はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

<font size="-3">「『考え方』が動きだす-佐藤雅彦研究室のアニメーション・スタディ-」

2005-01-04 03:00:30 | 佐藤雅彦
過日ご紹介していたNHK教育で放映の番組「『考え方』が動きだす-佐藤雅彦研究室のアニメーション・スタディ-」を見ました。
映像、ナレーションの言葉遣い、構成、どれをとっても全体的に佐藤氏の監修がゆきとどいているとおぼしき、非常にわかりやすい内容でした。
冒頭から心の師匠の御登場。思わず、テレビの正面で正座しながら観てしまいました。
そのオープニングから既にドキドキ。非常にエキサイティングです。結局最後まで動悸が止まりませんでした。


なかでも、しょっぱな、「Aの4分木」で大きな正方形が四分割された瞬間に泣きそうになりました。ツリーの意味が「わかった」瞬間、衝撃的なほど感動してしまったからです。まさに「概念の視覚化」。ツリー構造の持つ情報が位置情報として可視化されてゆく映像はたとえようもなく美しく感じられました。
数々の著作やインタビュー記事で佐藤氏の提示する概念の多くを把握してはいましたが、その概念を実際の映像として示されてみると、まったく思いもよらない感動が新たに生まれます。


私にとっていちばん衝撃的だったアニメーションは「信号」です。
プログラムの可視化という命題を表わしたこの作品は、向こう側からやってくる色の列として信号を表現したものです。言葉で説明するのは難しいのですが、いちおう形容してみます。写実映像と重なって信号のむこうにそれぞれ3色の帯が断続的に伸びており、その帯が信号へむかって流れてきます。青の次に黄、その次は赤、その次はふたたび青です。青と赤は長く、黄色は短い帯。それぞれの色が信号に到達したとき、信号はその色になります。つまり、信号の点灯時間を色の帯の長さで表わし、これから起こること=プログラムとして実写映像に重ねてみせたのがこの「信号」というアニメーション作品なのです。
信号が、決まった時間だけ決まった色に点灯する。その予定はあらかじめ決まっている。---よく考えればあたりまえのこと、なのですが、それを映像として示されると、まるで未来を見せられているような不思議な感覚を惹起されます。向こうから未来が迫ってくる・・・そのような気分になりました。なんとも不思議で感動的な力をもった映像に感じられました。
もうひとつ、衝撃だったのは「こうま算」というアニメーション作品。これにはただただ惚れ込みました(笑)。
四則演算、つまり+-×の計算を小木馬(数字)と出走扉(+)、落とし穴(-)、分岐(×)で表わした作品です。黒板上に数式が書かれ、「=」でストップします。続けて各項に対応するオブジェクトが配置され、計算スタート。扉がひらいて木馬が飛び出します。数式と並走するこうま算。あらたに扉から出走する小馬(+)、穴に落ちていなくなる小馬(-)。最終的に「=」に到達した小馬の数が数式の答として最後に書き加えられます。
「ルール」としての演算があって、一方で「トーン」の手法もふんだんに活かされていたためでしょうか、数学的であると同時に非常にドラマチックな要素を内包しており、そのまま傑作アート作品として充分に通用するのではないかとさえ思えました。もっと複雑な計算もぜひ見てみたい、そんな気分になりました。
「ロゴ・プロッター」の美しさにも惚れました。「計算通り」も、「functional arm」も大好きです。他にも、ここでは語り尽くせないほど好きな作品がたくさんありました。


脳科学でいうところのtaskを利用したアニメーションにもたいへん興味を覚えました。
ランダムに動く群点の中から、鑑賞者が意味ある図形を能動的に抽出することによって成立するアニメーション作品。人間がどのようにして「animation---動くもの」を認識しているかを知るための有効なツールになる可能性は高いでしょう。佐藤氏の提示した仮説は非常にエキサイティングです。
よく考えれば、世界という混沌から有意な事象を恣意的に切り取っているのが人間です。ノイズに満ち、情報の多すぎる世界から必要な情報だけを抽出することは生物にとって必要不可欠の能力だったのではないでしょうか。結果的に効率的な情報抽出能力が特化されていったのだと考えれば、今回示されたデータも納得のゆくものといえるのかもしれません。認識論と人間の知覚、人がどうやってものごとを知るのか---佐藤氏には佐藤氏ならではのやり方でこの根源的なテーマをぜひもっと追求していただきたい、そう強く思いました。


「広告批評」2003年7/8月合併号特集の対談で「どんな形になるかはわからないけれど、数理概念を表現した時にうまれる『表現』を追求してゆきたい」「『わかること』をわかることに興味がある。人がどうやったら『わかる』のかを知りたい」そういった主旨のことを述べられていた佐藤氏が、その言葉を着実に「かたち」にしていることがわかり、ここにも静かな感動を覚えました。
番組中で紹介されていた、研究室学生さんたち作のアニメーションはどれも素晴らしいものばかりでした。時を忘れてずっと見ていたくなるほどです。同時に、これらのアニメーション作品のエッセンスが同研究室監修の「ピタゴラスイッチ」に見事に活かされていることもわかり、感慨ひとしおでした。
研究室がこうして社会とつながってゆく、分類し難いだけに発表も難しいであろう分野の研究成果がきちんと世に出ている、そこのところに佐藤氏の偉大さを痛感しました。
きっとこの先、佐藤氏は新しい学問分野を構築・体系化するのではないか、私はひそかにそう確信しています。


※後日、この番組を簡潔に紹介したblog記事にゆきあたりました。
tsuru-turuさんの「Seed Design」より NHK「"考え方"が動き出す 佐藤雅彦研究室が生む新しいアニメーション」→こちら  です。
情報デザインという言葉を教わり、目からウロコ。
これで佐藤雅彦氏を説明しやすくなりそうです(笑)。