池波正太郎は1923年生まれで、1990年、満67歳で急性白血病で死ぬのだが、60歳過ぎの晩年の「銀座日記」を読んでいると、実に落ち着いた気持ちになる。白血病は骨髄の癌で、急性白血病は自覚がなかったようだ。
赤血球が少なくなってくるのだから、病気の認識とそれなりの治療をしなければ、「最近、疲れやすい、食が細った」などと「老化」ばかりを意識する。自分は健康だと思っているのだから、純粋に「老化意識」だけの中で、作家として成功した晩年のさりげない日々が描かれている。
時々、針治療に出かけ、日々のスケジュールの一番に大好きな映画の「試写会」を書き込み、それを中心にして外に出かけ、そのついでに、立ち寄り先の蕎麦屋や食堂やレストランなどを巡り歩き、必要な買い物をしたりする。帰宅して、自分のペースで原稿を書き、知人の不幸や葬式、病気などを話題にして、日々を過ごしている。
「大丈夫、百まで長生きできますよ」などと言われながらも、そんな晩年の日々は10年となかったようだ。先日の養老先生の日々に比べて、池波正太郎の晩年は呆気ないものだが、多かれ少なかれ、晩年の日々は誰にも共通するものがあるような気がする。
一言で言えば、多分「孤独」だろう。家族や知人、友人が残っていても「孤独」を下着のように肌身につける。
さあて、朝の散歩タイムだが、空は曇っているし、子供たちは春休みだし、どうしようかな?
先日タネを植えた小松菜が、もう、緑の芽を出しているから、畑でも見てくる?
折り菜は元気。ほうれん草も元気
椎茸が羨ましい!