赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

1.SDGs が「蒸気ローラー」のように世界を破壊する ――政治に食い込む環境問題の欺瞞③

2023-12-03 00:00:00 | 政治見解



1.SDGs が「蒸気ローラー」のように世界を破壊する
――政治に食い込む環境問題の欺瞞③
:231203情報


ここ数年で耳にすることが増えたSDGsという 言葉。企業が取り組みをアピールするなど、いか にも"理想的な社会を作るための活動”という感がありますが、そこには「裏」があることをご存知でしょうか。「SDGsの本質とは何か?」ということについて政策コンサルタントの室伏謙ー氏の解説を、許可を得て、引用いたします。



はじめに

SDGs という言葉を聞いたことがあるだろうか?  否、聞いたことがない人はいるだろうか?  SDGs (Sustainable Development Goals ) 日本語では持続可能な開発目標とされているが、これについては、大人から子供まで、今や知らない人はい ないくらいの状況になっていると言っていいだろう。

多くの企業もSDGs のシンボル マーク、ロゴを誇らしげに使って、自らの関連する取組を宣伝している。

かつてはCSRと呼ばれたものが、今やSDGsにとって代わっているようなものだ。特に若者は、追い立てられるかのように、SDGs において掲げられた目標の達成を声高に求める活動をしたり、その手の主張をしたりしている。

スウェーデンの活動家の少女の影響が強いのか、 特に地球温暖化防止を中心とした環 境問題に彼ら彼女らの関心は集まっているようだ。

そもそもなぜSDGs なる概念が 登場したのか、その本質は何なのか等について、冷静に検証されることなく概念や言葉だけが突っ走っているというのが、特に我が国における現状であると言っていいだろう。そこで、SDGs について再考するとともに、その真意、正体について考察を加えてみたいと思う。


SDGsとは何か

そもそもSDGs とは何かと聞かれた時に、単にSustainable Development Goalsとか持続可能な開発 目標と答えるだけでは、それは単なる同語反復であって答えになっていない。

その語源から紐解いていけば、sustainableのsustainの語源はラテ ン語の持ち上げる等の意味のsusti-nere。英語としても単に持続するというのではなく持続するようにするという意味であり、sustainable は持続させるようにすることが可能ということで、多分に能動的な意味が 含まれていると言える。

Developの語源は17世紀のフランス語のdevelopperであり、元々は 古フランス語で包むことを意味する voloperの反対語。要するに包みを開けるということであるから、新し開くという意味で開発という日本語を当てはめるのは妥当なように思 われるが、一方で英語としては成長という意味で説明されることの方が多いようである。

したがって、成長を持続可能なものとするための目標とした方が、より正確にその意味や意図を反映していると言えるのではないか。

一方で、持続可能にするのには、 そして何をもって持続可能であるとするのかには、特定の意図が働く。

この辺りに疑問を持つことに、SDGs なるものの本質、正体があるように思われる。そのことは、当然のことながら、持続可能な開発目標という、よく考えてみると言語明瞭意味不可解に置き換えられた日本語表現からは読み取れない。


「持続可能な開発」の前身

そのSDGs 、17の目標と169 のタ—ゲツトから成る。その中身を見る前に、まずはこのSDGs に至 る歴史的経緯を概観してみたい。

SDGs に冠された「持続可能な 開発」Sustainable Development という概念自体は以前から存在しており、最初に登場したのは1987年に、国連の環境と開発委員会(World Commission on Environment and Development)、通称ブルントラン 卜委員会で採択された報告書”Our Common Future”においてである。この報告書の中で、Sustainable Developmentという言葉が多用されている。

本稿では詳細な内容には立ち入 ないが、Sustainable Development とは、深刻化している環境問題や貧困問題、人口問題、不平等の解決が念頭に置かれていて、現状での技術や社会的仕組みによる制約を前提にしつつも、現世代で使い尽くすのではなく、将来世代にも広い意味での環境や資源といったものを引き渡していくことができるようにする、成長と環境の保護•維持の両立という意味で使われていると言っていいだろう。

そしてそこには、「神の見えざる手」のごとく、この言葉を唱えていれば自然に達成されるものではなく、各国が、特に各国の政治的指導者たちが主体的に行動することが期待されていることが読み取れる。そこには特定の意図が介在してくる余地は見当たらない。

そしてこの当時は、前述のとおり、環境や資源の利用、都市開発、エネ ルギーの利用等の在り方が中心的な関心事であって、後述するような持続可能にすることや成長とおよそ関係が疑われるような事項は含まれていなかった。

加えて、方向性は示されても、具体的な措置内容については多様性を許容することが当然の前提とされていた。つまり、詳細な目標やタ—ゲツトが設定されて、その達成が求められるといったようなことはなかったのである。


変節したSDGs

それが1992年にブラジルのリオデジャネイロで開催された国連の環境と開発に関する会議 (United Nations Conference on Environment and Development )、通称アースサミットにおいて、環境の保護と成長の両立、つまりは、Sustainable Developmentの実現ための行動計画である アジェンダ 21として具体化されたが、ここからこの実現のためには、様々な社会的集団を巻き込んでいかなければいけないとの名目の下、女性の地位向上をはじめとする今日のSDGsにつながる事項が盛り込まれるようになった。

確かに様々なアクターが各国内での政策化、実施等の段階に参加することで、実効性が高まるということは言えるかもしれない。しかし、各国各様に社会の在り方は異なり、各アクターの役割も異なれば、傘下の仕方も異なる。

したがって、本来であれば、各国の判断で、実効性が担保されるよう検討、決定及び実施の各段階への様々なアクターの参加 を呼び掛ければいいだけのはずであるし、アジェンダ21の範疇の話ではないはずである。

しかし、それらをしっかり盛り込 み さも Sustainable Development の実現のためには女性の地位向上等が不可欠であるかのように位置付けているのは不可解である。冷戦終結 直後というタイミングで、唯一の超大国となっていた米国が当時何を考えていたのかを想起すれば、アジェンダ21が意図していたものが見えてくるかもしれない。

それをより明確にすべく話を前に進めよう。このアジェンダ21、環境の面が強調されて、折しも日本が東南アジアの森林破壊の元凶であるかのように攻撃され、国内でも自虐的にその話が取り上げられることが多かったことも手伝ってか、日本では 環境保護のための金科玉条のように取り上げられ、環境問題への関心、それまでの日本の先進的な取組みは まるでなかったことにされたかのよ に海外の事例ばかりを是とするよ うな関心が一気に高まっていった。

こうした背景事情は今日において SDGs を捉えるについて非常に重要で、これがためにSDGs≒環境問題の解決のためのものという理解になってしまっていると言っていいだろう。つまり、ことの本質が見えなくなってしまっている、そうさせているということである。



(つづく)



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