はざまの庵

分類し難い存在を愛でる覚え書き by aiwendil お気軽にコメントをどうぞ。

<font size="-3">東京遠征+α 6/11。</font>

2006-06-11 23:58:10 | アートなど
今日、6月11日は、昨日に引き続き展覧会をひとつと、上映プログラムをふたつ見て参りました。
まず、東京三の丸尚蔵館で開催中の「花鳥-愛でる心、彩る技 <若冲を中心に>」第3期展示。
そして、ふたたびせんだいメディアテークの「イメージの庭vol.3」。

まずは若冲。
中国の花鳥画とともに、若冲の代表作「動植綵絵」30幅のうちの6幅が展示されていました。
若冲は以前から好きでしたが、実物を見たのは実は今回が始めて。
正直、印刷物と実物がこれほど違って見えるとは思ってもみませんでした。
いやあ、とんでもない。
若冲、とんでもない画家です。
過剰なまでのディティールと同居するデフォルメーション。
観察眼と技術。
写実や様式といった技術的キーワードだけでは語れない、何か突き抜けたものを感じます。
絵と対峙していてちょっと空恐ろしくなるような、とでも申しましょうか。
圧巻です。
いっぽうで、動物をこれほどまでに見事に描いている画家を私は知りません。
脚で頭を掻く雌鶏の一瞬の表情をとらえた描写にはぞくっときました。
わざわざあんなモチーフを選んで、しかも的確に描き出すなんて並大抵のことではないと思うのです。
生物学者の目を持ち合わせていたのじゃないかと想像されます。
つくづく第1期と第2期を見逃したのが悔やまれます。
若冲好きや美術好きならば、とにもかくにも、あれはもう、一度実物を見ておくべきだと思われます。
おすすめです。
(展示会詳細は→こちら

さて、今日は東京を早めに切り上げ仙台へ。
せんだいメディアテークで開催中の「イメージの庭vol.3」のショートフィルム上映プログラムのうち、先日見られなかったプログラム「R」とプログラム「B」を見るためです。
(途中休筆。のちほど書き足します。)




<font size="-3">東京遠征6/10。</font>

2006-06-11 09:53:47 | アートなど
昨日6/10は東京で展覧会を5つとシンポジウムひとつ、そして芝居を一本見て参りました。

まずは、銀座INAXギャラリ-1で開催中の「小さな骨の動物園」展
魚類から両生類、は虫類、鳥類、ほ乳類まで、様々な動物たちの骨格標本を展示したアートとサイエンスの中間のような展示会です。さほど広くないスペースに骨たちがところ狭しと並ぶさまは壮観。対象も身近なものから珍しいものまで、実にさまざま。たくさんの『へぇ~』が満載でした。
特に印象深かったのは海鳥の骨格。飛翔時に負荷がかかるからでしょうか、胸骨と烏口骨が癒合しているのです。家禽との違いに驚きました。
驚いたといえば、アリクイの頭蓋。眼窩孔がありえないほど浅い! 眼球の小ささが想像されて興味深かったです。
気になったのは魚類の骨。どうしても魚の干物を連想してしまって思わず『おいしそう・・・』と(笑)。
会場では家庭でもできる骨格標本の作り方ビデオなども流れていたのですが、時間の都合で見られず。残念。

つぎに、同じく銀座INAXギャラリー2で開催中の「塩保朋子展」も見てみました。
巨大なトレーシングペーパーを切り抜いて作ったレースのような作品です。
とにかく繊細で美しい。
まず、入り口から見て『わあ、すごい!』。
裏に回って『・・・・・!!!』。
光と影の織りなす模様に言葉を失いました。
まったく予期せずに見たので本気で感動してしまいました。
これだけでも一見の価値ありかと。
少しでも興味をもたれた方はとにかく実物を見てみることをおすすめします。

続けて、銀座のギャラリー小柳で開催中の「オラファー・エリアソン展」
原美術館での感動が記憶に新しいエリアソンの、作品販売を兼ねた展示会です。
小品10作品ほどが展示されていました。
鏡と照明を利用した万華鏡のような作品が多く、原美術館での展示とは趣を異にしていますが、なかなかに素晴らしい内容でした。
印象的だったのは、カメラオブスキュラと万華鏡の原理を応用した作品。無限に続く窓の外の風景にクラクラ。
竹籠の中に偏光アクリル板と光が灯る作品も、夜空を覗き込んでいるようで好きでした。
エリアソンの作品を見ていると、無限や極限といった概念に思いを馳せてしまいます。
人類ではじめて無限という概念を発見したのはいったいどういう人間だったのでしょう?
きっととてつもなく興奮したんじゃないかと思えてなりません。

次に、六本木のAXISギャラリーで開催中の「スーパー・ノーマル展」
プロダクトデザイナーとして名の知られている深澤直人氏がディレクションした展示会です。
日常に溶け込んでいてデザインとしての存在感を意識させないような「ものすごくふつう」なモノたちに光を当て、その中にこそデザインの重要な本質が潜んでいるのではないかと提起する意欲的な催しです。
ゴミ箱からいわゆる『便所サンダル』、文房具にレジかご、食器、などなど。おおよそ200点近くのモノが美しく配置された会場は不思議な楽しさを醸し出していたように感じます。自己主張のなさが機能美と結合し、別の意味での個性を生んでいるような商品たちがずらりと並ぶさまはちょっと他に類を見ない光景でした。
展示品にはそれぞれ番号が振られていて、展示一覧パンフレットと照合しながら見ることができます。しかし、展示物たちがあまりに『ふつう』すぎて思わず見逃してしまったりすること多々(笑)。たしかに『ふつう』の力が存在することを実感させられました。展示物が工業製品なので会場内は撮影フリーなのも嬉しいところ。
感得することの大きい展示会だったと思います。

