会津天王寺通信

ジャンルにこだわらず、僧侶として日々感じたことを綴ってみます。

酒井雄哉大阿闍梨様の御遺徳を偲んで  会津天王寺 柴田聖寛(会津人)

2014-01-19 08:17:13 | 信仰

 千日回峰行を二回行った酒井雄哉大阿闍梨様が昨年9月23日に亡くなられましたが、私も謦咳に接した者として、心からご冥福をお祈りいたします。私が酒井大阿闍梨に初めてお目にかかりましたのは、今から30年前のことでした。30を過ぎてはいましたが、私は人生に迷っていました。ある大手の会社に勤めてはいましたが、そこで壁にぶつかっていたからです。東大や慶応を出ていなくては、うだつがあがらないままに終わってしまう。別な人生はないのだろうかと。真剣に悩んでいたのでした。

 私の母の実家が曹洞宗のお寺だったこともあり、そこの坊さんになろうかと思いましたが、養子が後継者になることが決まっていたので、まず勉強から始めることにしました。二本松杉田の天台宗光恩寺の梅津さんの弟子にしてもらい、その紹介で比叡山や大原三千院で修行をしました。トイレ掃除や雑巾がけの毎日でした。今から考えるとよくやったと思います。そして、仏教大学や大谷大学でも学びましたが、最終的には叡山学院の研修生となり、研究科まで進級しました。

 酒井大阿闍梨様は、私の顔を見るなり「君が柴田君か。大原三千院の御門跡から聞いていたが、君も回峰行をやるのか」とおっしゃいました。当時の大原三千院の御門跡は私を小僧ではなく「大僧」と呼んでいられましたから、何かのついでに私のことが話題になったのでしょう。面食らったのは「君も回峰行をやるのか」の一言でした。私にはそんな能力はありませんから「普通のお坊さんで終わりたいです」と返事をするのが精一杯でした。飯室谷の酒井大阿闍梨のもとによく出かけるようになったのは、それからのことです。

 京都に出かけたおりには、できるだけ飯室谷にお伺いすることにしていましたが、ありがたかったのは、平成21年に護摩祈祷をしていただいたことです。6月1日から3日の日程で、私が企画して会津からのバス旅行「伝教大師と会津徳一菩薩の旅」を実施いたしました。一番の目玉であっただけに、参加者も大喜びでした。そのときもまた、酒井大阿闍梨は私に「会津に行かれてもう何年になられましたか」と気軽に声をかけて下さいました。昨年6月にもやはり私が企画して「求法人の旅~伝教大師と会津徳一菩薩」を行ないました。藤波源信阿闍梨様から護摩祈祷をしていただき「7月には退院できそうだ」とお聞きしていたのですが、本当に残念でなりません。

 昨年10月30日に発刊された酒井大阿闍梨様の『この世に命を授かりもうして』の御本を、私は何度も何度も読み返しております。酒井大阿闍梨様は実践の方であり、真の行者であられました。最初にお会いしたあの瞬間から、私の思いは変わりません。新宗教のなかには、とやかく批判する向きもありますが、それは筋違い以外の何物でもありません。嘘を吐かないで飾り気がなく、清廉潔白である酒井大阿闍梨様に知らないからでしょう。遺著となった『この世に命を授かりもうして』の最後の章のインタビューで「閻魔さんのところに論文持っていく日が近づいてるからな、わしはこのありのままの姿を貫いて、一日一日を楽しく笑って過ごしていくよ」と述べていられます。正直を最期まで貫かれたのが酒井大阿闍梨様なのです。

 

合掌九拝 あの世で極楽浄土という幸福の山に登りましょう。


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