目指せ! 標高1122メートル

山の神にお供して歩きつづける、ある山のぼら~の記録。ネイチャー、冒険の本もとりあげるよ。

梅棹先生の遺作『山をたのしむ』

2011-10-25 | 山・ネイチャー・冒険・探検の本

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他愛のない回想録なのだが、梅棹先生の人柄がにじみ出ている最後の著作。拾い読みしながら、山をたのしむ、先生の言動(大言壮語?)をたのしむといった装いの本だ。

目が不自由になってからは、目だった活動は記憶にないけれども、この本で講演活動をしていたことがわかる。聞き手役が梅棹先生に質問をしていくことで、先生の引き出しを開けていく手法だ。残念なのは、講演を重ねるにつれ、重複が頻々と現れることだ。少年時代の回想をすれば、同じエピソード、同じ内容になるのは自明のことなのだが、この本ではそれをそのまま収録している。ある面、それは避けようがないから目をつぶらざるをえないのだろうか。ほかにも編集者の依頼で、追悼文やら、友人・知人への著作集への前書きを執筆しているのだが、これもまた内容が重複してしまう。これは玉に瑕か。

梅棹先生は、少年時代は京都北山を歩き、長じて北アルプス、南アルプス、そしてヒンズークシ(アフガニスタン)、そして、いつのまにやら垂直志向から水平志向へと変わり、モンゴルやアフリカへと旅立つ。常にフロンティア精神をもち、誰も手をつけていない、足を踏み入れていない、未開の地へ、未開の領域へ、触手をのばしていく。おそるべき行動力だ。

先生が若かりし頃は、よき旧制高校の伝統が生きており、読んでいて感じる自由な雰囲気とおおらかさは、この頃の時代を映している。階層社会の上にでんと腰を落ち着けて、豪放磊落さを発揮しつつも、知性を磨いたようだ。山にのめりこんで2回も落第するなど(その前に2回も飛級しているのでプラマイゼロ)、めちゃくちゃをしているようだが、じつはいっぽうでは大変な努力をして一所懸命な生き方をしている。具体的には本を読んでもらうことにして、先生らしいエピソードをひとつ。

戦前の最後のAACK(京都大学学士山岳会)の会員であった先生は、戦後再開されたAACKとの架け橋役になっていた。後輩がいのいちばんに持ってきた戦後初計画はマッキンリー登山だった。先生は端(はな)から軽蔑し、一喝した。もうだれぞが登った山に行ってどうする。ヒマラヤの未踏峰に行かんでどうすると。フロンティア精神、いちばん志向、これぞ、ニホンの鑑。

この本には探検話や交友録も出てくるが、京都の知の巨人、故今西錦司氏も当然ながら登場する。今西氏はもっとすごかった。ヒマラヤの著名な未踏峰はこの当時10座くらいあって、イギリスやドイツなどがすでにもう制覇しそうな山が8座。日本が目指すべきは、残りの2座といわれていた。そのなかで、登頂のための資料があるような、とっかかりのある山はつまらんから、何もわからんマナスルをターゲットにせえといったとか。

ほかにも京大人脈の面白い話がいくつも収録されている。最近キムタクの南極ドラマが放映されているが、南極越冬隊の隊長、故西堀栄三郎氏も登場してくる。雑誌感覚で、エピソードを拾い読みするにはうってつけの楽しい本だ。

ヤマケイ文庫 山をたのしむ
クリエーター情報なし
山と渓谷社

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