今年最大の台風19号が各地に大被害を与えながら、九州地方、四国、本州へ、関東甲信越を巻き込み、後半は足早に、東北方面へ向けて行った。こんな大規模な台風も珍しい。今朝は台風一過象徴、真っ青な空。拍子抜けする程・・・。風が強いのだけが名残り・・・・
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深川不動尊を背に階段を下り左手に、富岡八幡宮が見える。折角来たのだから、はしごしちゃいましょう。新年になると元会社では、社長はじめ全員でお参りに行くのが慣習になっていた。私一度位行きたかったけれど、誰かが留守番そしなければならなかったので、仕方が無い。新年は電話等も少ないからまいっか、と言うわけで一度もお参りした事が無かった。
既に七五三の三歳のお祝いの女の子など来ていて可愛かった。余り混雑しては負担になるので早目のお参りらしい。境内が華やかで良いわね。

正面 左サイド




伊能忠敬翁
江戸時代後期の測量家・伊能忠敬翁の銅像が境内大鳥居横に建立された。測量開始から200年を迎え、50歳を過ぎてから天文学・測量術を学んだ忠敬翁が注目を集めていますが、翁は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられました。
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「富岡八幡宮」
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
江戸時代には、殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。


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深川不動尊を背に階段を下り左手に、富岡八幡宮が見える。折角来たのだから、はしごしちゃいましょう。新年になると元会社では、社長はじめ全員でお参りに行くのが慣習になっていた。私一度位行きたかったけれど、誰かが留守番そしなければならなかったので、仕方が無い。新年は電話等も少ないからまいっか、と言うわけで一度もお参りした事が無かった。
既に七五三の三歳のお祝いの女の子など来ていて可愛かった。余り混雑しては負担になるので早目のお参りらしい。境内が華やかで良いわね。


正面 左サイド








伊能忠敬翁

江戸時代後期の測量家・伊能忠敬翁の銅像が境内大鳥居横に建立された。測量開始から200年を迎え、50歳を過ぎてから天文学・測量術を学んだ忠敬翁が注目を集めていますが、翁は深川黒江町(現・門前仲町1丁目)に住み、測量旅行出発にあたっては必ず当宮を参拝していたことから縁りの地であるこの八幡宮に銅像が建てられました。
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「富岡八幡宮」
富岡八幡宮は寛永4年(1627年)、当時永代島と呼ばれていた現在地に御神託により創建されました。周辺の砂州一帯を埋め立て、社地と氏子の居住地を開き、総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。世に「深川の八幡様」と親しまれ、今も昔も変わらぬ信仰を集める「江戸最大の八幡様」です。
江戸時代には、殊の外尊崇した徳川将軍家の手厚い保護を受け、明治維新に際しては朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、勅使を遣わされ幣帛を賜り、新しい御代の弥栄を祈念されました。