目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

日本奥地紀行

2014-10-21 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

『日本奥地紀行』イザベラ・バード著 高梨健吉訳(平凡社)

あなたは10年前のことを覚えているだろうか。ついこの間だよと言っているのは、私と同じ中高年? 20代の方なら、遠い昔の子ども時代になってしまう。なぜこんな話をするかといえば、この紀行文が、江戸時代が終わってたかだか10年後の明治11年6月から9月にかけて東京から北海道までを旅した記録であるからだ。文明開化の波は、当然ながら地方へはまったくといっていいほど波及していない。江戸は東京になり激変したのだが、地方は、とくに農村は何ら変わることもなく明治11年を迎えていた。

イザベラ・バードは、そんな江戸時代の気分を濃厚に残していた日本の地方を旅した。当時外国人でこんな旅をした人は皆無に近い。日本人のお供を連れているとはいえ、女の身で、しかもたった一人。イザベラ・バードのバイタリティと冒険心には、恐れ入るばかりだ。

さて本の中からいくつか印象深かったところを紹介しよう。まず道路が整備され、文明的に旅ができた最後の地、日光でのエピソード。あの有名な金谷ホテルの原型が登場する。金谷家の当主がイザベラ・バードの宿泊を受け入れるのだ。彼女は金谷氏を一風変わった人物としてとらえていた。立派な教養人なのに、調子っぱずれの音楽(雅楽)に精を出しているのは不可解であると。雅楽をそういうふうに捉えれるのは、おそらくイザベラ・バードだけではなく、西洋人一般に共通するものなのかもしれない。聞いたことのない旋律や音色に対する拒絶反応ということは考えられるだろうね。

日光を越えれば、もう本書のタイトルどおりの日本の奥地、秘境だ。馬車に乗ったにせよ、道が整備されていなければ、進むことはかなわない。でこぼこの荒れた山道では、馬車から下りて、歩くほかない。そうして苦労を重ねて進んだ先に福島の集落があった。そこでは貧農の姿が描かれている。ほんの少しのおかずでガツガツとご飯をたいらげるシーン、半裸で歩いているこどもたちを目撃する。文明開化とはほど遠い世界だ。

しかし町に入れば、ちょっとした旅籠があって、宿泊には不自由しない。ただ厄介ごとが頻発する。旅の恥はかき捨てとばかりにどんちゃん騒ぎする宿泊者の存在。部屋のしきりはふすまだからすべて音は筒抜けだ。彼らは外国人見たさから障子に穴を開け、盗み見もする。寝ると今度は、ノミやシラミが襲来する。平成の今では考えられないことだが、この時代は明治。不衛生なのは当たり前だし、公共心やマナーなどどこ吹く風だ。

そんな田舎の日本人相手にイザベラ・バードのために気を吐いたのが、この本でいちばん多く登場する日本人、旅に同行する通訳兼ガイドの使用人、伊藤だ。かわいそうなことにかなり醜悪な人間として描かれている。当人が知ったら、さぞかし悔しがるだろう書かれ方だ。まあ、実際それに近かったのだろうが、妹へ面白おかしく伝えるために多少脚色したとも想像できる(「日本奥地紀行」は妹への書簡がベースになっている)。イザベラ・バードの彼の評価は、一言でいえば、頭がよくて抜け目ない、ずるがしこい人間といったところか。ただ一緒に旅するうちに彼の英語はどんどん上達してコミュニケーションは円滑になり、仕事もよくこなした。そんな彼にイザベラ・バード自身だいぶ助けられ、信頼を厚くしたのは事実だ。

最後に山好きの皆さんに紹介したいのは、イザベラ・バードは、北海道へも足を踏み入れ、樽前山を訪れていることだ。奇しくもこのとき、樽前は噴火している。活火山としていまだに入山規制がなされているこの山は、この時代に噴火していたのだ。ふと大正池ができた焼岳の噴火をリアルタイムで書いていた英文学者の田部重治を思い出してしまった。

日本奥地紀行 (平凡社ライブラリー)
イザベラ バード
平凡社

 


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