幼少(?)の砌(みぎり)にフィリピン・ルバング島のジャングルから小野田寛郎さんが生還というニュースをテレビで見た。戦争が終わって、30年もまだ日本兵のままでいたという驚くべき事実に日本中が驚いた。その小野田さんを探しにルバング島へ赴いたのが、この本の著者である鈴木紀夫。すでに故人である。
鈴木の存在を知ったのは、つい最近のことだ。『雪男は向こうからやってきた』という本に、鈴木がヒマラヤ山中で雪男を探していて、雪崩に遭って亡くなったこと、そしてこの『大放浪』という本をものしていたことが書かれていた。こんな人がいたのか、へえと妙に感心したのだ。
この本は、2部構成になっている。第1部は、大学を中退して、横浜から船に乗り世界放浪の旅に出る。3年9ヵ月間にも及ぶまさしく「大放浪」で、体験したハチャメチャな話のオンパレードだ。第2部はその1年後、小野田さんを探しにフィリピンに旅立つ話。小野田さん探しは面白いが、私はそれよりも第1部の世界放浪に注目したい。
私が20歳そこそこだった時代(80年代後半)は、放浪といえば、安宿に泊まって、世界の若者同士、袖ふり合うも他生の縁的な因縁を感じつつ助け合いながら、なるべくチープに長い期間、旅費が尽きるまで(蕩尽するまで)旅する、そんなものをイメージする。その頃の放浪のバイブルは、沢木耕太郎の『深夜特急』や藤原新也の『印度放浪』だった。でも、この本に書かれている「放浪」のスタイルは、かなり異なっている。
「大放浪」は、1969年3月にスタートしているのだが、驚くべきことに横浜から船で日本を発っている。時代を感じさせる、まさに船出なのだ。そしてさらに驚くべきは、金をさほど持っていかなかったことだ。もともと持っていなかったということもあるが、常識的な感覚の持ち主であれば、旅立たない。
金がないから、野宿やヒッチハイクは当たり前で、危険な目にしばしば遭遇する。ヒッチではホモのトラック運転手に出会うし、野宿していると強盗の類に遭遇する。金がまったくなくなると、旅で知り合った仲間にたかったり、血を売って金をつくったり、肉体労働でかせぐ。いやはやたくましく、涙ぐましい行動に感服、恐れ入る。
インドでは日本寺で断食修行をしたり、ひょんなことからピストルを所持することになったり、雪山に分け入り国境を不法に越えようとしたり、イスラエル滞在中には日本赤軍のテロに遭遇したり、アフリカで部族間の抗争を目の当たりにしたり、ハシッシをやってとんだ失敗をしたりと、次々にわれわれの日常を超越した事件やイベントが起こる。
平成の世にも、こんな稀少な体験をしている人は存在しているのだろうか。
参考 雪男は向こうからやってきたhttp://blog.goo.ne.jp/aim1122/d/20120303
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大放浪―小野田少尉発見の旅 (朝日文庫) |
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