さて、次は、この6日にリニューアルオープンを果たした、新宿初台のインターコミュニケーションセンター(ICC)
入場無料の常設展は予想以上のボリューム。後述のシンポジウムを聞いたせいで時間がなくなり、ほんの一部しか見ることができませんでした。ぜひリベンジを果たしたいです。
とりあえず印象に残っているのは3つ。
まず、エントランスの壁に設置されたリアルタイム画像配信装置。
見た瞬間に『えっ?』と思いました。なぜなら、見慣れた光景が映し出されていたからです。
映っていたのはせんだいメディアテークのエントランス。
東京のICCと仙台のメディアテーク双方にカメラとモニタが設置され、常時映像でつながっているような案配です。
もしもカメラの向こうに知り合いがいたらこれを利用して直接コミュニケートできそうな勢いです。
接続先が身近なメディアテークだったというところで私にとっては面白さ倍増。
誰かと東京←→仙台でリアルタイムじゃんけんしてみたいです(笑)。
また、岩井俊雄氏の「Anather time, Another space」があって思わぬ再会に驚喜。
プログラムが自動制御なので自分で法則を選べませんが、それでも十分面白い。しばらくいろいろ遊んでしまいました。面白いもの好きには文句なしにおすすめの作品です。
さらに、会場中程にあった正方形の床面。これが地味ながら非常に面白い。
いっけんただの床なのですが、人が踏み込むと、常に1人づつに均等な陣地が行き渡るような線がぱっと投影されるのです。いわば、ボロノイ図の体験装置。これは人が多いほど、そして人が動き回るほど面白い作品。大勢の子供たちを引き連れて体験してみたいなあと夢想してしまいました(笑)。

さて、このICCではリニューアルを記念したオープニングイベントとして4回の公開シンポジウムが予定されています。
シンポジウム第1回目がちょうどこの日の15時からでした。(概要は→こちら
見れば、浅田彰、宮台真司、斉藤環、藤幡正樹、というそうそうたるメンバー。
せっかくなので拝聴してきました。
技術の進歩に伴い、コミュニケーションの形態も激変してしまったが、そんな現代の中でコミュニケートを扱ったアートというのはどのようなものになってゆくと考えられるか、というお題を軸に、それぞれが短いプレゼンを行い、それについて各氏がそれぞれの立場から議論を交わしてらっしゃいました。
4者とも文章はよく目にしますが、実際に話す姿を拝見するのは初めて。浅田氏と宮台氏はとても攻撃的な、いかにも思想畑の文化人といった印象を受けました。いっぽうで、斉藤環氏は臨床家だけあって、地に足のついた説得力のある意見が多いように感じました。藤幡正樹氏はもの柔らかな内に高い理想を秘めているような、理知的な芸術家といった印象。佐藤雅彦氏の親友というのが頷けるような空気を持ってらっしゃる(笑)ように思えました。
司会進行役は浅田彰氏。
宮台氏が先導する形で話題はかなりディープな内容。世界と日本が陥っている状況と、それを打破することの困難さを述べる宮台氏。good feeling societyの罠と『再帰性』という言葉がキーになっていたように思います。
斉藤環氏は精神科医の臨床家としての視点から、情報技術のありようが変わっても、よく言われているほどに若者の心のありようは大きく変わってはいない、と力説。その上で、『おたく』という症状を生きることは、現代において再帰性を回避するひとつの大きな可能性を担っているのではないかと提言なさっていました。
藤幡正樹氏は、アートというものの捉え方がそもそも日本において不完全である現状に言及。アートが『芸術』と訳された時点で「習い事」としての意味が付与され、『うまくつくる』のが芸術であるという観念の呪縛から抜け出せなくなっている、と、表面的な奇麗さだけが注目され、その奥にある表現内容までが理解されないことが多い、と危惧なさっていました。
芸術家は白痴、道化であり、社会に新たな視点を付与するのが本来の役割だとも。
途中、斉藤氏の『おたく』潜在的価値論や藤幡氏の立ち位置に対して宮台氏が鋭くかみついたりして論議は紆余曲折。
私は次の予定があったので時間切れ。最後まで聞くことができませんでしたが、藤幡氏がどんな落としどころに話を持っていったのかとても気になっています。
話を聞いていて終始感じたのが、斉藤氏や藤幡氏と宮台氏や浅田氏とのギャップです。
浅田氏や宮台氏が抽象論をもとになにかと批判を繰り返していたのに対し、斉藤氏や藤幡氏は具体例から推論を経て提言へと進める話運び。斉藤氏と藤幡氏には科学系の実践者としての視点を感じました。
私自身が理系実学科学の徒であるせいか、斉藤氏と藤幡氏の話には親和性を覚えましたが、浅田氏と宮台氏の話にはどこか釈然としないものを感じました。
難しいものです。

最後は、下北沢の本多劇場で上演中のKKP#5「TAKE OFF」19時公演。
劇場中ほどのど真ん中から見る「TAKE OFF」に大満足。
覚え書きはまた後日。

他にも終演後には思わぬ語らいがあったりと非常に充実した一日でした。
そしてよく考えてみると、今日回った催しは芝居以外すべて無料。
う~ん、おそるべし、東京。