山頭火つれづれ-四方館日記

放浪の俳人山頭火をひとり語りで演じる林田鉄の日々徒然記

先づ声変りぬれば、第一の花失せたり

2004-12-10 01:09:45 | 文化・芸術
1999080900004-1

風姿花伝にまねぶ-<5>

十七、八より

「この比(ころ)は、又、あまりの大事にて、稽古多からず。
 先づ声変りぬれば、第一の花失せたり。
 体も、腰高になれば、かゝり失せて、
 過ぎし比の、声も盛りに、花やかに、易かりし時分の移りに、
 手立はたと変りぬれば、気を失ふ。-略- 
 此比の稽古には、たゞ、指を指して人に笑はるゝとも、それをばかへりみず、
 内にては、声の届かんずる調子にて、宵暁の声を使ひ、
 心中には、願力を起して、一期の堺こゝなりと、
 生涯にかけて、能を捨てぬより外は、稽古あるべからず。-略-」


少年期から青年期へとさしかかる成長期であり、変声期でもある。
やけに背丈が伸びて腰高になるから、安定性に欠ける。
少年期独特の澄んだ声を失い、第一の花も消える。
小姓のような、男にして女を感じさせる身形(みなり)の花も露と消え失せてしまう。
この変化は「気を失ふ」ほどに衝撃的なもので、この時期の克服が難しいのはいつの世でも同じことだ。
通俗的な例をあげれば、アイドルから大人のタレントへ変身することなど、
声の届かんずる調子-無理のない声の出し方で、
宵暁の声-声の出しやすい宵や明け方など、時を選んで稽古せよと。
いずれにせよ、一代の危機を克服するには、
「願力を起して、一期の堺こゝなりと」の気迫でもって稽古に励むしかない。


世阿弥の童形が義満に愛されたのは十六歳頃までで、
十二歳の童形美がたちまち義満の心を捉え、
十三歳では二条良基を魅了して「藤若」の名を賜らせ、
十六歳になってもなお元服せず、義満の傍に近侍していた、というから、
十七、八のこの頃が元服の時期と重なるのだろう。
この時期、世阿弥にとっては、絶頂から奈落へというほどに、過酷な変化だったろう。


 参照「風姿花伝-古典を読む-」馬場あき子著、岩波現代文庫