私なりに「八正道」について考えてみました。「八正道」は「八聖道」ともいわれ、八種の実践の徳目です。そのうちの「正見」は仏陀の根本思想としての、正しい見解です。それは四諦を知ることであり、そのうちの道諦が「八正道」の実践とされます。「正恩」は仏陀の根本思想に対する正しい熟慮、「正語」は熟慮を口と身体で表すことです。意業としての正恩と口業、身業としての正語、正業とが三業として働けば、正見が成就するのです。これら三業は正見と相互依存の関係にあります。悟りにいたるには、目的と手段が明らかにされる必要があるからです。
それと同時に、私は「有漏」(不純な)と「無漏」(純正な)を重視したいと思います。「八正道」が真に「八聖道」になるためには、邪見ないし、邪定を捨てた「無漏」の聖者の「実践行」であります。
仏陀に帰依した「実践行」によってしか、東北や福島の復興は成し遂げられません。熊本地震でもそれは同じです。しかも、幼子のような「無漏」の信仰心が求められるのではないでしょうか。60、70、80歳になってもそれを行いで示せるかどうかなのです。
あくまでも私の解釈でしかありませんが、今後ともご指導のほどよろしくお願いいたします。
合掌九拝
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