著者 高城禎子(タキヨシコ)「リビングを船に乗せて」車椅子で世界一周クルーズへ 燦葉出版社(サンヨウ)
何度かランチの船友としてブログにもご登場頂いた高城さんの本が発行され昨夕大急ぎで
駅上の本屋さんに引取りに行った。
いつもモナリザのように微笑み船内でも挨拶を交わしていたのでまさかこんな壮絶な
船旅だったとは…愕然とした。
出港して僅か3時間後ご主人は脳梗塞の後遺症が有ったとは言え、揺れる船のお手洗いで
崩れてしまったのだ。
高城さんの発想は日頃余り外を楽しめないご主人を思いやり「そうだ船なら居ながらにして
旅が出来回り灯篭の様に景色が変わるじゃないの」から始まった。
普通ならステッキをつきレストランの食事をを楽しんだり、寄港地でもシャトルバスに乗り
ゆっくりと街中を楽しめるはずだったのだ。
まさかのまさか・・・・で予定が殆ど崩れる旅に。
ご主人も外の景色さえも楽しめない苦痛なんて言えない酷い痛みに地獄の100日間を送る事
になるなんて。
100日間の殆どを実際は腰の骨折の為悲鳴を上げているご主人の介護の日々。苦悩の日々・・・
洗濯のロープが自殺へ招く錯覚を見たと言うから表現しようの無い苦悩の日々だったのだ。
船の中では「神戸港で下ろされる事が一番恐怖だったわ」と笑顔で仰っていた。
能天気な私は「いや~良かったね―」なんて喜んだりして。
マーケットが有るとおむつを探したが薬局にもスーパーにも置いて無かった。
ふんだんにおむつを使えたら彼女の苦痛も軽減できたのに…
本の中でニューヨークで漸く買えたと書いてあった。
それでも下(シモ)の失敗は途切れることなく続く。
狭い船室でどんなにか辛い毎日だった事か。私は楽しいばかりのブログを書いていた時
高城さんは想像を絶する介護の辛さを味わっていたのだ。
彼女と私は表裏の旅を送っていた。夕べ頁を追うごとに涙が流れて切なかった。
針の穴ほどの幸せを感じながら献身的な介護を続けていたのだ。
ご主人に「私って鬼嫁ね」「いや愛嫁だよ」というくだりがある。ご主人は誰よりも辛く
痛みとの葛藤の中狭い部屋の中だけの生活・・・心底奥様に感謝されていたのかと思う。
下船の10日前以前から会いたかった方との出会いが有るが、実は私も手相を見て頂いた。
その方は30歳を過ぎて突然全盲になった男性。
それでもいつも明るく大きな声で会話をされる。
死の淵まで行ったが会社を興し成功されたと。
その男性(50歳位)は不思議と手の感触だけでその人の人生や体調が見えるのだ。
ご夫婦で乗船されていたが楽しくて仕方がない風に振舞っていた。
あがき苦しむ高城さんに「人生はこんなもんだと思いなさい」と諭したと言う。
すがる様な思いでその方にお会いしたかったのだろう。
奮闘記は100日間続き下船後の現在は入院され穏やかな?生活に戻っている様だ。
ご主人は有名なC書房の編集者としての敏腕はつとに有名だった方。
その方に辛かった死にたい程の記録を差し出し読んで頂いたと。
出版する事にも「いいんじゃないの?」と快諾されたとか。
一番人に見せたくない、知られたくない生活。
それは本当に奥様への感謝の気持ちの全てだったと思う。