『北岳山小屋物語』
読み始めてすぐに学生時代に住み込みアルバイトをしていた白骨温泉の旅館を思い出していた。いわゆるリゾートバイトのはしりだったけれども、人によってはああいう生活は耐えられないだろうなあと。なにせ日がな一日ごろごろ、もとい働きつづけなければならない。
客が帰って布団を片付けて掃除、昼ごはんを食べて、ちょっと休みは取れるけれども、午後にはアーリーチェックインする客が出てくる。繁忙期はひっきりなしにお客さんが到着し部屋へご案内する。あっという間に夕食タイムになり、配膳が始まり、食堂組には布団を敷き、やがてお膳を下げて洗いものなどをやっているうちに夜は更け、温泉に浸かってああ疲れたと布団に潜り込むと、すぐに寝落ちだ。また翌朝目覚めると、早朝の廊下掃きが待っている。
山小屋も旅館もやることは似ている。ただ山小屋のほうがむき出しの自然の厳しさと相対さねばならないし、基本すべてをやらなければならないからきつそうだ。標高が高い分、気温は低く、大概は遮るものもなく吹きさらしで、電気も水も自分たちで調達しなければならない。
『北岳山小屋物語』は、そんな厳しい山小屋の生活を著者の樋口明雄氏が取材して書いたものだ。北岳周辺の5つの小屋、白根御池小屋 、広河原山荘、北岳山荘、北岳肩の小屋、両俣小屋をとり上げている。
冒頭のほうに出てくる、まだ雪が残る時期からの小屋明け作業の大変さは、実感がこもっている。とくに雪かきや水の確保は想像を絶する体力を使いそうだ。腰痛もちになってしまった今のわたしには到底無理な作業で頭が下がる。
山小屋での事故の話も出てくる。これからもありそうで怖かったのがこれだ。小屋の前で新調したばかりの一眼レフを構え、仲間全員の集合写真を撮ろうと少しずつバックしシャッターを切ったはいいが、そのまま転落した。買ったばかりのカメラを守るために頭から落ちて7針を縫う裂傷を負った。頭だけに脳内出血など起こしていたら、大変な事態に陥っていたが、まだ裂傷だけで済んだのは不幸中の幸いだった。
小屋での迷惑行為も紹介していた。小屋の予備のトイレットペーパーを失敬してもっていきテント場でそれを使用している、酒を飲んでの大騒ぎが終わると今度はトイレを吐瀉物で詰まらせて逃げる、トイレの使用料が入った容器を破壊して現金を盗んでいく、まったくひどいものだ。下界と同様、山の中にも悪党はいるものだ。
注意を促していたのは、テント泊者でトイレに行った帰りに自分のテントの位置がわからなくなること。まだそれはましなほうで、テント場に行きつけずに一晩外でビバークした人もいるというから気を付けるに越したことはない。方向音痴の人は、明るいうちに位置関係を頭に叩き込んでおく必要がありそうだ。
最後の両俣小屋の台風災害、避難エピソードはとくに印象に残った。沢に近いということは、大雨で浸水するリスクを抱えているということであり、常にそうした災害に対して、準備をしておかなければならないということだろう。ちなみにこのときは、管理人さんが宿泊者を小屋から連れ出して、全員高台に避難したということだ。またこの小屋では幽霊話が多くあるそうで、そのうちのいくつかが披露されていた。沢と幽霊は親和性があるということか。