中で淹れてお出ししますから
どうぞ、ゆっくりと味わって下さいね。


“粗茶ですが、どうぞ。”

コメント
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