お兄ちゃん日記

2017年9月14日、今日からこのブログでやってみることにします。

「絶対的評価」を持つことで満足感へ繫げる

2024-07-08 03:52:49 | 日記
「絶対的評価」を持つことで満足感へ繫げる

人間が幸せを実感するのは満足感を得た時です。
例えば、スポーツでも学業でも、あるいは業務成績でも自分自身が「やりきった」と思えれば満足感を得られます。
一方、他人との競争の中で満足感が持てたとしても、それは長続きしません。
しかも絶えずライバルと「勝った、負けた」の競争をしていたら心が疲れてしまうだろう。
たとえ一時は勝ったとしても次は抜き返されてしまうかもしれないと思ったら、心が休まりません。
他人と比べて上位に立つことでやっと、自分の価値を実感するというのは、自分で自分を評価できない、自分の脳力を信じられないという「自信のなさ」の表れでもあります。
そこでいっそ「敵は自分自身にあり」と、目標をチェンジすることです。
人と比べるという「相対的評価」は捨てて、自分にとっての喜び、やりがいは何かを考えることです。
そのような「絶対的評価」の基準を持てば、それは達成感、満足感に繋がって行くはずだと僕は思ています。

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「気晴らし」のススメ

2024-07-07 04:28:14 | 日記
「気晴らし」のススメ

例えば、僕も某SNSに毎日のように画像と一緒に投稿してます。
そして心の何処かで「いいね!」を多く欲しさに、見栄えのいい画像や華やかなシーンをアップすることもあります。
その背景にあるのは「認めて欲しい」「褒めてもらいたい」という承認欲求の心理です。
人間は自分の存在を認めて欲しいという欲求は誰にでもあります。
しかし、それが強すぎると自分で自分が見えなくなって少しでも失敗すると不安に陥ってしまいます。
その不安はひとりでいて何もしてない時に感じることが多く、こころが動揺して不安がはびこる隙ができてしまいます。
でしたら、その「空白」の時間を:をなくせば不安を感じる瞬間も減ってくるはずです。
その為には、何かに夢中することで不安な気持ちを消し去ることができると思います。
「気晴らし」というと軽い感じがすると思うが、僕は「気を晴らす」と考えて自分時間を充実させてます。
要するに何か別のことで頭をいっぱいにすればいいのです。
いわば僕流にいうと「気晴らし」ということかもしれません。
これが心の隙間を埋め不安の解消法となるのです。

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自己肯定感といじめ問題は深い繋がりがある

2024-07-06 04:23:37 | 日記
自己肯定感といじめ問題は深い繋がりがある
 
初めに自己肯定感とは、自分の存在意義・存在価値を認める感情のことです。
自己肯定感の欠如による悪影響は、無気力だけではなく、人によっては「攻撃性」に変わることがあります。
自己肯定感が低い人は、自尊感情が乏しいため「格付け」に敏感です。
自分より格上の人間には、プライドが傷つくため、嫉妬や憎悪の感情が湧きます。
光が強いほど影が濃くなるように、相手が輝いているほど、自分が卑しく感じてしまいます。
ネット上での匿名による嫌がらせは、攻撃する側の自己肯定感の欠如に原因があると言えます。
一方、自分より格下の人間にはどうかと言うと。
劣等感や不快感を発散できる絶好の攻撃対象と考えてしまいます。
これが様々な形で実行される現象が、いじめです。
いじめ問題は「いじめる側の攻撃性の問題」と思われがちだが、根本には「自己肯定感の欠如」が原因と言われます。
さらに突き詰めると、自己肯定感の欠如は「親の愛情不足」という根本に原因がある場合が少なくありません。
つまり、親の愛情不足が自己肯定感の欠如に繋がり、自己肯定感の欠如が攻撃性に変わり、攻撃性がいじめに発展するのです。
あるいは、親に愛情があっても、表現方法が空回りして、子どもが愛情不足に陥っているケースも少なくありません。
いくら家は裕福であっても、愛情不足で育つと、子どもは自分の存在意義・存在価値を感じにくくなります。
結果として、自己肯定感の欠如につながってしまいます。
自己肯定感といじめ問題は深い繋がりがあると私は理解しています。

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話を「聞くこと」と「話させること」は大違い

2024-07-05 03:50:03 | 日記
話を「聞くこと」と「話させること」は大違い
 
人と話している時には、なるべく相手の話をよく「聞くこと」を心掛ける人。
一方、相手の話を促すような「話させること」を意識する人。
どちらかで相手の自分に対する印象は全く違うものとなります。
初対面でも相手から質問責めに会う場合があるが、なぜか不信感を抱いてしまう。
ふと思うと、その逆もあったりする。
人と話をする時は目的に沿った相手の話をよく聞くことで、考え方や価値観などを自分なりに読み取るように心掛ける。
そして相手も自分の話を真剣に聞いてくれる人は好感を持ち信用するようになります。
一方、「話させること」は、自分主導で相手の話を引き出す、相手は戸惑い自分に対して不信感を持つようになります。
どちらも、お互いに相手の意見を尊重して、否定や批判をしないことは云うまでもない。
しかし、人間は感情の生き物であり、相手の印象によって、先入観を抱くのは仕方がありません。
だから人と(特に初対面に場合)話をする時は冷静に、相手の話をよく「聞くこと」を心掛けて接することが大切なのです。

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過去に拘らないで今を生きる

2024-07-04 04:18:41 | 日記
過去に拘らないで今を生きる
 
過ぎたことは過ぎたこと、こぼれた水を嘆いても仕方がない。
失ったものは失ったものとして認め、そのうえでできるだけ納得できる生き方をすればいい。
僕はあまり過去に拘らないというか過去をあまり引きずらないで、自分では生きてきたつもりだ。
それは歳を重ねてきた今も変わってはいないようだ。
どんなに疲れてもどんなに行く手を塞がれても人生を降りるわけにはいかない。
それなら心の持ち方ひとつで周囲の景色が違って見える生き方を選んだ方が楽で楽しめると思う。
過去を後悔するより今の事を考えて生きる。
人生は一瞬一瞬の連続です。
苦しいこともやがて必ず和らぐはず、そう信じて生きてきたし、これからも信じて今をマイペースで生きていきたいと思っている。

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