目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

鳥取砂丘縦断

2017-05-20 | まち歩き

2017年5月3日(水) くもり

前日は山の神とともに蒜山を縦走。好天のなか最高の眺望をほしいままに山歩きを満喫した。そして今日。ずっと行きたいと念じていた何もないからっぽの風景、鳥取砂丘へ向かった。朝蒜山高原キャンプ場で5:00頃目を覚まし、早々に朝食を済ませ、7:15にはキャンプ場を後にした。

道を間違って、少し遠回りになったり、道の駅はわいでコーヒーを飲んでモタモタしたりしているうちに、砂丘近辺では渋滞が始まっていた。さすがは大観光地だ。9:00頃に砂丘近辺に到着したのだが、もうメインの駐車場に入ろうとする車列ができていて、ほとんど動かない。ちょっと出遅れたか。こどもの国のほうに車を停めるかと、砂の美術館のところでUターンし、来た道を少し戻り、右折する。すると、市営駐車場の標示があって、直感でそこへ入ることにした。

 
左:鳥取砂丘案内板。赤字で「現在位置」と書かれたところに駐車 右:こどもの国手前にあった無料の市営駐車場

直感は冴えていた。市営駐車場は無料で比較的空いていた。ここにラクラクと駐車して、9:20山の神とともに出発した。最初はだれぞやの歌碑を見て行こうといっていたのだが、遊歩道を歩いているうちにいつの間にか逸れていて、まっいいかとなる。


市営駐車場から4,5分でここに出た。右奥のほうでは、パラに乗ろうという人たちが準備していた

目の前がパッと開けて、鳥取砂丘がどかーんと現れた。感激の瞬間だ。前方に人が歩いているのが点々と見える。砂地に入っていくと、砂の粒子は細かくて、気をつけていても靴の中に容赦なく入ってくる。その割に意外だったのは、場所によっては、かなりしっかりと踏みしめられるほどの硬さをもっていたことだ。ふつうの砂とは明らかに違うような気がした。表面を何かの鉱物なのか、黒い粒子もあった。


砂丘の中にはまばらに草が生えているところも

パラをやろうとしているグループの脇を抜けた高みからは、最初に行こうとしていた砂丘会館の方が見渡せた。芥子粒ほどの人がありんこのように見える。山の神とは最初からそこまで歩くつもりだったのだが、かなり距離がありそうだ。


足跡のないきれいな風紋の連続に感激

こどもの国側は人が少なく、足跡のないきれいな風紋を見ることができた。大自然がつくったアートに感激だ。しかし、人の多いオアシス側に近づくにつれ、風紋どころではなくなる。


観光客だらけの第2砂丘列の端。大人も童心に帰ってひたすら砂山のてっぺんを目指す

山の神と巨大な第2砂丘列(冒頭案内板写真参照。海岸から二つ目の列)の端っこに到達すると、そこはもう観光客だらけだった。丘の上から登ってくる彼らを見下ろしていると、現世の民が地獄から天国(こちら)へ這い登ってくる錯覚に陥る。こちら側がもちろん天国。そのうちオアシスが三途(さんず)の川に見えてくるから不思議だ。丘に上がるために裸足になって四つんばいで登ってくるから余計そう思えたのかもしれない。


砂丘会館方面から人の群れが近づいてくる。手前はオアシス

山の神と丘を下り、人の群れを避けながら砂丘会館へと向かう。車道に出ると、皆一様に靴をひっくり返しては、パンパンとはたいて砂を払い落としていた。山の神と私も真似をするも、粒子状の砂は、そう簡単にはきれいに取り除けなかった。いまだにそのときの靴の中に潜んでいそうだ。

その後、山の神のリクエストで砂の美術館に向かい、アメリカンな砂で造られた作品を見て(つまらなかったので割愛)、駐車場に向かう。途中カンカン照りのなか、家族連れに鳥取砂丘はどこですか?と聞かれ、卒倒しそうになる。砂丘のすぐ横っちょを歩いているというのに、それは何だと思ったが、質問は、皆が入場していく場所という意味だったようだ。それにしてお子さんを連れていては、市営駐車場からは長くてちょっと大変だよなと思った。私と山の神も、永遠の時間を過ごしているような気分で、もう着いていいよといいながら歩いていた。市営駐車場には、やっとのこと11:30頃到着した。

植村直己冒険館につづく


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